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2008年12月

今年読んだ10冊

本来、このブログは本について書き記していこうと開設したのだが、いつしか旅行記ブログのようになってしまった。せめてもの帳尻合わせに今年読んだ中から10冊を選んで紹介したい。

まずは軽いところから。
『街道をついてゆく』

『街道をゆく』の最後の担当記者が司馬さんと過ごした6年間をつづったもの。記者の目を通した生身の司馬さんが描かれ、司馬ファンとしては本当に楽しく読める。旅の最中、同行者たちは司馬さんの話を聞くのが楽しみで毎夜、周囲に集まったという。最後にイラストを描いた安野氏はそれを司馬千夜一夜と表現した。話に酔って、不思議な別世界が出現するからだそうだ。そんな話に加われた人がうらやましい。
晩年、この国の行く末を憂え、かつてはあまりやらなかった講演や対談を多く引き受けていた。そして、『濃尾参州記』の取材後に倒れる。そのとき司馬さんは冷静に「ああ大貧血や」「時間、見て」と奥さんに言ったという。その後、吐血し、入院。「手術はイヤです」といったが、説得され手術室に入り、そのまま意識不明の状態となった。最後の話は涙なしでは読めませぬ。

『[自然農法]わら一本の革命』

先日、亡くなられたが、農薬を使わないだけでなく、肥料も耕すこともしない農法を編み出した福岡正信氏の本。農薬を使うようになったのは戦後のことだと思うが、もっと以前から行われてきた農業で肥料や耕しは必須のことと考えられてきたはずだが、それ自体もいらないことを発見した著者の常識を覆す発想がとても面白い。私自身は農業に関わっているわけではないが、こうしたものの考え方が痛切でとても興味深い。後半は文明批判が多くなりすぎてちょっと受け入れがたくなってくる。

『鈴木亜久里の挫折』

『鈴木亜久里の冒険』を大幅に修正し、加筆した本。2006年にスーパーアグリF1チームを立ち上げてF1に参戦し、わずか1年後の2007年にドライバー、佐藤琢磨による2度のポイント獲得、そして2008年、資金不足によりシーズン途中で無念の撤退をした鈴木亜久里の活動を描いている。『鈴木亜久里の冒険』では2007年シーズン後半の段階までが書かれているが、この本ではその後、撤退のいきさつまでが書かれる。それ以前の話も大幅に修正され、前の本では出ていなかった企業名なども書かれたりするなど、前の本を読んだ人も再び読む価値はある。ファンにとっては涙なしでは読めない1冊。

『てりむくり』

そった曲面を持つ屋根を「てり屋根」といい、ふくれた曲面を持つ屋根を「むくり屋根」という。その両方を合わせ持つ屋根を「てりむくり」といい、こうした屋根こそ日本独自の文化を表したものだという。筆者はかつて設計事務所を併設した商社を設立したという人で、屋根を通して日本文化を見つめる視線が斬新だ。古本屋で入手。いい本なのだが、出版社在庫はないままとなっているようだ。

『「黄泉の国」の考古学』

日本各地の古墳に描かれる壁画を通して古代人の死生観に迫る。これまでの考古学では古墳壁画は葬られた死者の生前の事績を顕彰するために描かれたというような説明がなされてきたが、そうではなくあくまで死者の魂を異界へと導くために描かれたとして、各地の古墳壁画を紹介しつつ、主張する。袖振り、太陽の船、馬など具体的にそのモチーフの意味を解き明かしていく過程などぞくぞくするくらいに好奇心をくすぐられる。中でも内陸部の洞窟葬の例として挙げられている長野県の鳥羽山洞窟は家から割と近いので、そのうち訪れてみたいと思う。
古本屋で入手。これもいい本なのだが、残念ながら出版社在庫はなし。

『邪鬼の性』

昭和42年に発行された本でいまは絶版になっている。古本屋で手に入れた。
四天王に踏まれる邪鬼に魅かれる人は昔から多いようで、この著者も学生時代から関心を持っていたという。法隆寺金堂のは「恩寵の邪鬼」、当麻寺金堂のは「思惟の邪鬼」、東大寺戒壇院、法華堂、西大寺四王堂のは「煩悩の邪鬼」、東寺講堂のは「不遜の邪鬼」、法隆寺上堂のは「反逆の邪鬼」とさまざまに邪鬼の特徴を分類する。邪鬼とは何かを改めて考えさせる。

『法隆寺の謎を解く』

法隆寺の中門は真ん中に柱があることが昔から謎とされてきた。インドをよく訪れていたという筆者は法隆寺の回廊はめぐる作法のためのものであると見、こうしたことを手がかりにして法隆寺建築の謎を解き明かしていく。さらには古代建築の様相から日本文化の原点を大胆に探っていく。知的好奇心を満たしてくれる一冊。

『日本の道教遺跡を歩く』

昭和61年から62年にかけて朝日新聞大阪本社版の文化面に掲載された「探究・日本の道教遺跡」に大幅加筆して単行本化したもの。いまでは飛鳥に皇極・斉明天皇が作った石の遺跡の数々に道教の影響をとなえる人は多いが、この当時は道教は一切日本に入ってこなかったという学説が主流だったらしい。唐の国教は道教だったし、中国では仏教と反目していた時代もあったが、仏教と習合した時代もあり、中国から仏教がやってきて道教だけが来なかったということが果たしてあり得たのだろうか、という疑問が発端でこの連載が生まれたのだそうだ。日本にある道教遺跡を巡っているが、いかにも道教くさい飛鳥ばかりではなく吉野や出雲、伊勢神宮にまで道教の影響が見られるのだという。日本固有の文化とはいったい何なのかということを考えさせてくれる。

『石の宗教』

日本は木の文化だと言われるが、案外、石に刻まれたものも多い。石仏、積石、列席、石塔、石碑など、路傍でさまざまな石造物を見ることができる。そして石には多くの謎が込められている。こうした石の謎を著者の大胆な仮説を交えて解き明かしていく。知的探求心を満たしてくれる一冊。

『大和万葉旅行』

筆者の堀内民一という人についてまったく知らなかったのだが、折口信夫に師事し、影響を受けながら奈良で独自の万葉研究を展開した人なのだそうだ。奈良の各地を万葉集の歌を引きながら、埋もれ、隠されたその土地の記憶をつむぎ出している。気品ある文章から奈良という地の美しさが染み出してくるようだ。

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帯解寺:奈良2008.11

帯解駅で降りたのは、帯解寺でこの期間に行われていた特別寺宝展を見るためだ。

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駅から5分も歩かないうちに寺に到着。

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寺宝展目当ての人は本堂裏手の建物から入る。
三面六臂大黒天像や春日大社の護法神である春日赤童子画像、虚空蔵菩薩坐像、文殊菩薩像などたくさんの像が安置されている。
曽我蕭白の絵など絵画も多く所蔵している。

その後、お寺の人の案内で本堂へ。いよいよ本尊の地蔵菩薩と対面だ。
この寺の地蔵は子安地蔵として知られていて、この日も安産祈願の家族連れの人が祈祷を求めて賑わっていた。見学の人もご一緒にどうぞと、祈願に来た2組の家族に混ざって、お寺の人の地蔵菩薩の説明を聞くが、ちょっと気恥ずかしいものがある。
人々から安産を祈願されるだけあって、堂々とした体躯の地蔵菩薩だ。腹前に裳の上端の布や結び紐があるのが、腹帯のように見えるため子安地蔵と呼ばれる。

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寺を出て再び帯解駅に着く。この駅は無人駅だ。
時刻表を見て驚いた。奈良行きの電車はあと1時間ない。
ここが桜井線の駅だということを忘れていた。

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ホームに出て右を見ても

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左も見ても、電車が来るはずがない。

6時半に京都駅を出発する新幹線で帰る予定なので、それに間に合わなければならない。
携帯の乗り換え案内を調べてみると、逆方向の天理に出て、そこから近鉄線で京都に行くルートが出た。これだと5時半に着くが、1時間後の桜井線で奈良経由で京都に行くとなると、着くのはかなりぎりぎりになるということがわかった。だいぶ遠回りな気がするが、天理経由で行くことにした。天理駅から始発の近鉄特急に乗り込み、お尻も痛くなってきた1時間ほど経って京都駅に到着。帰りの弁当をいつものように京都駅の伊勢丹で買い、無事に新幹線に乗り込んだ。
(奈良2008.11終わり)

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帯解のレトロ看板:奈良2008.11

大和小泉駅からJRでいったん、奈良駅に行き、桜井線に乗り換えて帯解駅へ。
このあたりはレトロ看板の宝庫だった。

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いまは人気の無い町だが、昔はもっとにぎやかだったんだろうな。

帯解のレトロ看板

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松尾寺から大和小泉駅まで:奈良2008.11

松尾寺を出て帰りは歩く。

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松尾寺門前にいた黒猫。人を気にすることなく悠然と横切っていった。

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奈良の秋の光景と言えば、やはり柿が似あう。

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それにしても柿が多くなりすぎてやしませんか?
しばらくのどかな奈良の農村の光景を見ながら歩く。

本当は最寄りのバス停まで歩くつもりだったが、行きはタクシーで門前まで来たのでその場所がわからない。最寄りと言っても距離が結構あるのは知っていたが、歩いていればバス停ぐらい見つかるだろうと思ったのが甘かった。途中、農作業をしていた人に聞いたが、ここから大和小泉駅までの間にバス停はないなあという。大した距離ではないから歩いたら?と言われ、歩くことにした。

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住宅街に入ってきた。そこにあったのが、片桐城跡にある高林庵。慈光院に同名の茶室があるが、それのことではなくて、財団法人高林庵『石州流茶道宗家高林庵』。石州流茶道宗家の本部であり、片桐家の居宅ともなっている。
片桐家は片桐且元を祖とし、代々この地の大名を務めた。
その立派な塀を横目に見ながら駅に向かって歩く。

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片桐城址の石碑が立つ。
その奥は、わざわざ言って見ようという気もおこらないような普通の住宅街だった。

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富雄川沿いにあった楠地蔵。屋根がかけられ、ベンチが置かれていたので少し休ませてもらった。
由緒書きによれば、昔、下流から逆に流れ着いたもので、石の地蔵だが、楠の化石だと俗称されるためにこのように呼ばれているのだそうだ。
地蔵の光背に赤いものが付いているが、これは昔この前で相撲を取って遊んでいた子供が地蔵の下敷きになって腸が飛び出して死んだ時の血痕と言われている、とその由緒書きに書かれている。
ここまで読んで、ぞっとしてそこをあとにした。

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一緒に祀られていた石仏。よだれかけから覗く顔から判断すると役行者だろうか。

ここから10分ほどで大和小泉駅に到着。
結局、松尾寺から1時間かかったけど、なかなか楽しいハイキングだった。

楠地蔵
楠地蔵

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松尾寺:奈良2008.11

翌朝、松尾寺に向かう。近鉄郡山駅で降り、駅前からタクシーに乗る。
10数分程で松尾山の頂上近い場所にある松尾寺に到着。日本書紀を編纂した舎人親王が、日本書紀の完成成就と厄除を祈願して建立したと伝わる最古の厄除け霊場だ。

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門をくぐり108ある石段を登っていくと本堂がある。

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本尊は千手観音。11月3日のみに公開される秘仏だ。この秘仏を拝むためにこの日にこの寺を訪れたのだ。
下から照明が当てられ神々しい。護摩炊きのせいか黒ずんでいる。唇の赤さが目立つ。
修験道当山派の本拠地として山岳信仰の修業の場でもあったこの寺の本尊だけあって厳しいお顔をしていらっしゃる。
本堂の前で座っていると厄除け祈願をする人が内陣に入り、ほどなくしてお経が始まった。
読んでいるのは般若心経だが、シンバルのような楽器をこすり合わせたりたたいたりし、さらに太鼓でリズムを取りながらお経が唱えられる。シンバルのような楽器は銅拍子と呼ばれるものらしい。お経を聞いていると、日本のお寺というよりはチベットあたりのお寺にいるような感じだ。

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七福神堂には七福神が祀られる。特にこちらの大黒天は憤怒の表情をする古いタイプの大黒天だ。
後世になると大黒天は大国主神と混同され、大きな福耳を持って笑顔をふりまき、小槌と袋を持ち、米俵に乗る福の神となるが、日本に入ってきた当初は「大いなる黒」を意味する破壊の神というもともとのインドの神の性格を色濃く残していた。
この大黒天は袋を肩に担いでいて、当初の破壊神から福神になるまでの進化(?)の途中の様相を示している。

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本堂からさらに石段を上がったところに明治の再建になる三重塔が建つ。

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塔の周囲には石仏が置かれている。

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さらに登っていくと松尾山神社。松尾大明神を祀る神社だ。

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松尾寺

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東横イン:奈良2008.11

その日の宿は、今年の夏に新大宮駅のすぐ近くにできた東横インにした。
東横インといえば、バリアフリー施設を不正に改造した事件で、スピード違反程度に過ぎないというような発言をした前の社長でや別の有名ホテルをパクったような名前からモラルのない悪質な企業という印象があった。しかし、その頃の報道の中でこのホテルの宿泊者にはファンも多いという記事もあって、気になっていたホテルでもあった。
今回奈良で安い宿を探すという使命もあり、新しくできた東横イン新大宮に泊まってみることにしたのだった。
ちなみにこのホテルの創業者でもある前の社長は、この事件後、取締役会長に退き、グループ会社の代表取締役会長となっていたが、東横イン松江駅前で硫化水素が発生した事件で不法投機が発覚して逮捕されたことから、東横イングループのすべての役職を離れたとのこと。

泊まってみてこのホテルのファンが多いというのがよくわかった。
ツインで8000円程度にもかかわらず、部屋はほどほどの広さがあって過ごしやすく、新しくできたばかりということもあって部屋はきれいだし、必要なものはすべて揃っている。しかも朝には無料の朝食がさほどロビー(それほど広い場所ではないが)で提供される。テレビは中国製で画面の横が切れてしまうし、音も悪いが別にテレビを見るために泊まるわけではないから構わない。
面白いと思ったのは部屋にちょっとしたオリジナル編集の雑誌が置かれているのだが、これが複数の市販の雑誌の記事を寄せ集めたものとなっていることだ。それぞれの雑誌社から記事をおそらく無料でそのまま提供してもらい、それを集めて1冊の雑誌としている。そのかわり雑誌社はそこに載ることで宣伝になるというWin-Winの関係になっているのだろう。読者もそれを読めることで3者がWin-Winになっている。宿泊費を安くするために削れるところは削っているのだが、客の満足感までは削らないような気配りが行き届いている。
以前、新大宮駅近くの別のホテルに泊まったことがあるが、ここは安い代わりに客の満足度も削るほどにコストを削っていた。
コストを削っても満足度は削らないというのが東横インの人気の秘訣なのだろう。逆にこういう徹底した意識が創業者の社長の不遜と思われるような発言に繋がったのだと思う。

夕食は以前にも利用したことがあるが、近くにある中華料理屋、桃谷樓ヘルシーガーデン店。ギョウザはべちょっとしていたり、必ずしもすごくおいしいわけではないが、静かに落ち着いて食事ができるのと、気持ちのいい対応をしてくれる店員さんがいるところが○。

東横イン新大宮

桃谷樓ヘルシーガーデン店

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法隆寺西円堂:奈良2008.11

再び法隆寺境内に戻り、大宝蔵殿へ。工事中の金堂から四天王がこちらに移されているのだ。
いつもは暗い金堂内でしか見られない四天王を蛍光灯のもとでまじまじと見る。
四天王は威厳ある表情で邪鬼の上にまっすぐと立っている。後世になると邪鬼は身をよじってアクロバティックな格好で逃れようとするようになるが、この邪鬼はまったく観念したような顔をして、背中に四天王たちを乗せている。四天王も当然というような格好でその背中に静かに立つ。

邪鬼は前から見るとひじをついて両手を上に差し出しているのは、よく見知った姿だが、横や後ろからの格好は始めてみた。前から見た姿がひじをついているのだから、想像すればわかるのだが後ろ足もひざをついてカエルのように四つんばいになっているのだった。それにすべての邪鬼には胸に2つの膨らみがある。邪鬼の一体は牛の顔をしているが、牛であれば乳房があっても不思議はないが、他は?
邪鬼とはそもそも何者なのかというのは、いまもはっきりしないようだが、ここに考えるヒントがありそうな気がする。

四天王が囲んでいる中心には復元した玉虫厨子が置かれていた。本物はさっき、大宝蔵院で見てきたが、こちらは平成に復元したもの。ふんだんに使われた玉虫の羽がエメラルドグリーンに輝いている。なんという美しさだろう。
四天王と玉虫厨子を見ていると閉館のアナウンスがあり、いま見てきた展示室のシャッターが順次閉められている。もう少し見ていたかったが、シャッターを閉める係のおじさんに追われるようにして建物を出た。
最後のもう一ヶ所、行くべきところがあることを思い出した。西円堂だ。早足で西院伽藍の中門前を通り過ぎ、境内西の端にある西円堂へ。間に合った。お堂の中を目を凝らして、中にいらっしゃる丈六の薬師如来に挨拶をした。こちらもお堂を離れたら、戸締まりが始まった。

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夢違:奈良2008.11

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法起寺から再び法隆寺まで戻ってきて、少し休もうと入った夢違(ゆめたがえ)。喫茶店だ。

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公民館のような作りの建物で、入り口で靴を脱いで下駄箱に入れて上がる。聞くと以前は学習塾だったのだそうだ。

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頼んだチャイは350円。

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裏には椿地蔵があった。
昔、この地蔵の祠のそばで旅人が病に倒れ、体を休めていると夢枕に地蔵が現れ「椿を食べなさい」と言われた。旅人が椿を食べると病が癒え、無事に旅を続けられたという話から、椿地蔵と呼ばれるという。
古来から椿には霊力が宿るとされ、東大寺修二会でも紅白の椿の造花を作って仏前に供えたりする。乾燥させた椿を煎じて飲むことで滋養強壮に効くとされ、この話は霊力ある椿と具体的な効能の両方を合わせ持った話としてできたのだろう。

創作市場 夢違

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