今年2度目の京都。今回は京都市内の仏像の有名どころを中心に廻った。
始めは東寺へ。
南大門から入る。

何度も来ているこの寺だが、東側の慶賀門からしか入ったことがなく、南大門から入るのは初めてだ。車で来たときは慶賀門からしか入れないのでしかたがないが、歩いてくるときにも慶賀門から入ると最初に目に入るのは駐車場に置かれた車の列ばかりで、あまり面白くない。その点、南大門から入ると巨大な金堂の建物が始めにあらわれ、景色としてはこちらの方が良い。
金堂、講堂の脇を通って、大師堂でお参りをし、ぐるっと廻って受付にたどりつく。
受付を済ませて、境内の南東奥に建つ五重塔を視界に入れながらも、まずまっさきに入るのは立体曼荼羅の置かれる講堂だ。立体曼荼羅とは普通、絵図で表現される曼荼羅を二十一体の仏像を配して立体的に表現したもので、この仏像だらけの空間は何度行ってもぞくぞくさせられる。
この寺に始めてきた10数年前に、最初に一番強い印象を与えたのは、実はこの講堂の扉だった。
この扉はここオリジナルのものなのか、細い木と針金で構成された軽いもので、蝶番には弱いバネが入っているようで、押したり引いたりして開けると自動で閉まるようになっている。講堂内部の重厚な立体曼荼羅に対して、この扉の軽さがものすごく印象に残った。
以来、この扉を引いたときの軽さを感じることが、その次の瞬間に見ることになる講堂内部の大量の仏像たちへのプロローグとして、自分にとっての大切な儀式となった。
ここに来るのは3,4年ぶりだろうか。この扉、補強されてはいたが、以前と同じ軽さで、中に入ったときに感じるひんやりした空気と、いにしえからしみ込んだお香と埃の入り混じった匂いはまったく変わらない。
まっさきに目に入るのがガチョウに乗ったおだやかな表情を浮かべる三面の梵天。そして、二匹の邪鬼に乗り、左手に剣、右手に三鈷戟を持って怒りの表情で下方を威嚇する持国天。
奥に進むにつれて、五体の菩薩、五体の如来、そして五体の明王が目に入ってくる。
さまざまな姿形、表情の仏像がずらっと居並ぶこの空間に身を置いていると、本当にうれしくなってくる。
ここに住め、と言われたら喜んで住んでしまうだろう。
講堂の南に建つ金堂にも、講堂と同じ扉が取り付けられている。講堂と同じ大きさの建物でありながら、こちらに配されるのは薬師如来、日光、月光菩薩のただ三体というある意味、贅沢な空間だ。
薬師如来の台座には十二神将が置かれているので、正確には15体というべきか。
月光菩薩は、特に下から見上げたときの品のいい色っぽさにはぞくっとさせられる。赤い唇といい、かすかに開いて見下ろすまぶたといい、その美しさと色気にはため息が出るばかりだ。

この日は五重塔の初層を公開していた。ここは以前にも一度、公開されているときに見に来たことがある。
塔の心柱が大日如来を表し、その周囲に大日如来以外の五智如来の像が置かれるという、密教世界を現したものだ。周囲の壁には真言密教の祖が描かれている。
最後に宝物館へ。目当ては当然、兜跋毘沙門天だ。
つり上がった目を大きく見開き、異国の服装をつけた異形の毘沙門天。こんなはじっこに置かれていましたか。
壇上真ん中にはかつて食堂に安置され、火災で焼損後、修復された巨大な千手観音があり、圧倒的な存在感を示しているが、兜跋毘沙門はそれに負けない存在感がある。

異形と言えば、東寺には五大虚空蔵菩薩がある。獅子、象、金翅鳥、孔雀に乗った、みな顔の細長い異形の菩薩達が五体並ぶもので、この像もかなり好きなのだ。
以前は宝物館で見たので、今回もここにあるかと思ったがなかった。実は観智院の方で公開されていたらしい。もともと東寺観智院の所有なので、ここで公開されているのが当然なのだった。
観智院は、以前の特別公開のときに、宮本武蔵の絵を見たことがあり、武蔵さんは今回はいいや、とパスしていたのだ。残念なことをした。

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