京都2007年5月

京都よ、また来るぞー

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京都駅のエントランスは結構不評らしい。
確かに外観は、特に遠く離れた山の上などから見るとまるで倉庫みたいで、全然良くないと思うのだが、中から見上げた時の鉄骨ごしに見える空なんかは結構好きなのだ。
それと、天に向かって登って行くような感じのするエスカレータもいい。
そんなわけで、京都に来るたびに、こういう見上げたところの写真を撮ってしまう。

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まだ日の沈まないうちに帰りの新幹線に乗り込んだ。
帰りはいつも、伊勢丹で買った弁当を車内で広げている。
ツレは、はつだの牛肉弁当。最近、なかなか売り切れで買えないので、今回は来た初日に予約までして買ったものだ。わざわざ予約までしなくても、と思いながらこちらは帰る直前に適当にその場で選んだいなり寿司。
負けた。。。
次回は一緒に予約して買うことにしよう。はつだの牛肉弁当。

(京都07年5月:完)

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広隆寺:やはり弥勒の微笑み

最後に旅のシメとして広隆寺へ。

ここもずいぶん久しぶりだ。

桂宮院が公開されていたので、まずはこちらを見に行った。
八角形の夢殿形式の建物だ。
建物は外から見るだけだし、撮影も禁止だったが、これがまた美しく、別料金で特別な日だけ公開するだけのことはあると思った。檜皮で葺かれた屋根に日の光があたってきらきらと輝く様子は極楽世界でも見ているような夢心地にさせるし、八角の屋根の各頂点を結ぶゆるやかな曲線はうっとりさせるような絶妙のバランスを保っている。ため息もでない。この世の中に、こんなに美しい建築があるとはね。

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そして、霊宝殿へ。
当然、この中央にお祀りされる弥勒菩薩がお目当てなのだが、そちらをちらちらと見ながらも、まずは、向かって左手に並ぶ十二神将たちを一体ずつ目に入れていく。藤原時代のもので、風に吹かれてふわっと開いた袖口などの軽妙さと、本体の重厚さのバランス加減の良さが結構好きな像だ。
そして、正面へ。端の不動明王を眺めながらも、やはり気になるのは弥勒菩薩だ。通称、宝冠弥勒。隣の泣き弥勒と呼ばれる弥勒菩薩と区別するためにこの通称名がある。

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以前はなかった畳が正面に敷かれている。かつてはベンチが並んでいるだけだったので、その前を人が通ったりして落ち着かなかった。いまは、畳が祭壇に接して置かれているので、靴を脱いで座り、誰にも邪魔されずに、そこから見上げる角度で弥勒を見つめることができる。
以前、取材で予定外にこちらの住職さんとお会いしたことがあるが、この女性らしい気遣いを見ると、その方による工夫なのではないかと、その方のお顔を思い出しながら思った。

それにしてもいいなあ。この弥勒さんは。
説教をするわけでもなく、威嚇するわけでもなく、ただただひたすらに内側への思索を微笑みながら続けている。それも56億7千万年という気の遠くなるような期間だ。
そのあとの理想世界を考え、そのときのあまりの理想郷を考えついて、思わずニコッとしてしまったのかな。

昔はもっと強い照明が当たっていたような気がするが、いまはぼんやりとしたあかりがあたっている。この方がいいと思う。実物をこの距離でぼんやりとしたあかりで見た方が、かえって現実のものを見ているとは思えないような気になってくる。

隣の通称、泣き弥勒も良い。いや、以前は泣き弥勒派だったはずなのだが、この日、宝冠弥勒派に転向することを決意した。泣き弥勒が良くないというのではなく、今日は宝冠弥勒の存在感に圧倒されてしまったのです。スミマセン。

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広隆寺

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蓮華寺:石仏たちの楽園

仁和寺の東側にある蓮華寺。
仁和寺には何度も来ていたけど、ここに寺があるのには気がつかなかった。

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五智如来の石仏たち。木喰単称上人作という。
藤原康基という人が1057年(天喜5)に創建したというからもともとは古い寺だ。
現在地には昭和3年に移転してきた。

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その時に離散していた石仏を集めて境内に祀ってあるのだという。
お地蔵さんも何だか楽しげで。

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春の日差しを浴びて皆さん、気持ちが良さそう。

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ゴールデンウィークのこの時期には季節外れの桜が咲いていた。

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蓮華寺


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仁和寺:後悔のちりめん山椒の巻

京都5日目、最終日。

定宿をチェックアウトし、東山駅から地下鉄東西線ーJR嵯峨野線ー京福北野線と乗り継ぎ、仁和寺へ。
仁和寺に電車で来るのは初めてだったが、御室駅のたたずまいがなかなか良い。

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今日、ここに来た目的は霊宝館の展示を見ることなので、宸殿に行くのはやめておくか、と思っていたのだが、ツレのリクエストもあり、まずは大玄関から入り、宸殿の南と北にある庭園を眺める。眺めはいいのだが、ゴールデンウィークのこの時期は、人が多すぎてざわざわしている。以前、冬に来た時はあまり人もいなくて、縁側に腰かけずいぶんとまったりしたものだったが。

庭園を早々に引き上げ、霊宝館に向かった。
春と秋しか公開しないこの建物の中に入るのは、たぶん初めて。いや、二度目かもしれないが記憶が定かではない。
建物奥には横一列に仏像が並ぶ。中央には平安時代の阿弥陀如来。その両脇には脇侍の観音・勢至菩薩が立っている。特に観音菩薩は幼児体系気味の体格で、少し上体を右に傾け、にこやかな顔をしていて愛らしい。

その隣は持国天。これも平安時代のもので怒りの表情をしているものの、穏やかさが見える。こんな穏やかな表情は天皇や貴族が集まった門跡寺院ならではの像だ。
その他、出家前の姿を彫った悉達太子像、自然木をそのまま使って風になびくすがたを表現した出山釈迦像など特殊な釈迦像もある。

珍しいのは江戸時代に作られた童子経本尊という像。童子経というのは、童子の病を除いたり、成育を祈るための経で、その本尊の像なのだそうだ。初めて見るが、天皇家の子供たちはこの本尊の前で経を唱えられ、無事な成育を祈願されたのだろう。

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仁和寺境内の一角にはテントが張られ、そこでちりめん山椒を売っていた。勧められて試食してみるとおいしかったので、お土産にと2袋買った。その2袋には自宅用は含めなかった。テントで売っているような店だしと、その時は思っていたので。
ところが、帰ってから袋にかかれた店の名前を見ると「こと路」と書いてある。
見覚えがあるなと思って、調べてみるとこれはミクシーでマイミクさんが勧めてくれたおいしいちりめん山椒の店だった。自宅用にも買えば良かった。しまった。
寒山・拾得の説話もあるように、テントだからとバカにしたらいけなく、中には本物も混ざっているということなのだな。

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仁和寺

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法界寺:千年の空間

醍醐寺からタクシーで法界寺へ。
「法界寺」では通じないかもしれないと思い、運転手さんには通称名の「日野薬師」と告げた。

この寺の阿弥陀堂には丈六の阿弥陀如来が座っている。
平等院鳳凰堂の本尊にもっとも近い形とされる定朝様で、丸みを帯びた体と顔を持つ優美な像だ。
光背は透かし彫りで飛天が彫られていて軽やかな感じがする。

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平等院鳳凰堂と相前後して建てられたという阿弥陀堂の周囲の長押にはしっくいが塗られた白壁で、そこには天人が描かれている。鳳凰堂であれば、ちょうど雲中供養菩薩が取り付けられている部分だ。
阿弥陀如来の頭上にはやはり鳳凰堂同様に大きな天蓋がぶらさがっている。
周囲の柱には金剛界曼荼羅の菩薩像がそれぞれ16ずつ描かれ、お堂全体で極楽浄土を表現する。

このお堂の中の雰囲気は京都のお寺というよりは、奈良の鄙びたお寺という感じがする。
京都の市街地の寺はそのほとんどが応仁の乱などたびたびの戦などで焼失しているため、案外古い建物はないが、都から離れたこの寺は戦災を免れ、平安時代に建てられた当時のままなのだそうだ。
特に長押に描かれる天人は、寺で貰ったパンフレットによれば、法隆寺金堂壁画が焼失したため、完全なものとしては最古のものである、と誇らしげに書かれている。
そういうお堂の古さと、訪れる人の少なさが奈良っぽさを感じさせるのだろう。

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住職さんがひととおり説明してくれる。拝観者が来るたびに説明するのも大変だろう。
住職さんは説明が終わると拝観者を残して、また元やっていた仕事に戻っていくので、次の拝観者が来るまで阿弥陀如来とじっくり向き合うことができる。しかし、1000年間、静かに座り続ける阿弥陀如来と、生身の人間が向き合うには時間のスケールが違いすぎる。できることなら、このままずっとこの場にいたいくらいだった。

薬師堂には秘仏の薬師如来が祀られる。
胎内に伝教大師最澄作と伝わる薬師如来が納められていて、これが胎児を宿す姿に重ねられたために、安産、授乳に霊験あらたかとされ、いまも厚い信仰をあつめている。これが通称名である日野薬師と呼ばれる由来である。

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薬師堂には奉納された前掛けが、その思いの数だけ掛けられていた。

法界寺

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鳥羽甚

醍醐寺の駐車場の脇に雨月茶屋がある。昼食をと思って入ろうと思ったが、近所にあまり店がないためか、結構混雑していた。
醍醐寺に入る前にちらと見た看板によれば、近くに鳥羽甚という店があるようで、ここで無駄に待つよりは、そこまで行ってみようということになった。
10分ほど歩くとその店はあった。料亭なので当然、表にメニュのたぐいは出ていない。せっかくここまで来たのだから覚悟を決めて入ることにした。祇園の真ん中の料亭じゃないのだからひとり数万円もすることはないだろう。

どこかで料亭に予約もせずに行くのはマナー違反だという話をつい最近になって読んだ。
京都で一度、飛び込みで入ったことがあるが、一瞬イヤな顔をされてから、中に入れてくれたが、あの顔はそういう意味だったのかと、その話を読んだときにハタと気がついたのだった。今回もやはり一瞬、顔をしかめてから、「どうぞ」と案内された。

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中庭の見える座敷に通された。中庭からは日に照らされた緑が入ってくる。襖の向うには数組の客がいるようだ。こちらの部屋は誰もいず、貸しきり状態。
中居さんが店のパンフレットを持ってきて、料理の説明をしてくれた。そこには書いてないが、ご予算を言ってくれれば、それに合わせてミニ懐石もできますよ、というので、それをやってもらうことにした。問題は値段だ。安すぎては鼻で笑われてしまうだろうし、厨房からはそれなら犬の餌でもやっとけと言われてしまうかもしれない。しかし、高すぎると財布が痛い。
以前、たん熊北店で食べたミニ懐石が5000円だったから、その値段でやってもらった。(このときは予約して行った)

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正直言って、最初、垢抜けない感じの中居さんが出てきたときは、どうなることかと思ったが、料理は丁寧に作ってあるし、器も良さそうなものだった。特に最後の方に出てきた豆ご飯がおいしかった。店によっては、豆ご飯の豆に皺がよって少し堅くなってしまっているものが出てくることがあるが、ここのは皺がひとつもなく柔らかい。ふっくらと盛りつけられたご飯を口に含むと豆の香りが鼻腔をくすぐってくる。ほのかな塩加減もばっちりだ。最後のデザートのメロンはけちけちせずに大きく切ってあるのがうれしい。

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たん熊北店のミニ懐石は、食べ終わっても満腹中枢が少しも反応せず、血糖値も上がらないくらいに量が少なくて、空腹でくらくらしたまま店をあとにしたものだったが、こちらはどこがミニかというくらい量も満足できるものだった。
ただし、あちらは中居さん、板前さんのお見送り付きだった。角を曲がるまで見送ってくれたが、こちらはそういうのはなかった。この店はまっすぐな街道沿いに建っているので、ここで同じようにサービスをしたら、客が街道をはるかに行くまで見送っていなければならないだろう。だから、やらないのかどうかはわからないが。(やった方がいいと言っているのでもない。)

鳥羽甚

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醍醐寺:青紅葉の下で

京都4日目。

地下鉄の醍醐駅を降りるとそこは新興住宅街だった。
醍醐駅で降りるのは初めてのことだったが、新しくできた地下鉄効果で駅前には団地ができ、新しい宅地には新築の一戸建てが立ち並んでいる。まだ空いている宅地もあっていくらで売っているのか興味があったが、今日のわれわれの目的は土地を買うことではなく、醍醐寺に行くことなので、少し後ろ髪を引かれながらも先に進んだ。

真新しい住宅の家並を抜けると、古い住宅地が現れ、その先に更に古い門が見えてきた。ここが醍醐寺だ。車で来たことはあっても、電車で来るのは初めてなので、このアプローチは少し面白かった。

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まずは醍醐寺塔頭の三宝院へ。秀吉が造らせた豪快でスケール感の大きな庭園を濡れ縁に座りながら眺めたあと、三宝院の一番奥にある本堂に向かう。
ここに快慶の弥勒菩薩が鎮座している。全身に金箔の貼られたこの像は、薄暗い室内の中にたたずんで金色にうっすらと輝いている。現存する快慶の作品の中では2番目に古いものだそうだ。生没年不明の人なので、若い頃のものかどうかもわからないが、この像にはすでに理知的な顔だちなど、快慶独自の様式が現れている。美しい像でうっとりと見とれてしまう。

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霊宝館。
ここの本尊扱いの薬師如来と両側の日光・月光菩薩にまずは敬意を表す。
密教寺院なので、さまざまな造形の明王などが勢ぞろいしている。
目が真ん丸でかわいらしい牛に乗る大威徳明王や快慶作の平安時代の様式の不動明王など見どころも多い。今回、一番印象に残ったのは鎌倉時代の如意輪観音。初めて見た(または見ても忘れているか)。像高は4,50センチ程度で女性らしい柔和な顔立ちで切れ長の目を伏している。如意輪というと艶めかしい艶やかな顔立ちをしていることが多いが、この如意輪は清楚な美しさを持つ顔立ちだった。
霊宝館にはもう一体、平安時代の作で重文となっている如意輪観音があるが、こちらは肉付きの良い像だ。好みとしてはすっきりした感じの鎌倉時代の方。

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西大門をくぐると、そこは青紅葉のトンネルだった。日を通してみる若葉の緑が目に優しい。
そこを抜けるとあるのが金堂。ここの本尊は薬師如来。
緑色の光背が印象的で、両脇には日光・月光菩薩、そして、四方を四天王に守られている。

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そして、金堂から少し離れたところに五重塔。それぞれの屋根の反りが軽快な印象を与えるが、相輪が塔に比べて大きすぎるため、ちょっとバランスが悪い気がする。

そこから山の方向に登って行くと上醍醐だが、それはまたにしよう。
いつも、また今度といいつつなかなか行けないのだが。

醍醐寺

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法金剛院

厭離庵からはタクシーを拾い、閉門時間ぎりぎりの3時50分頃に法金剛院に入った。
受付には既に人がおらず、呼び鈴で呼び出した。
「はい、何か?」
と住職さんらしき人が出てくる。
「拝観したいんですが。まだ間に合いますよね」
「ああ、拝観ね。ちょっと待って」
とパンフレットを渡してくれる。もう先方は終了した気分でいたらしい。

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本堂裏手にある収蔵庫に廻ると、ちょうど収蔵庫の扉を閉めようとしていた女性が我々を見てまた奥に戻っていった。

ここもずいぶん久しぶりである。
京都で好きな寺は?と聞かれれば、必ずこの寺を出すくらいに好きな寺である。

待賢門院璋子の開基とされ、こじんまりとした寺であるが気品ある寺だ。
昭和になって発掘され復元された庭園には大きな池があり、庭園の脇には青女の滝と呼ばれる、いまは水が流れていないがやはり発掘された滝を造った巨大な石組みが残される。

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仏像も優れたものが多く残されている。

本尊は丈六で定朝様の阿弥陀如来。平安時代に特有のまるまるとして体を持ち、蓮台に座って静かに瞑想に耽っている。光背は楽器を持った天女達の舞う姿が浮き彫りにされていて、これもまた美しい。

向かって左端には四臂の十一面観音。鎌倉時代のもので、真っ赤な唇が妙に艶めかしい。胸から垂らすおびただしい数の瓔珞や光背の細かい透かし彫りがこの仏をさらに荘厳する。

阿弥陀如来の向かって左手前に置かれる不動明王の光背の迦楼羅(カルラ)炎にははっきりと迦楼羅の姿が彫られている。迦楼羅とは火の鳥。火焔と一体化した迦楼羅を引き連れた不動明王は、より強そうに見える。

右端には僧形文殊菩薩。老僧の形をした文殊菩薩像だ。よく見る文殊は若々しい姿で造られることが多いが、ここのはちょっとお疲れな感じのご老体。「昔は維摩居士と激しい問答をしましたね」と問えば、顔にたたえた深いしわを更に深くして「あれは若気の至りじゃったのう。あの頃は、わしも若かった。」とでも答えそうな感じだ。

収蔵庫を出ると、さっき扉を閉めようとしていたお寺の人が待ちかまえていた。
ここでかなりのんびりと眺めていたので、だいぶ待たせてしまっていたらしい。

庭園を散策し、寺を出た頃にはだいぶ日も傾いていた。

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法金剛院

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厭離庵:わたしゃもすこし?

清凉寺から歩いて数分のところにある厭離庵も春の特別公開で開いていた。
清凉寺から二尊院の方に向かう道の途中にある。この道は何度も通っているが、不覚にもここに寺があるのは気がつかなかった。

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表の道から竹林の間を通って奥に入っていくと厭離庵の入り口がある。
上の写真は、たまたまぶれた感じが面白く写ったのでそのまま使った。(画像処理はしていない)

「厭離穢土(えんりえど)欣求浄土(ごんぐじょうど)」

煩悩に汚れた現世を離れ、極楽浄土に往生することを心から願う。
寺の名はここから取られている。

金もいらなきゃ女もいらぬ〜、わたしゃ急いで浄土に行きたい〜。
超訳するとそんな感じか。

藤原定家が百人一首を選定した時雨亭の跡地と考えられている場所が3ヶ所あるが、ここはそのうちの1つ。
瀟洒な門をくぐると、青紅葉の若葉が日に照らされてきれいな緑のシルエットを映し出している手入れのよく行き届いたいい庭がある。こじんまりしたこの庭を縁側に座って風に吹かれながら眺めていると、あまりに気持ちがよくて何時間でもぼんやりできそうだ。

本当なのかどうかはわからないが、定家を火葬した跡とか、定家が筆を使ったとされる柳の井とかがある。

本尊は如意輪観音。小さな像を遠くから見ているのでよくはわからない。

電柱に貼ってあった特別公開のポスターの写真によればこんな感じだ。

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厭離庵

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清凉寺:オカルト羅漢つながり

金戒光明寺からタクシーに乗り込む。
「嵯峨の清凉寺まで」
というと、運転手さん
「清凉寺てどこでしたかいな」
と言っている。ああ、そうか、清凉寺じゃ通じないのかと
「釈迦堂」
と言い直すとわかってもらえた。
嵯峨釈迦堂は通称名で、正式名は清凉寺なのだが、通称名でないと通じない寺というのが京都にはいくつかあるのでややこしい。

丸太通りをまっすぐ西に向かう。千本通りを越えるまでは千本釈迦堂と間違えられていないか、ちょっとどきどきしていた。しかし、運転手さんは千本通りを何の躊躇もなく越え、嵯峨釈迦堂に到着した。

そろそろ昼時なので、ひとまず境内にある大文字屋であぶり餅で軽く腹ごしらえする。串に刺した餅をあぶり、甘い味噌をかけてある。うーん、相変わらずうまいですな。

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清凉寺にはここ数年で結構来ていて、境内を通過しているのだが、本堂と霊宝館に入るのはずいぶんと久しぶりだ。

本堂には日光東照宮のような色鮮やかな宮殿の中に清凉寺式釈迦如来が安置されている。
(他のページにたくさん解説があるので、清凉寺式釈迦如来を知りたい人は検索してください)

本堂の周囲を見ているとびっくりするものがあった。狩野一信の五百羅漢図だ。
ここに来る前に金戒光明寺の三門の十六羅漢がこの図の羅漢と似た雰囲気だと思ったばかりだが、その本物がここにあったのだ。
一信の描く五百羅漢は皆、悪人顔で、彼らは神通力によって、池の水を吸い上げたり、いろいろなことをやっているオカルトチックな場面が描かれている。中でも一番印象的なのは、首つりをした女性を助けているという絵なのだが、悪人顔ゆえに羅漢が首を絞めているようにしか見えないというものだ。その絵もここにあった。
聞くとこれは下書きだという。確かに以前、東博で見たものとは同じ絵だが、きちんと彩色のされていないもんだ。なぜ、この絵がここにあるのかは聞きそびれてしまった。

続いて霊宝館へ。

入り口には大きな阿弥陀三尊が置かれる。光源氏のモデルになったとも言われる源融が造らせた像で、阿弥陀如来は源融に似せて造らせたと伝わる。なかなかの男前な顔つきだ。
反対側は文殊菩薩と普賢菩薩がいるはずだが、文殊は京博に出張中だった。と、すると昨日言った道長展に出てた?えっ?いた?

奥に入っていくと四天王。ここの四天王、結構好きなのだ。特に踏まれている邪鬼が。
みな、踏まれているのにちっともつらそうではなく、何だか楽しそうな表情をしている。
多聞天に踏まれている邪鬼は、足がちょうど頭のてっぺんに置かれているが、その足の形のままU字型に頭がつぶれてしまっているという、漫画チックな表現が面白い。

久々に霊宝館の仏像達と再会できて良かった。

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本堂の裏手には小堀遠州作と伝わる庭園がある。
あまり人が来ないのをいいことに、縁側に座ってしばらくの間、風に吹かれてまったりとしていた。

清凉寺

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金戒光明寺:三門のオカルトチックな羅漢たち

京都3日目。定宿から歩いて、穏やかな流れの白川疎水を眺めながら北上し、平安神宮の大きな朱の鳥居を見ながら更に北に向かう。丸太町通を越えたところにあるのが目的地の金戒光明寺だ。

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この寺は幕末に京都守護職が置かれたことで、その名前が広く知られている。会津藩主・松平容保や新撰組の近藤勇、芹沢鴨らがこの寺に集ったことを考えると、幕末好きの人間としては血が騒ぐ。

ただし、今日の目的は新撰組ではなく、春の特別公開で公開されている三門を見ること。
前日に登った知恩院の三門同様、急な階段をよじ登る。

知恩院の三門は西に向いているが、こちらは南に向く。知恩院同様に京都市街を見渡せる方向で、京都の町並みがよく見える。この眺めを会津公や近藤勇も見たのだろう。

楼上に祀られるのは宝冠釈迦如来。両脇には普賢菩薩と文殊菩薩。それぞれ白象と青い獅子に乗っている。
さらにその両脇には十六羅漢像がずらっと横に並んでいる。
それぞれの像は木で造られた岩窟内に納められ、羅漢達はその岩窟内で座って修業をしている。
顔はどれもちょっと怖く、中には自らおなかを開いて、その中から仏の顔が覗かせているものもある。
このオカルトチックな羅漢は、そうだ、狩野一信の五百羅漢図に雰囲気が似ている。
狩野一信は幕末の人だし、この三門が建てられたのも万延元年とまさしく幕末。この時期、このような羅漢像が流行ったのかもしれない。

三門を降り、法然上人の御影を奉安する大きな御影堂の片隅に祀られる吉備観音を拝んだあとは東の墓地に向かった。

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この墓地の真ん中に三重塔が建っている。この塔の内部には文殊菩薩が祀られていて、毎月18日にのみ開かれる。なので、今日はその姿を拝むことはできない。

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この三重塔に向かう途中の石段脇にはこんな石仏がある。
五劫思惟阿弥陀如来。髪が伸び放題になった阿弥陀如来の姿だ。

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三重塔に向かう石段を途中で左に曲がると会津藩士の墓がある。
京都を守るために会津からやってきたはずの彼らは時代の大きなうねりの中で、いつしか逆賊扱いにされた。たくさんの物言わぬ墓石が今も彼らの憤りを表すようにして立ち並んでいた。

金戒光明寺

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京博:56億7千万年の夢

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妙法院のあとで、京都国立博物館に寄った。
昨日、定宿の最寄り駅に貼ってあったポスターで「藤原道長」展に、同聚院の不動明王が出展されているのを知ったからだ。この不動明王は前回の旅で、同聚院に寄ったものの実物を拝観することができなかったので、今回はリベンジ。

展示を順に見ていると、あった。
座像であるが見上げるほどに大きな丈六の像だ。
定朝の父、康尚による唯一の現存作例とされる。

藤原道長の40歳の賀として建立された法性寺五大堂の本尊として造られた。
下唇を噛んで眉にしわを寄せた怒りの表情をするが、貴族好みの穏やかな怒りだ。
不動明王は、五大明王の主尊として他の明王とともに造られたが、現存するのはこの不動明王のみとなっている。いずれも丈六の像として造られたというが、巨大な明王が五体揃って座っている様はさぞ迫力があったことだろう。

この展示では道長が金峰山上に埋めた経筒も展示されている。この経筒はどこかの展示会でも見たことがあるが、面白かったのは、これを埋めに行ったときの京都からの道筋を道長自身の日記をもとに地図上で再現しているところだ。何日にどこに泊まったのかがよくわかる。
道長は法華経や阿弥陀経、弥勒経などをこの経筒に入れ、金峰山上に埋めた。
阿弥陀経は、極楽世界への往生を遂げるために、弥勒経は五十六億七千万年後の弥勒出世の時に極楽世界から弥勒に会えるように、法華経は釈迦の恩に報い、弥勒に知遇し、蔵王権現に親近するために書写し、埋めたものだという。

「この世をば我が世と思う望月の欠けたることも無しと思えば」
という傲慢すぎると思える有名な句を残した道長がなぜ神仏に頼るようなことをしたのかと思っていた。
金峰山に登ったのももっと晩年だと思っていたのだが、実は42歳のときで、この歌を残したのはそれから11年もあとのことなのだ。
その後、順風満帆な人生を歩む道長もまだそのころは不安なことが多かったのだろう。

この経筒を埋めてから今年でちょうど千年経った。
道長が祈願した年を起源とすると、弥勒の現れるまであと56億6999万9千年。
まだまだ先は長いですな。

京都国立博物館

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妙法院:普賢菩薩の質素な美

続いて妙法院へ。
普段公開していないこの寺の建物の中まで入るのは実は初めてだ。
春の特別公開による公開で、やはり学生さん達が説明をしてくれる。

庭の撮影ならいい、というので、とりあえず中庭の写真だけ撮ってみた。

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庫裏に入ると、太い柱を豪快に組み合わせた小屋組みが頭上を覆う。かつて秀吉が千僧供養をするために建てた台所の跡だとされる。醍醐寺三法院の庭といい、こういう豪快さが秀吉好みだったのだろう。わびさびを目指した千利休とはどう考えても合うはずがない。利休の切腹の理由はやはり性格の不一致か、などと考えながら廊下を通って奥に進むと不動明王が祀られる護摩堂があった。

不動明王が矜羯羅童子(こんがらどうじ)と制多迦童子(せいたかどうじ)の2人を両脇に置いて立っている。その脇には金箔の貼られたほぼ等身大の聖観音らしき像が立っている。あれは何だろうかと見ていると、たまたまそこでお香の灰の掃除などをしていた女性が、
「あれは客仏でして。つい最近、こちらに来たんです」
と教えてくれた。どこから来たものかは知らないという。更に
「不動さんは、片足を前に出して動こうとする形をしていますが、あれは天台宗特有なんです」
と。
不動さんも歩くのか。不動の動?禅問答のようになってきた。

更に進むと竜華蔵という宝物館のようなところに入った。ここにも学生さんが待ちかまえていた。
この特別公開で説明してくれる学生さん達は、一生懸命担当のところを暗記しているのだが、それ以上の知識がないためツッコミには弱い。ところがここにいた彼はそうではなかった。
浄土宗系の大学に自ら希望して入ったというだけあって、浄土系の知識はなかなかなもので、担当外だったみたいだが、そこに展示してあった阿弥陀来迎図の説明をさらっとしてくれた。

そして宸殿。門跡寺院なので宸殿がある。そして、これがこの寺のもっとも立派な建物。
その宸殿の左前の隅に小さく建っているのがこの寺の本堂だ。
普賢堂ともいい、本尊が普賢菩薩。普賢菩薩が本尊として祀られているのは珍しい。
象の上の蓮華に座る普賢菩薩が静かに合掌している。ほっそりとした体の線が美しい。
象は彩色は落ちているがかつては白象だったと考えられている。
宸殿のきらびやかな建物でなく、質素な本堂に祀られているのがいい。

大蔵集古館の普賢菩薩は有名だが、こちらもなかなか。

妙法院

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ハイアットリージェンシー京都

三十三間堂の隣のハイアットリージェンシー京都でランチをすることにした。
ここは以前は京都パークホテルだったところで、一度泊まった事がある。ボーイのいる本格的なホテルだったが、結構安い値段で宿泊した記憶がある。ただし、部屋はずっと奥の奥だった。
その後、外資によるホテルの大型買収として話題になっていたが、1年前にハイアットリージェンシーとしてオープンした。

七条通りに向かって突き出すようにしてあった普通な感じのレストランはおしゃれなイタリアンになっていた。ここは満席で入れず、ロビー階のグリルに入った。

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全面ガラスからは外の緑が見えて気持ちがいい。

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見上げるとこんなデコレーションが。

その後、2階で買っていったパンがすごくうまかった。
イギリスパンを買って焼いて食べたが、モチモチした触感が美味。
今住んでいる軽井沢も本格的なパン屋は多いが、これに匹敵するパンは果たしてあるだろうかと考えてしまったくらいだった。

ハイアットリージェンシー

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三十三間堂:千手観音のきらめき

知恩院の門前で暇そうにしていたタクシーに乗り込み、三十三間堂へ。
久しぶりの千体の千手観音、そして二十八部衆。
ここは有名すぎるほど有名なので、撮ってきた写真だけで。。。

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長ーいお堂。先の方に見えるでっぱりがちょうど真ん中。さらにその向うに同じだけの長さのお堂があるのだ。

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庭ではつつじがちょうどキレイに咲いていた。

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夜泣泉。夜のしじまに水の湧き出す音が、すすり泣きのように聞こえるから、こう呼ばれるようになったとか。

三十三間堂

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知恩院:雨の三門

翌日は雨。定宿から白川沿いに歩いて10分ほどの知恩院に行く。
白川沿いに植えられた柳は芽吹いたばかりの新緑の葉が雨に洗われてきらきらとしていて美しい。

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ほどなくして「華頂山」と書かれた額のかかげられる知恩院の巨大な三門に到着する。
「この課長んちの門には何があるんだろうかねー」など言いながらこの門の前を通ったことはあったが、中に入るのは今日が初めてである。
春の特別公開でこの三門が公開されているのだ。

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ほとんど直角にそそりたっているんではないかという階段をあえぎながら登ると楼上に出た。
ここからは京都が一望できる。天気が良ければ西山もはっきり見えただろう。
残念ながらここでの撮影は禁止。いったい、何を恐れているのかわからないが、ここから見える外の景色もダメだという。

「絶景かな、絶景かな」と石川五右衛門が見得を切ったのは南禅寺の三門だそうだが、知恩院の三門の方がその舞台としてはふさわしいと言いたくなるほどに絶景だ。

この三門の楼上には男前の釈迦如来像と表情豊かな十六羅漢像が横一列に祀られる。
天井には狩野探幽による龍や、他の狩野派による極彩色の天女が描かれている。上半身が人で下半身が鳥の姿で飛ぶのは迦陵頻伽だ。迦陵頻伽とは極楽浄土に住み、美しい声で法を説くとされている。
天女や迦陵頻伽は腰を捻りながら飛ぶ様子が色っぽく美しい。

毎年、春と秋に行われる非公開文化財の特別公開では学生さんが説明をしてくれる。着慣れないスーツを着て、必死に暗記してきた話をしてくれる。ただ、ツッコミには弱い。
今回、この特別公開で公開されている場所をいくつか回ったが、質問してもちゃんとした答えは返ってこないので、そのうち、相手のあたふたする様子を見るのが面白くて質問するようになってしまった。
別にいじわるな質問をしているんじゃなくて、本当に知りたいことを聞いているだけなんだがねー。

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御影堂などを廻っている間に風雨が激しくなってきた。

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雨宿りをした阿弥陀堂では外の五色の幕がシルエットとして障子に映っていた。

知恩院

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東寺・講堂の扉の質量

今年2度目の京都。今回は京都市内の仏像の有名どころを中心に廻った。

始めは東寺へ。
南大門から入る。

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何度も来ているこの寺だが、東側の慶賀門からしか入ったことがなく、南大門から入るのは初めてだ。車で来たときは慶賀門からしか入れないのでしかたがないが、歩いてくるときにも慶賀門から入ると最初に目に入るのは駐車場に置かれた車の列ばかりで、あまり面白くない。その点、南大門から入ると巨大な金堂の建物が始めにあらわれ、景色としてはこちらの方が良い。

金堂、講堂の脇を通って、大師堂でお参りをし、ぐるっと廻って受付にたどりつく。
受付を済ませて、境内の南東奥に建つ五重塔を視界に入れながらも、まずまっさきに入るのは立体曼荼羅の置かれる講堂だ。立体曼荼羅とは普通、絵図で表現される曼荼羅を二十一体の仏像を配して立体的に表現したもので、この仏像だらけの空間は何度行ってもぞくぞくさせられる。

この寺に始めてきた10数年前に、最初に一番強い印象を与えたのは、実はこの講堂の扉だった。
この扉はここオリジナルのものなのか、細い木と針金で構成された軽いもので、蝶番には弱いバネが入っているようで、押したり引いたりして開けると自動で閉まるようになっている。講堂内部の重厚な立体曼荼羅に対して、この扉の軽さがものすごく印象に残った。
以来、この扉を引いたときの軽さを感じることが、その次の瞬間に見ることになる講堂内部の大量の仏像たちへのプロローグとして、自分にとっての大切な儀式となった。

ここに来るのは3,4年ぶりだろうか。この扉、補強されてはいたが、以前と同じ軽さで、中に入ったときに感じるひんやりした空気と、いにしえからしみ込んだお香と埃の入り混じった匂いはまったく変わらない。
まっさきに目に入るのがガチョウに乗ったおだやかな表情を浮かべる三面の梵天。そして、二匹の邪鬼に乗り、左手に剣、右手に三鈷戟を持って怒りの表情で下方を威嚇する持国天。
奥に進むにつれて、五体の菩薩、五体の如来、そして五体の明王が目に入ってくる。
さまざまな姿形、表情の仏像がずらっと居並ぶこの空間に身を置いていると、本当にうれしくなってくる。
ここに住め、と言われたら喜んで住んでしまうだろう。

講堂の南に建つ金堂にも、講堂と同じ扉が取り付けられている。講堂と同じ大きさの建物でありながら、こちらに配されるのは薬師如来、日光、月光菩薩のただ三体というある意味、贅沢な空間だ。
薬師如来の台座には十二神将が置かれているので、正確には15体というべきか。
月光菩薩は、特に下から見上げたときの品のいい色っぽさにはぞくっとさせられる。赤い唇といい、かすかに開いて見下ろすまぶたといい、その美しさと色気にはため息が出るばかりだ。

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この日は五重塔の初層を公開していた。ここは以前にも一度、公開されているときに見に来たことがある。
塔の心柱が大日如来を表し、その周囲に大日如来以外の五智如来の像が置かれるという、密教世界を現したものだ。周囲の壁には真言密教の祖が描かれている。

最後に宝物館へ。目当ては当然、兜跋毘沙門天だ。
つり上がった目を大きく見開き、異国の服装をつけた異形の毘沙門天。こんなはじっこに置かれていましたか。
壇上真ん中にはかつて食堂に安置され、火災で焼損後、修復された巨大な千手観音があり、圧倒的な存在感を示しているが、兜跋毘沙門はそれに負けない存在感がある。

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異形と言えば、東寺には五大虚空蔵菩薩がある。獅子、象、金翅鳥、孔雀に乗った、みな顔の細長い異形の菩薩達が五体並ぶもので、この像もかなり好きなのだ。
以前は宝物館で見たので、今回もここにあるかと思ったがなかった。実は観智院の方で公開されていたらしい。もともと東寺観智院の所有なので、ここで公開されているのが当然なのだった。
観智院は、以前の特別公開のときに、宮本武蔵の絵を見たことがあり、武蔵さんは今回はいいや、とパスしていたのだ。残念なことをした。

東寺

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