
石段を登って行くと、あれ?何かいつもと違うな、と思った。

土塀のぼろけ具合も前に見たのと同じだし。
いや、白いところがずいぶん剥落した感じはあるが。
わかった。石段を蔽うように生えていた萩が無くなっているのだ。
萩で知られるこの寺なのにこれは一大事と、受付で聞いてみると、
「ああ、あれはいつも切るんです」
と事も無げに言う。
いつも萩が石段を蔽っているような気がしていたが、この寺には秋にしか来た事がなかったのかもしれない。
萩を歌った歌が境内の札に描かれている。
高円の野辺の秋萩いたづらに
咲きか散るらむ見る人無しに
笠金村が志貴皇子が逝去したときに作った歌だ。志貴皇子は天智天皇の子で、政治的には影の薄い人だったが、万葉集に非常に印象的な歌をいくつか残している。そして、この寺は志貴皇子の邸宅跡とされている場所。
そういえば、最初にこの寺を訪れたのは志貴皇子の足跡をたどろうとしてだった。

五色椿はほとんど散ってしまっていたが、地面に落ちた紅白絞りの美しい花びらがその名残を見せてくれていた。

境内には多くの石仏が置かれている。

自らが炎のようになった不動明王。
石仏たちをひとつずつ目に入れながら、境内を一回りして収蔵庫に入る。
正面の中心に阿弥陀如来が座り、その左右には地蔵菩薩と文殊菩薩が配される。
そして左の壁沿いには閻魔王と司命と司録、右には太山王がこちらを向いて恐ろしい顔で睨んでいる。
阿弥陀如来の穏やかで品のある顔立ち、白い光背を背負う地蔵菩薩の妙に肉感的な唇、そして若々しく張りのある理知的な顔立ちの文殊菩薩。どれも静かで落ち着いた気持ちにさせられるいい像だ。
前から気になっていたのだが、阿弥陀如来の光背は変な形に壊れたままだ。直さないのだろうか。
以前はこの閻魔らの存在が気になって仕方がなかったのだが、今回は正面の三尊とじっくり対面することができた。年を重ねるにつれて地獄が近くなったために、却って彼らの存在が気にならなくなったのだろうか。

収蔵庫を出て本堂前に行くと、中に入っていく人がいる。
ここは入った事がなかった。入れたのか、とあとに続く。
薄暗いお堂の中には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が祀られていた。
観音、勢至は片膝をたてて前傾姿勢を取る。そして、たった今、空中から地上に来迎したばかりという感じに、着物の裾がふわっと上にめくれ上がっている。これは横に回ってみないとわからない。浄土世界をリアルに伝えるための控えめな演出。
そして、自分も今際の際にはこういう方たちに迎えられたらな、と思う。
本堂は江戸時代始めに建てられたもので、三間四面の形式を取る。三間四面とは屋根の下の母屋部分が柱間三間で、その外側の四方に庇が出ているというものだ。かつて奈良の寺院でよく使われた形式で、江戸時代に復古的な形式を再現したものらしい。

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