奈良へ(8):阿修羅に会いに

桜の散る吉城川を眺めながら東大寺境内を出る。
めざすは興福寺国宝館。
途中の氷室神社も桜でいっぱいだ。

興福寺の国宝館に入る。ここに来るのは何度目だろうか。
入り口から入って順に展示物を見る。
リアリティ溢れる金剛力士像のところに来る頃には、もう気が急っている。
その隣が、八部衆の並ぶガラスケースであり、その中央に阿修羅が立っているのだ。
八部衆とはもともとは古代インドの八神であり、仏教に取り込まれて仏法を守護する神となったものだ。
八部衆のガラスケースまで来た。そこまで来てもまだ阿修羅を目に入れないよう順番に見ていく。
大きな目を見開き、大きな口でうなりをあげるような異形の顔の鳩槃茶(くばんだ)。
くちばしをもち、斜め横を向いて何かを凝視する迦楼羅(かるら)。
あごひげを蓄えた渋めの畢婆迦羅(ひばから)。
皆、いい表情をしている。
そして、その隣がいよいよ阿修羅だ。
3つの顔と6本の腕を持つ。
うち2本の手は胸の前で合掌し、他の2本は宙に捧げている。いまは何も持っていないが本来はこの手は日輪と月輪を持つ。
中央の顔は眉根を寄せて、目を大きく見開いてまっすぐ正面を見据えている。
少年のような少女のような憂いをふくんだ阿修羅のまなざし。
純粋で無垢な目をしている。この目を見ていると切なくなってくる。
このまなざしは何を見据えているのか。
仏教伝承では、阿修羅は須弥山の北に住み、帝釈天と戦い続けたとされる。
戦いの神である。
どうしてその阿修羅がこんなに静かな表情を見せているのだろう。
この八部衆は、光明皇后が母、橘三千代の菩提を弔うために建立した西金堂の本尊、釈迦三尊の周囲を取り囲む眷属として造られた。その造仏を指揮したのが将軍万福で、百済系の渡来人であるとされる。
このまなざしは、将軍万福の祖国を思う気持ちを投影しているのだろうか。
あるいは、光明皇后の希望だったのかもしれない。
聖武天皇の奥さんであった光明皇后は施薬院を置き、自らの財によって薬草を集めて、病者に施し、また悲田院で貧窮者の救済にあたり、深く仏教に帰依した。
八部衆が皆、童顔で穏やかな顔をしているのは、光明皇后のやさしさの優しさの反映とも思われる。
その近くには天燈鬼、竜燈鬼が置かれる。
こちらはツレのお気に入りだ。
小さな鬼が肩で灯籠を担ぐ天燈鬼、頭の上に灯籠を載せてちょっとおどけた顔をしている竜燈鬼。
この鬼の表情がなかなかいい。
しかし、どうしても目は阿修羅の方に行ってしまう。
阿修羅のまなざしがどうしても気になってしまうのだ。
いつまでもいるわけにもいかないので、後ろ髪を引かれる思いで国宝館をあとにした。
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