« 2008年8月 | トップページ | 2008年11月 »

2008年9月

東大寺 大仏殿 突然の雷雨:奈良2008.8

三月堂から降りてきて、大仏殿の前に来た頃には何だか空模様が怪しくなっていた。
東大寺を訪れた場合、戒壇堂や二月堂、三月堂に立ち寄る事はあっても大仏殿の中に入る事はめったになく、久々に寄りたいと思っていた。ちょうどこの日は帰る日で、18時半の新幹線のチケットを取っていたので、雨に降られて京都に戻るのが遅くなると面倒な事になる。
だが、ま、いいか、降ったら降ったときに考えようと大仏殿に入る事にした。

まず中門の持国天(じこくてん)と兜跋毘沙門天(とばつびしゃもんてん)に挨拶をし、

P1080559

大仏殿前の灯籠の音声菩薩(おんじょうぼさつ)に挨拶をし、

Img_6262

奈良の大仏さんと再会する。

Img_6265

久しぶりに見るとでっかいなあと思う。
何もかもが大きい。

Img_6266

そうやって大仏殿でいろいろ感動しているうちに、雷鳴が聞こえてきた。雨も激しい音をたてて降り始めた。

P1080576

しょうがない。雨がやむのを待つことにしよう。
考える事は皆、同じで誰もがそのまま堂内で外を見上げながら雨宿りしている。
入ってくる人もなくなり、出て行く人もいないからとたんに人の動きもなくなった。
待っている間、人気だったのが柱の穴くぐり。

P1080573

子供がやるものだと思っていたが、大人も結構チャレンジしている。最初、西洋人の女性が通り抜け、それを見た日本人の男もくぐりぬけに成功していた。
売店ではひっきりなしに傘がどこかから運ばれてきては、飛ぶように売れていた。少し小ぶりになったので、その傘を買い、外に出た。

途中の歩道のアンダーパスは冠水して通れず、迂回した奈良公園では燈花会の灯籠が雨に流されていた。

P1080582_2

興福寺まで戻ってくると、すっかり雨はやみ、夕方の日の光が周囲を包んでいた。

Img_6281

奈良2008.8終わり。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

東大寺 三月堂〜四月堂:奈良2008.8

Img_6236

二月堂を降りると三月堂の前では

Img_6240

鹿がいちゃついていた。

Img_6242

人前でチューですか。

Img_6244

三月堂。正式名称は法華堂。
巨大な不空羂索観音を中心に日光・月光菩薩、梵天・帝釈天、四天王などなど堂内は宝石箱とも言われる仏教美術の宝庫。

向かって左側は天平時代に建てられた部分で、右側は鎌倉時代に増築されたもの。
ちなみに京都・奈良のお寺で仏像に会いましょうの第4刷以前ではP82の法華堂の写真が裏焼きされて左右が逆になってました。本をお持ちの方、すみません。。

四月堂は三月堂の前にある。
現在の本尊は千手観音だが、以前は普賢菩薩を本尊として祀っていたため、普賢堂とも呼ばれる。
向かって左側に扉の閉まった厨子があり、その中にかつての本尊の普賢菩薩が祀られている。
堂内を熱心に見ていたためか、お寺の方がその厨子を開けてくださった。
こちらの普賢菩薩には初めてお目にかかる。小ぶりな像で白い象に乗り静かに合掌している。
普賢菩薩の合掌して静かにたたずむ表情がとてもいい。

Img_6249

二月堂と彫られた灯籠には空蝉がとまっていた。
色即是空 空即是色の言葉を思い起こす。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

東大寺 戒壇堂〜二月堂:奈良2008.8

先日、『入江泰吉のすべて』を読んでいて、入江泰吉氏の自宅が戒壇堂の前の道沿いにあったということを知った。近くまで来たから探してみようかと思ったが、暑いし途中の道から戒壇堂のすぐ前に出てきてしまったので、そのまま戒壇堂に行く事にした。
もちろん四天王像が目当てだ。天平時代にこれほどまでの人の深い心理までも表現したような造詣が出来たということは逆に言えば、人間は大して進歩してないとも言えるわけで、この像を見るたびに複雑な気持ちになる。

Img_6210

戒壇堂の裏手に廻るとこんな土塀があった。
奈良の土塀、好きだ。

Img_6212

右 大ふつ  左 二月堂。
入江さんの写真にもこの石碑を写したものがあったような。

Img_6218

大仏殿の裏を回って二月堂に至る道。
定番中の定番だが、何度見てもこの中世っぽい風景はいい。

Img_6222

二月堂に上がる石段。
お水取りのときには、闇を切り裂くようにして松明を持った童子1人につき1人の連行衆がこの石段をとんとんと上がって上堂していく。

Img_6223

石段の下には参籠宿所。
紙衣を着て、祓い清められた連行衆が御水取りの時に寝泊まりする宿所だ。

Img_6224

初めてお水取りを見たときは、この石段のすぐ脇から二月堂を見上げる斜面で見たのだったなあ。(遠い目)

Img_6230

そして二月堂舞台上に到着。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

転害門:奈良2008.8

東大寺の転害門。三間一戸の八脚門。
中世の修理を受けているが、東大寺の中で唯一の天平時代の遺構。

Img_6196

この門は東大寺の鎮守、手向山八幡宮の祭礼が行われる重要な場所。
それで注連縄が結ばれている。

P1080532

厳しい警備が24時間行われる。
奥の丸い4つの石は祭礼の時に神輿が鎮座する場所。

Img_6186

脇には崩れかけた土塀。
奈良らしい風景でこういう土塀を見るのは好きなのだが、だんだんとなくなってきているようで残念に思う。

Img_6187

雨が落ちて穿った穴らしい。
ここまで穴が開くにはいったいどれだけの時間がかかったのか。

Img_6182

見上げた今の屋根には穴らしきものは開いていなかった。

Img_6190

転害門

| | コメント (0) | トラックバック (0)

五劫の擦り切れ:奈良2008.8

P1080529

まるで霊魂が抜け出す瞬間のようなイケメン少年の飛び出し注意看板に目を奪われながら到着した先は。。。

Img_6175

五劫院。
ここを訪れるために、わざわざ8月の暑い奈良にやってきたのだ。

P1080531

ここのご本尊は五劫思惟阿弥陀如来。別名アフロ如来。
「五劫」の劫とは非常に長い時間のことで、一辺40里の岩を天女が3年に一度、舞い降りて羽衣で撫で、岩が擦り切れてなくなるまでの時間のことをいう。五劫はその5倍だからとんでもなく長い時間ということだ。
阿弥陀如来は如来となる前は法蔵菩薩といったが、この法蔵菩薩が衆生を救済するにはどうしたら良いかを五劫の間、考え続けた。その結果、髪が伸び放題となった姿を表したのがここの五更思惟阿弥陀如来なのだ。

Img_6169

その昔、五劫思惟の阿弥陀如来を彫るよう言われた仏師がいた。
仏師「へっ?五劫の間、考え続けていたんですかい?いったいどのようなお姿にすれば良いので」
依頼者「人間は長い間じっとしていたらどうなる?」
仏師「お腹が空いて倒れますな。」
依頼者「馬鹿者。偉い菩薩様じゃ。五劫のあと更に偉い如来様になったのじゃ」
仏師「なら、髪は伸び放題、爪も伸び放題でしょうね。それでもやっぱり、お腹は空くでしょう。」
そんな会話から出来たのがこうした五劫思惟阿弥陀であった。(以上、まったくの想像)

何度か奈良国立博物館でお目にかかっているはずだが、本堂でお会いするのは初めて。
通常期は事前連絡することで拝観可能だが、8/1〜8/12(今年の場合)は事前連絡無しに拝む事ができる。

公開期間とはいえ雨戸は閉まっていたので、玄関で拝観をお願いすると、戸を開けてくれた。
正面に五劫思惟阿弥陀が座っている。ぼわぼわの髪の毛も気にする風でもなく、衆生救済の方策を考えついた安堵感のようなおだやかな表情をしていらっしゃった。ちなみに両手は衣に隠しているため、伸び放題の爪を見る事はできない。

本尊手前の卒塔婆には俊乗坊重源と書かれていた。
五劫院は東大寺の子院で開山は俊乗坊重源なのだ。そんな有名人の名が普通に卒塔婆に書かれているということに感動する。寺伝に因れば、この五劫思惟阿弥陀の像も重源が宋から請来したものとされる。

Img_6173

墓地の入口には見返り地蔵(別名朝日地蔵)と呼ばれる石仏がある。
後ろを見返り、ついておいでと言っているような石仏だ。

五劫院

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2008年8月 | トップページ | 2008年11月 »