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2008年6月

奈良仏像旅:玄賓庵 2008.4

狭井神社を出て、山の辺の道を北に向かってしばらく行くと正面に石垣と白い塀が見えてくる。
ここが玄賓庵だ。

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門には「三輪山」と書かれる。

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庵と呼ぶにふさわしい本堂には本尊として不動明王が祀られる。

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ちょうどいらっしゃった住職さんから話を伺った。
この不動明王像はかつて大神神社の神宮寺だった大御輪寺にあった像で、明治の神仏分離令で大御輪寺が廃寺となった際にここに移されてきたのだという。
大御輪寺にはいま聖林寺にある十一面観音や法隆寺の地蔵菩薩などがあったが、いずれもこのときに散逸した。この不動明王と法隆寺の地蔵菩薩が聖林寺の十一面観音の脇侍だったらしい。

不動明王は神威ある三輪の神のもとに祀られていただけあり、威厳ある態度で座っている。
頭頂部に反り花のついた蓮華をいただき、上歯で下唇を噛む古様を示す。頭に付けた金線冠の下からは髪の毛が冠を巻き込むように上に向かってひるがえっている。この髪の描写は、不動明王以外の明王ではよく見られるが、不動明王としては珍しい。

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境内には不動明王の石仏も置かれる。

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大神神社と関係の深い寺らしく、境内には鳥居も置かれていた。
謡曲『三輪』は、この寺に住む玄賓を、三輪の神がひとりの女となって訪ねてくる話で、ここからも以前から三輪の神と深い関係があったことがうかがえる。

玄賓庵

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奈良仏像旅:大神神社 狭井神社 2008.4

今回、山の辺の道を歩く目的は、この道沿いにある玄賓庵と長岳寺を訪れる事。
いつも山の辺の道を歩くときは、古代人の気分に浸っているので見るのは古墳と神社で、仏教寺院という後世に入ってきたところに立ち寄ったことはなかったのだ。

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とは言っても神社や古墳があれば黙って素通りする訳にもいかない。
まずは大神神社で神様にご挨拶。

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大神神社の絵馬。
こういう時代になったか。

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そんな訳で裏側はつんつるてん。
人がどんな願い事をするのかを垣間見る事もできないのは、ちょっと寂しいがしょうがないか。
他人に見せるためのものではないし。

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大神神社の境内を抜ける。
さあ頑張って歩きましょう。

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狭井神社の手前でひとりのご婦人に
「ぜひお知らせしたいと思いまして」
と声をかけられた。珍しい花なのだそうだ。なんとかという名前を聞いたのだが、忘れてしまった。
その方も初めてみたとかで、誰かに言いたかったらしい。

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狭井神社の井戸。
昔、この神社から三輪山に登った事を思い出す。
もう10年以上前のことだ。
今日は時間がないので登らない。

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ここのコップ、こんな滅菌装置までできていた。
そこまでやる必要あるのか?

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いよいよ山の辺の道らしくなってきた。
いま山の辺の道として整備されている道が昔からの山の辺の道そのものではないという話もあるが、この古代っぽい感じにわくわくさせられる。

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4月の下旬、まだ桜も咲いていた。

大神神社
大神神社

狭井神社
狭井神社

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奈良仏像旅:そうめん処 森正 2008.4

京都の定宿をチェックアウトし、三輪に向かった。
京都駅ー天理駅と電車を乗換え、三輪駅で下車。
着いた頃には12時少し前だった。
長旅だったが車窓から見る奈良の景色に少しも飽きることはなかった。

大神神社の鳥居を前にして、まずは腹ごしらえと「そうめん処 森正」に入る。

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のれんをくぐったところの中庭のようなところにテーブルが置かれ、2組の客がそうめんをすすっていた。

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頼んだのはにうめん。

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ツレが釜揚げ。
釜揚げは普通のそうめんよりもかなりの太さがある。噛むとそうめんの小麦の風味が口に広がり、普通のそうめんよりもうまい。思い出しながら書いていて、また食べたくなった。どこかでこの麺、手に入らないだろうか。

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そして柿の葉寿司。

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森正の向かいの店で売っていた「おばあちゃんのとちの実せんべい」というのを「とちの実」に惹かれて買った。
昔、五木寛之が古寺を巡るテレビ番組をやっていたが、その中でどこかの寺で「私はこのとちもちというのが大好物でねえ」と言いながら、実にうまそうにとちもちを食べているのを見たことがある。それ以来、ずっととちもちというのを食べたくて仕方がなかったのだ。それは去年の秋に鞍馬で実現したのでいいのだが、いまだにとちの実と見ると、気持ちがときめいてしまう。
鞍馬の話は旅行記としては書いてないが鞍馬駅前の数軒の店をはしごしてとちもちを買い食いしたのだった。
このせんべいはこれから山の辺の道を歩きながら食べるための貴重な食料としてかばんに入れた。

森正

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奈良仏像旅:Buono Roji(京都)2008.4

吉田寺からJR奈良駅近くのレンタカー屋まで戻り、車を返したあと、電車で京都駅に戻った。
程よい時間だったので京都の駅ビルで夕食を食べていく事に。
ここの駅ビルで食事をするなどずいぶん久しぶりのこと。

11階のBuono Rojiというイタリアンの店に入った。
8時からの予約の人が入っているので、それまでに食べ終えるなら、席に空きがあるという。
大丈夫。自慢じゃないが、我々はどちらも早食いなのだ。

席に案内してもらうと大きな窓から京都市内がよく見渡せた。

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時間的にコースは無理なので、単品でいくつか。
だいぶ前の話なので何を頼んだか忘れてしまったが、写真から判断するとこれはつきだしの冷製スープだろう。

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サラダ。生ハムが入ってバルサミコ酢がかかっているようだ。

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かすかな記憶によれば、これに京野菜が入っているのではなかったか。
味も接客もいい店だった。

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京都駅を出ると正面に京都タワー。
灯が入ると和蝋燭のイメージというのがよくわかる。
(検索してみると、実は灯台のイメージと書いてあるのがちらほらとある。何で京都で灯台か?。ロウソクでしょ?)

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奈良仏像旅:吉田寺 2008.4

法輪寺から法隆寺前を素通りして吉田寺へ。
きちでんじ、と読む。

ずいぶん前の事になるが、確か葛城に向かう途中だったと思う。やはりこの道を車で走ったことがあり、そのとき
「ぽっくり往生の寺 吉田寺」
という大きな看板を見た事がある。
そのときは、この寺の事はまったく知らず、おばちゃんがたくさん集まる、東京で言えばとげぬき地蔵みたいなお寺なのかなあと思った記憶がある。この看板が斑鳩の雰囲気と全然合わないというところがかえって気になり、あとで調べたところ、案外歴史の古い寺で(斑鳩の他寺と比べれば全然新しいが)平安時代の丈六の仏像があることを知ったのだった。

この寺は恵心僧都源信の創建とされ、源信が母の臨終に際し、祈願した衣服を着せたところ、苦しまずに往生を遂げたというところから、この寺で祈願するとぽっくり往生できるとされる。


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駐車場のところには放生池があり、その脇を通って入っていくと竹林に入っていく。
その先が境内だ。

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本堂に本尊の阿弥陀如来が祀られている。
金箔がきれいに貼られていて、一見新しそうに見えるが実は平安時代後期のものだ。
紫金と呼んでいいのかわからないが、渋めの金色に光っている。
古い仏像は金箔や彩色がはがれてぼろぼろになっているという思い込みがあって、なかなか古い仏像に見えてこないのだが、それでもじっくり見ればその姿は確かに平安時代後期に流行した定朝様(じょうちょうよう)の仏像だ。
光背には千体の化仏が付けられている。なかなか落ち着いたいい表情の像ではないか。

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境内には室町時代の多宝塔。
中には秘仏の大日如来が安置される。

境内の西側には天智天皇の妹であり孝徳天皇の皇后となった間人皇女の陵墓がある。

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ぽっくり往生という語感からもうちょっとミーハーな場所を想像していたが全然違った。
静かなひっそりとした寺だった。

吉田寺

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奈良仏像旅:法輪寺 2008.4

法起寺からすぐ近くのところにある法輪寺。

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法起寺、法隆寺とともに斑鳩三塔のひとつに数えられる。

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その中でも法輪寺の三重塔が一番スタイルがいいと思う。
小ぶりでありながら、存在感があり、上の層に行くに従って屋根が程よく縮まっていく。
組み物もうるさすぎない。

現存する三重塔の中では法起寺の塔が古いのだが、建てられたのはこちらの塔の方が古いという。
どういうことかというと、この塔は1944年に落雷によって焼失しているからだ。
その後、作家の幸田文氏の尽力によって基金が集まり、西岡棟梁の手によって1975年に再建された。
その塔は、古色を帯びた感じのままにいま建っている。これも西岡棟梁の技のすごさ故だろう。

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江戸時代に建てられた金堂。
収蔵庫(講堂)が建っているところにあったかつての講堂とこの金堂は、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』によると「天井は破れ、壁は剥落し、扉は傾いたまま風雨にさらされて」いたそうだ。昼までも鼠が走り回っていたという有り様だったという。昭和17年の状況だ。

そしていまの収蔵庫には、かつて金堂と講堂に安置されていた仏像がずらりと祀られている。

このうち薬師如来像と虚空蔵菩薩像は飛鳥時代のものだ。
どちらも止利仏師の作とされる。
薬師如来像は、同じ作者である法隆寺金堂の釈迦如来像や薬師如来像と良く似ている。ただし、この寺の像が木造なのに対して、法隆寺のは金銅仏だ。同じ作者と言われているが、金銅仏と木造では作り方が大きく違うはずなので、実際には止利工房のようなものがあって、その中で止利の指導で複数の人たちによって作り上げられたのだと思う。
虚空蔵菩薩は、そのぬぼーとした雰囲気が法隆寺の百済観音と似ている。

どちらもカラフルな火焔のような模様の付いた光背を背負っている。この火焔のようでもあり、霊気が沸き立つようにも見えるこの光背によって、この像はさらにただものでない印象を与える。

そういえば、前に来たときには妙見堂再建の募金をしていたが、数年前に無事に新しい妙見堂が完成していた。どういうわけか、この寺は何かしてあげないといけないような気にさせる。
かよわい女性を目の前に自分が支えてあげなければと勘違いする男の心情のようなものか。相手は少しもそんな感情はないのに。

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収蔵庫前では一輪の椿が夕日に照らされていた。

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法輪寺

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奈良仏像旅:法起寺 2008.4

矢田寺門前の「大久ら」で景色をごちそうにのんびりしたあとは、法起寺に向かった。
矢田丘陵の中央部の矢田寺から、南端部に位置する法起寺までは車を使って直線移動すると、結構近い。

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法起寺西門。

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見どころのひとつはこの三重塔。

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三重塔としては、西暦706年に建立されたとする現存する我が国最古のもの。
古いだけあって、組み物も非常にシンプルだ。

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法隆寺の五重塔にも見られる雲形肘木。風化のためなのか丸みを帯びたように見える。
どれだけの修理が入っているのかはわからないが、この雲形肘木は飛鳥時代のままの木なのだろうかと思った瞬間、想像を超えるほどの長い歴史を持っているであろう木のことを考えて、頭がくらくらしてきた。

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講堂。江戸時代始めに建立された建物。
この寺は、聖徳太子の遺言により、息子の山背大兄王によって岡本宮を寺に改めたのが始まりで、かつては七堂伽藍を誇る大寺だったが、やがて寺勢は衰え、江戸時代には三重塔を残すのみというありさまになっていたという。
それを憂いた当時の寺僧らが三重塔を修復し、この講堂を建てた。

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そして幕末の1863年にはこの聖天堂が完成し、現在の寺観が整うことになる。

講堂の本尊であった十一面観音は収蔵庫に安置されている。
像高350センチの大きな像だ。杉の一木造りというから、相当に太い材だったのだろう。
平安時代のもので、この時代の作風を反映して穏やかな表情をする。
霊木を使った一木造りのためか、それでいて威厳ある雰囲気があり、見ているうちに気持ちが引き締まる気がする。
顔や上半身の肌が露出した部分だけに金箔が貼られ、衣服の部分は木目がはっきりと見えている。
衣服の部分は以前は白い色が塗られていたようで、少し色が残っていた。

今もこの寺の周囲は畑に囲まれた静かなところにある。
聖徳太子の時代もこんな景色だったのだろうか。
そんなことを考えているとやっぱり頭がくらくらしてくる。

法起寺

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