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2008年5月

奈良仏像旅:茶処 大久ら 2008.4

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矢田寺の門前にあった茶店。
茶処 大久ら

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なになに。景色がごちそう?

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オープンテラスの席からは矢田丘陵から見下ろした景色が見通せる。
オープンテラス、と書いたが、この店は多分、以前は普通の民家だったところを改造したもので、
このオープンテラスの席はその家のベランダだったところではないだろうか。

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でも、そんなのはよーく観察しないとわからない。
テーブルにはいろりが掛かっていて、そこに綿の木が活けられていたり
なかなかいい感じのアレンジメントがなされている。
それにかかっているBGMは男性ボーカルのジャズ。
たった1つの曲をエンドレスに掛けていたのは何故かしらん。

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焼いたもちに醤油をつけてのりを巻いたヤツ。
メニュー上は「何とかだんご」だったと思うが、忘れてしまった。
ツレはアンコのかかった餅。これも「何とかだんご」という名前だったはずだ。
どちらも干し柿がおまけについている。
ラベンダーまで添えられていて、街中のカフェとはまた一味違ったもてなしを
受けている感じがまた嬉しい。

茶処 大久ら

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奈良仏像旅:矢田寺 2008.4

翌朝、再び京都から奈良まで電車を乗り継いで行き、昨日と同じレンタカー屋で車を借りた。
今日も昼ごはんを食べる店がなさそうなところに行くので、食料を買い込む。昨日は柿の葉寿司だったので、今日は別のものにしようということになり、ホテル日航奈良の入っている建物の1階のパン屋でカツサンドを買った。ここのパン屋、何度か買っているが、結構おいしいと思う。

そして、カツサンドを買い込んで向かった先は矢田寺。正式名称を金剛山寺という。
門前の駐車場に車を置いて、坂道を登って行くと、さっそく1体の石仏に迎えられる。

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少し行くと朱に塗られた山門。

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その門をくぐれば見上げるほどの長い石段が。

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登りきったところまた石仏。

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そしてまた石仏。

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上の写真の石仏には「見送り地蔵」という名が付けられている。
その由来はこういう話によっている。
登場人物は
満米上人 …… 弘仁年間に矢田寺を中興した人。
小野篁  …… 嵯峨天皇に仕え、夜ごと地獄に降りて閻魔大王の補佐をしていたと言われる人。京都の六道珍皇寺の井戸から地獄に降り、清凉寺横の薬師寺境内の井戸からこの世に戻っていたとされる。
閻魔大王 …… 言わずと知れた地獄の裁判官

話は閻魔大王が苦しみから逃れるために菩薩戒を受けたいから、適任者を探すように小野篁に命ずるところから始まる。閻魔大王が菩薩戒を受けたいとは落語のような話だが、それはさておいて、篁は、慕っていた満米上人を紹介する事にした。そして閻魔庁に案内し、満米上人は閻魔大王に菩薩戒を授けた。菩薩戒を授けられた閻魔大王は、上人の希望で地獄を案内するが、上人はそのとき地獄の亡者を救う地蔵菩薩の姿を見た。
感激した上人はこの世に戻ってから、その時に見た地蔵菩薩の姿を仏師を呼んで彫らせるが、どうしても見た通りの姿にならず困っていると、4人の翁が現れ、3日3晩のうちにそのままの地蔵の姿を大きな桐の木に彫り上げた。
その翁は春日大社の神で、彫り終わると春日山の方向に飛んでいったという。

上の写真の地蔵は、その時に帰っていく翁を見送った地蔵とされ、春日山の方を向いて立っている。

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石段の両側にはお墓が並んでいる。刻まれている名前を見ると鈴鹿山新七、香取山磯吉、三笠山源右衛門など、かたぎの人じゃない感じの名が並ぶ。どういう人たちなんだろうか。

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塔頭大門坊の土塀に隠れるようにして立つ北向き地蔵。

矢田寺の地蔵には独特のスタイルがあり、普通の地蔵は手に錫杖と宝珠を持っているものが多いが、この寺の地蔵は阿弥陀如来の来迎印のような印を手で結んでいる。矢田型地蔵といい、地蔵と阿弥陀の両方の功徳を備えていると言われている。

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にこやかな顔をする味噌なめ地蔵。
味噌を作る時に、口元にその味噌を塗り、味が良くなるように祈願するという地蔵だ。
実際に今も味噌を塗っていく人があるらしい。

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両側を塔頭に囲まれる参道。
まるで中世のようだ。

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ここなんか、塀の向うから腰のものをぶらさげた侍が出てきそうで、ぞくぞくするではないか。

矢田寺

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奈良仏像旅:謎2つ 2008.4

白毫寺から奈良の市中を通ってレンタカーを返しに行った。

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途中、ビルの屋上に建てられたと思われる謎の塔があった。何だろうかこれは。
車を止めて見るわけにもいかず、素通りした。今度、確認してみよう。

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レンタカー屋の前の肉屋がにぎわっていた。周囲にはわざわか買いに来たと思われる車が何台も路上に止められている。コロッケが売りらしい。道端でコロッケを頬張っているおばちゃんもいる。有名店?
明日もここに来るし、買うのはまたでいいか、とそのときはなんとなく思ってそのまま帰ったのだが、翌日は同じ時間でも閉まっていた。うまいんだろうか。買えないとなるとますます気になる。

最初に書いた通り、今回は京都の宿に泊まっている。その宿へと戻るために京都駅に行き、駅の伊勢丹に立ち寄った。帰りの新幹線で食べるための、はつだの牛肉弁当を予約するためだ。最近は人気で、夕方に行っても予約無しでは買えないので、予約するようにしているのだ。

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そこで柿安のわらび餅を買った。京きなこを使っているというので、京都の店のものなのかと思ったら、牛肉などで知られるあの柿安のものだった。
http://www.kakiyasuhonten.co.jp/index.html

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京きなこというのは色の濃いのが特徴だそうで、口に入れると香りよく上品な舌触りがある。

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定宿の窓からの景色。
コンクリートのビルだらけになってしまった京都の中心部とは違って、平安神宮にほど近いこのあたりはまだ瓦屋根が多く残っている。ビルの屋上にあげられた鯉のぼりが気持ちよさそうに風に吹かれていた。

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奈良仏像旅:白毫寺 2008.4

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石段を登って行くと、あれ?何かいつもと違うな、と思った。

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土塀のぼろけ具合も前に見たのと同じだし。
いや、白いところがずいぶん剥落した感じはあるが。

わかった。石段を蔽うように生えていた萩が無くなっているのだ。
萩で知られるこの寺なのにこれは一大事と、受付で聞いてみると、
「ああ、あれはいつも切るんです」
と事も無げに言う。
いつも萩が石段を蔽っているような気がしていたが、この寺には秋にしか来た事がなかったのかもしれない。
萩を歌った歌が境内の札に描かれている。

高円の野辺の秋萩いたづらに
咲きか散るらむ見る人無しに

笠金村が志貴皇子が逝去したときに作った歌だ。志貴皇子は天智天皇の子で、政治的には影の薄い人だったが、万葉集に非常に印象的な歌をいくつか残している。そして、この寺は志貴皇子の邸宅跡とされている場所。
そういえば、最初にこの寺を訪れたのは志貴皇子の足跡をたどろうとしてだった。

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五色椿はほとんど散ってしまっていたが、地面に落ちた紅白絞りの美しい花びらがその名残を見せてくれていた。

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境内には多くの石仏が置かれている。

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自らが炎のようになった不動明王。

石仏たちをひとつずつ目に入れながら、境内を一回りして収蔵庫に入る。
正面の中心に阿弥陀如来が座り、その左右には地蔵菩薩と文殊菩薩が配される。
そして左の壁沿いには閻魔王と司命と司録、右には太山王がこちらを向いて恐ろしい顔で睨んでいる。

阿弥陀如来の穏やかで品のある顔立ち、白い光背を背負う地蔵菩薩の妙に肉感的な唇、そして若々しく張りのある理知的な顔立ちの文殊菩薩。どれも静かで落ち着いた気持ちにさせられるいい像だ。
前から気になっていたのだが、阿弥陀如来の光背は変な形に壊れたままだ。直さないのだろうか。

以前はこの閻魔らの存在が気になって仕方がなかったのだが、今回は正面の三尊とじっくり対面することができた。年を重ねるにつれて地獄が近くなったために、却って彼らの存在が気にならなくなったのだろうか。

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収蔵庫を出て本堂前に行くと、中に入っていく人がいる。
ここは入った事がなかった。入れたのか、とあとに続く。

薄暗いお堂の中には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が祀られていた。
観音、勢至は片膝をたてて前傾姿勢を取る。そして、たった今、空中から地上に来迎したばかりという感じに、着物の裾がふわっと上にめくれ上がっている。これは横に回ってみないとわからない。浄土世界をリアルに伝えるための控えめな演出。
そして、自分も今際の際にはこういう方たちに迎えられたらな、と思う。

本堂は江戸時代始めに建てられたもので、三間四面の形式を取る。三間四面とは屋根の下の母屋部分が柱間三間で、その外側の四方に庇が出ているというものだ。かつて奈良の寺院でよく使われた形式で、江戸時代に復古的な形式を再現したものらしい。

白毫寺

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奈良仏像旅:弘仁寺 2008.4

正暦寺から山を下りて、天理の方向へと車を走らせた。向かっているのは弘仁寺。小さな集落を通るとあちこちに虚空蔵町と書かれている。虚空蔵という普通はお寺の中でしかみない名前を町中で見るのは何だか不思議な感じだ。弘仁寺が抱かれる山が虚空蔵山で、寺の山号も虚空蔵山、そして本尊は虚空蔵菩薩というところに関係するのだろう。

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車を置いて山中に吸い込まれていくような細い山道を登って行くとやがて小さな山門が見えてきた。

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境内に入ると本堂と明星堂が並んで建っていた。明星堂は明星菩薩のためのお堂のはずだが、現在は奈良博に寄託されている。

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明星菩薩のお顔は、苦労人を思わせるような迫力がある。
本来の明星菩薩というのは、四臂で如来面、そして龍に乗る姿をしているそうで、この像とは異なる。この像はもともとは地蔵菩薩として造られたのではないかと考えられているという。

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明星堂には寛永13年の年号が入った絵馬が掛けられていた。江戸と書かれているので、はるばる江戸からこの寺まで参ったのだろうか。

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これが本堂。寛永6年の再建のもの。優美でありながら力強い建物だ。

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この寺の名を知らしめているものに奉納された算額がある。SCIENTIFIC AMERICANに掲載された論文が誇らしげに本堂のところに置かれていた。

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境内を出て少しくだったところに、奥の院があった。薄暗くてかなり薄気味悪い感じの場所だった。
右側の屋根で囲まれたところが閼伽水の井戸。左側には不動明王の石仏が祀られていた。弘法大師が自ら三鈷杵で彫った石仏で、井戸も三鈷杵で掘削したものだと伝わる。

弘仁寺

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奈良仏像旅:正暦寺 2008.4

この本の最後の取材のために京都へ去年の10月に、そして次の奈良編の取材の1回目を今年の3月に行っているのだが、時間がなくて書けていない。それは後回しにしてまずは4月に行った奈良の話を書いていきたいと思う。

今回は訳あって京都の定宿に3泊、奈良に1泊という旅程となった。
金曜日の夜の新幹線で京都入りし、スーツ姿の人が多く休日とはまた違う様相を見せる地下鉄烏丸線、東西線を乗り継いで定宿に到着。

翌朝、東西線の六地蔵でJR奈良線に乗換えて奈良駅に到着。予約してあったレンタカーに乗り込む。
今日の行き先は昼ごはんを食べる店のなさそうなエリアなので、駅近くの平宗で柿の葉寿司を仕入れて持っていった。

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ならまちを抜けて東南に向けて車を走らせると徐々に山の中に入っていく。そして道も細くなっていき、ちょっと心細くなってきたところが正暦寺だった。

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立派な石垣がまっさきに目に入ってくる。

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しゃちほこの乗る山門をくぐると

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民家のようなお堂。正暦寺福寿院の客殿の建物だ。
大寺院の多くが長い歴史の中で衰退していったが、この寺も例に漏れず、かつて80を超える塔頭を誇った寺だったのが、いまでは本堂とこの福寿院を残すだけとなってしまっている。

江戸時代始めに建てられた建物で中に入ると狩野永納の絵が襖や欄間を彩っている。壇上には中央に孔雀明王坐像が祀られる。孔雀明王の像とは珍しい。明王は普通忿怒の相をするが、孔雀明王は菩薩顔をした異形の明王だ。その明王が尾羽を光背代わりに広げた孔雀の上に乗っている。孔雀は毒虫や毒蛇を食べることから、人々の災厄や苦痛を取り除く功徳があるとされ信仰されてきた。
左右には不動明王と愛染明王が安置されていた。

横を見ると菩提山を借景とする小さいが清楚な庭園が目に入ってくる。
庭や山に植えられた紅葉の新緑が美しい。耳を澄ませばすぐ下を流れる菩提山川のせせらぎの音が聞こえてくる。静かな場所だ。
お寺の住職さん(または副住職さん?)の話によれば、この寺の本尊である薬師如来の薬師瑠璃光浄土を表すために青の紅葉を植えたのではないか、という。瑠璃色というのは青い色。昔の日本では青と緑の区別を付けなかったから緑の葉で青を表しても不思議ではない。
紅葉は春が美しいと仰る。紅葉は秋ではなく春の青が美しいと言い切るところなんか、なかなかの人物とお見受けした。

そして収蔵庫に案内された。普段は開いていない収蔵庫が開いている。今日はここの薬師如来倚像を見に来たのだ。この寺の本尊で白鳳時代の金銅仏。像高36センチの大きさで椅子に腰掛けた姿をしている。小さいながら威厳に溢れたいい像だ。
その背後には平安時代の薬師如来が置かれ、その両側には日光・月光菩薩が立っている。聞くとこの日光・月光菩薩は明治の排仏毀釈の際に三輪の大御輪寺から来たものだという。大御輪寺といえば、聖林寺の十一面観音、玄賓庵の不動明王も排仏毀釈の際にこの寺から移されている。これらは無事に移されたが、無事に移されなかった仏像もあったかもしれない。排仏毀釈という運動がいかに仏教にとって厳しいものだったかがこれを見てもわかる。
そして収蔵庫の左右にはそれぞれ10数体の仏像がずらっと並んでいる。これらはかつてあった塔頭のものを集めたものだという。
その中には小さな千体の地蔵菩薩があった。これは本堂近くの宝篋印塔の中から出てきたものだという。かつてこの寺の僧侶が亡くなった時に菩提を弔うために作られたのではないかということだった。

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福寿院を出て少し登ったところに本堂がひっそりとたたずんでいた。

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この中央の宝篋印塔から千体地蔵が出てきた。
これらの石仏はかつて境内のあちこちにあったものを、集めたものだという。

正暦寺

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『鈴木亜久里の冒険』

5月の連休の最終日、悲しいニュースが飛び込んできた。
スーパーアグリF1のシーズン途中での撤退だ。

『鈴木亜久里の冒険』を読んでいた去年の秋頃も財政的に苦しいと言われていたが、来年もまた頑張ってやってくれるだろうと思っていた。

スーパーアグリF1が発足し、エントリが認められた2006年からスポンサー探しや、供託金の支払いなど困難の連続だった。4年落ちのアロウズA23を買い取り、改良してわずか数ヶ月というF1ではあり得ないような短期間で車を準備し、ほとんどぶっつけ本番で開幕レースに臨む。そのうちの1台はメルボルン空港の展示品として後生を全うしていたものだった。そしてわずか数戦後にはドライバーの井出有治のスーパーライセンス剥奪という屈辱さえも味わうことになる。
潤沢な資金もない小さなチームで苦難の連続だったが、メンバーの団結力と情熱だけは他に負けるものはなく、徐々に車は戦闘力を持てるようになり、その年の最終戦では佐藤琢磨が10位に入るという成績を残した。そのとき優勝したルノーがシャンパンを持って一番反対側にあるスーパーアグリチームまで祝福に来てくれたという嬉しい事件もあった。(残念な事にこのときのレースは自宅の引越しのために見ていないのだった)
翌年は資金力の無さは相変わらずだったが更に進化を続け、佐藤琢磨が8位、6位と立て続けに入賞までしてしまう。6位になったカナダGPではマクラーレンに乗る去年のチャンピオンであるアロンソをオーバーテイクしての入賞だった。夜中にテレビでこのシーンを見ていて本当に嬉しくて大声をあげてしまったのを昨日のことのように覚えている。
Born in Japanをキャッチフレーズとして生まれたこの小さなチームは、この頃には世界中にファンを持つまでになった。しかし、その年スポンサーとなった企業からのスポンサー料の支払いが滞り、その年の後半は車の進化も止ってしまい、これ以上の戦績は残せなかった。
そして2008年、有力なスポンサーも見つからず、売却先との交渉をしながらの参戦となったが、売却先との突然の破談によって、スーパーアグリF1は潰えてしまうことになった。
あり得ないと思われていたことを奇跡のように次々と実現していったこのチームにはずいぶんと力を貰っていた。それだけに本当に残念だし悔しくてならない。1戦で数億円かかるという今のF1の世界ではプライベータには非常に厳しいものがあるようだ。昨日の鈴木亜久里氏の会見を見ていて涙した。でも本当に悔しいのはチームを立ち上げた亜久里氏本人だろう。
長く全日本F3000など日本で走り、念願のF1シートを獲得したローランド・ラッツェンバーガーがサンマリノGPの予選で事故死し、その翌日にはアイルトン・セナが決勝レースで死亡した1994年以来の悲しい気持ちだ。1986年から見続けてきたF1だが、しばらくは楽しい気分で見る事はできなさそうだ。
最後に。
夢と勇気を与えてくれたスーパーアグリに感謝したい。

追記
『鈴木亜久里の冒険』を出版した山海堂もこの本を出版したあとで倒産してしまった。モータスポーツ系が強かったこの出版社の倒産といい、スーパーアグリに日本のスポンサーが付かなかったことといい、日本にはモータスポーツが根付いていないことを痛感させられる。

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