奈良2008.11

帯解寺:奈良2008.11

帯解駅で降りたのは、帯解寺でこの期間に行われていた特別寺宝展を見るためだ。

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駅から5分も歩かないうちに寺に到着。

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寺宝展目当ての人は本堂裏手の建物から入る。
三面六臂大黒天像や春日大社の護法神である春日赤童子画像、虚空蔵菩薩坐像、文殊菩薩像などたくさんの像が安置されている。
曽我蕭白の絵など絵画も多く所蔵している。

その後、お寺の人の案内で本堂へ。いよいよ本尊の地蔵菩薩と対面だ。
この寺の地蔵は子安地蔵として知られていて、この日も安産祈願の家族連れの人が祈祷を求めて賑わっていた。見学の人もご一緒にどうぞと、祈願に来た2組の家族に混ざって、お寺の人の地蔵菩薩の説明を聞くが、ちょっと気恥ずかしいものがある。
人々から安産を祈願されるだけあって、堂々とした体躯の地蔵菩薩だ。腹前に裳の上端の布や結び紐があるのが、腹帯のように見えるため子安地蔵と呼ばれる。

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寺を出て再び帯解駅に着く。この駅は無人駅だ。
時刻表を見て驚いた。奈良行きの電車はあと1時間ない。
ここが桜井線の駅だということを忘れていた。

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ホームに出て右を見ても

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左も見ても、電車が来るはずがない。

6時半に京都駅を出発する新幹線で帰る予定なので、それに間に合わなければならない。
携帯の乗り換え案内を調べてみると、逆方向の天理に出て、そこから近鉄線で京都に行くルートが出た。これだと5時半に着くが、1時間後の桜井線で奈良経由で京都に行くとなると、着くのはかなりぎりぎりになるということがわかった。だいぶ遠回りな気がするが、天理経由で行くことにした。天理駅から始発の近鉄特急に乗り込み、お尻も痛くなってきた1時間ほど経って京都駅に到着。帰りの弁当をいつものように京都駅の伊勢丹で買い、無事に新幹線に乗り込んだ。
(奈良2008.11終わり)

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帯解のレトロ看板:奈良2008.11

大和小泉駅からJRでいったん、奈良駅に行き、桜井線に乗り換えて帯解駅へ。
このあたりはレトロ看板の宝庫だった。

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いまは人気の無い町だが、昔はもっとにぎやかだったんだろうな。

帯解のレトロ看板

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松尾寺から大和小泉駅まで:奈良2008.11

松尾寺を出て帰りは歩く。

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松尾寺門前にいた黒猫。人を気にすることなく悠然と横切っていった。

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奈良の秋の光景と言えば、やはり柿が似あう。

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それにしても柿が多くなりすぎてやしませんか?
しばらくのどかな奈良の農村の光景を見ながら歩く。

本当は最寄りのバス停まで歩くつもりだったが、行きはタクシーで門前まで来たのでその場所がわからない。最寄りと言っても距離が結構あるのは知っていたが、歩いていればバス停ぐらい見つかるだろうと思ったのが甘かった。途中、農作業をしていた人に聞いたが、ここから大和小泉駅までの間にバス停はないなあという。大した距離ではないから歩いたら?と言われ、歩くことにした。

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住宅街に入ってきた。そこにあったのが、片桐城跡にある高林庵。慈光院に同名の茶室があるが、それのことではなくて、財団法人高林庵『石州流茶道宗家高林庵』。石州流茶道宗家の本部であり、片桐家の居宅ともなっている。
片桐家は片桐且元を祖とし、代々この地の大名を務めた。
その立派な塀を横目に見ながら駅に向かって歩く。

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片桐城址の石碑が立つ。
その奥は、わざわざ言って見ようという気もおこらないような普通の住宅街だった。

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富雄川沿いにあった楠地蔵。屋根がかけられ、ベンチが置かれていたので少し休ませてもらった。
由緒書きによれば、昔、下流から逆に流れ着いたもので、石の地蔵だが、楠の化石だと俗称されるためにこのように呼ばれているのだそうだ。
地蔵の光背に赤いものが付いているが、これは昔この前で相撲を取って遊んでいた子供が地蔵の下敷きになって腸が飛び出して死んだ時の血痕と言われている、とその由緒書きに書かれている。
ここまで読んで、ぞっとしてそこをあとにした。

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一緒に祀られていた石仏。よだれかけから覗く顔から判断すると役行者だろうか。

ここから10分ほどで大和小泉駅に到着。
結局、松尾寺から1時間かかったけど、なかなか楽しいハイキングだった。

楠地蔵
楠地蔵

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松尾寺:奈良2008.11

翌朝、松尾寺に向かう。近鉄郡山駅で降り、駅前からタクシーに乗る。
10数分程で松尾山の頂上近い場所にある松尾寺に到着。日本書紀を編纂した舎人親王が、日本書紀の完成成就と厄除を祈願して建立したと伝わる最古の厄除け霊場だ。

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門をくぐり108ある石段を登っていくと本堂がある。

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本尊は千手観音。11月3日のみに公開される秘仏だ。この秘仏を拝むためにこの日にこの寺を訪れたのだ。
下から照明が当てられ神々しい。護摩炊きのせいか黒ずんでいる。唇の赤さが目立つ。
修験道当山派の本拠地として山岳信仰の修業の場でもあったこの寺の本尊だけあって厳しいお顔をしていらっしゃる。
本堂の前で座っていると厄除け祈願をする人が内陣に入り、ほどなくしてお経が始まった。
読んでいるのは般若心経だが、シンバルのような楽器をこすり合わせたりたたいたりし、さらに太鼓でリズムを取りながらお経が唱えられる。シンバルのような楽器は銅拍子と呼ばれるものらしい。お経を聞いていると、日本のお寺というよりはチベットあたりのお寺にいるような感じだ。

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七福神堂には七福神が祀られる。特にこちらの大黒天は憤怒の表情をする古いタイプの大黒天だ。
後世になると大黒天は大国主神と混同され、大きな福耳を持って笑顔をふりまき、小槌と袋を持ち、米俵に乗る福の神となるが、日本に入ってきた当初は「大いなる黒」を意味する破壊の神というもともとのインドの神の性格を色濃く残していた。
この大黒天は袋を肩に担いでいて、当初の破壊神から福神になるまでの進化(?)の途中の様相を示している。

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本堂からさらに石段を上がったところに明治の再建になる三重塔が建つ。

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塔の周囲には石仏が置かれている。

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さらに登っていくと松尾山神社。松尾大明神を祀る神社だ。

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松尾寺

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東横イン:奈良2008.11

その日の宿は、今年の夏に新大宮駅のすぐ近くにできた東横インにした。
東横インといえば、バリアフリー施設を不正に改造した事件で、スピード違反程度に過ぎないというような発言をした前の社長でや別の有名ホテルをパクったような名前からモラルのない悪質な企業という印象があった。しかし、その頃の報道の中でこのホテルの宿泊者にはファンも多いという記事もあって、気になっていたホテルでもあった。
今回奈良で安い宿を探すという使命もあり、新しくできた東横イン新大宮に泊まってみることにしたのだった。
ちなみにこのホテルの創業者でもある前の社長は、この事件後、取締役会長に退き、グループ会社の代表取締役会長となっていたが、東横イン松江駅前で硫化水素が発生した事件で不法投機が発覚して逮捕されたことから、東横イングループのすべての役職を離れたとのこと。

泊まってみてこのホテルのファンが多いというのがよくわかった。
ツインで8000円程度にもかかわらず、部屋はほどほどの広さがあって過ごしやすく、新しくできたばかりということもあって部屋はきれいだし、必要なものはすべて揃っている。しかも朝には無料の朝食がさほどロビー(それほど広い場所ではないが)で提供される。テレビは中国製で画面の横が切れてしまうし、音も悪いが別にテレビを見るために泊まるわけではないから構わない。
面白いと思ったのは部屋にちょっとしたオリジナル編集の雑誌が置かれているのだが、これが複数の市販の雑誌の記事を寄せ集めたものとなっていることだ。それぞれの雑誌社から記事をおそらく無料でそのまま提供してもらい、それを集めて1冊の雑誌としている。そのかわり雑誌社はそこに載ることで宣伝になるというWin-Winの関係になっているのだろう。読者もそれを読めることで3者がWin-Winになっている。宿泊費を安くするために削れるところは削っているのだが、客の満足感までは削らないような気配りが行き届いている。
以前、新大宮駅近くの別のホテルに泊まったことがあるが、ここは安い代わりに客の満足度も削るほどにコストを削っていた。
コストを削っても満足度は削らないというのが東横インの人気の秘訣なのだろう。逆にこういう徹底した意識が創業者の社長の不遜と思われるような発言に繋がったのだと思う。

夕食は以前にも利用したことがあるが、近くにある中華料理屋、桃谷樓ヘルシーガーデン店。ギョウザはべちょっとしていたり、必ずしもすごくおいしいわけではないが、静かに落ち着いて食事ができるのと、気持ちのいい対応をしてくれる店員さんがいるところが○。

東横イン新大宮

桃谷樓ヘルシーガーデン店

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法隆寺西円堂:奈良2008.11

再び法隆寺境内に戻り、大宝蔵殿へ。工事中の金堂から四天王がこちらに移されているのだ。
いつもは暗い金堂内でしか見られない四天王を蛍光灯のもとでまじまじと見る。
四天王は威厳ある表情で邪鬼の上にまっすぐと立っている。後世になると邪鬼は身をよじってアクロバティックな格好で逃れようとするようになるが、この邪鬼はまったく観念したような顔をして、背中に四天王たちを乗せている。四天王も当然というような格好でその背中に静かに立つ。

邪鬼は前から見るとひじをついて両手を上に差し出しているのは、よく見知った姿だが、横や後ろからの格好は始めてみた。前から見た姿がひじをついているのだから、想像すればわかるのだが後ろ足もひざをついてカエルのように四つんばいになっているのだった。それにすべての邪鬼には胸に2つの膨らみがある。邪鬼の一体は牛の顔をしているが、牛であれば乳房があっても不思議はないが、他は?
邪鬼とはそもそも何者なのかというのは、いまもはっきりしないようだが、ここに考えるヒントがありそうな気がする。

四天王が囲んでいる中心には復元した玉虫厨子が置かれていた。本物はさっき、大宝蔵院で見てきたが、こちらは平成に復元したもの。ふんだんに使われた玉虫の羽がエメラルドグリーンに輝いている。なんという美しさだろう。
四天王と玉虫厨子を見ていると閉館のアナウンスがあり、いま見てきた展示室のシャッターが順次閉められている。もう少し見ていたかったが、シャッターを閉める係のおじさんに追われるようにして建物を出た。
最後のもう一ヶ所、行くべきところがあることを思い出した。西円堂だ。早足で西院伽藍の中門前を通り過ぎ、境内西の端にある西円堂へ。間に合った。お堂の中を目を凝らして、中にいらっしゃる丈六の薬師如来に挨拶をした。こちらもお堂を離れたら、戸締まりが始まった。

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夢違:奈良2008.11

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法起寺から再び法隆寺まで戻ってきて、少し休もうと入った夢違(ゆめたがえ)。喫茶店だ。

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公民館のような作りの建物で、入り口で靴を脱いで下駄箱に入れて上がる。聞くと以前は学習塾だったのだそうだ。

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頼んだチャイは350円。

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裏には椿地蔵があった。
昔、この地蔵の祠のそばで旅人が病に倒れ、体を休めていると夢枕に地蔵が現れ「椿を食べなさい」と言われた。旅人が椿を食べると病が癒え、無事に旅を続けられたという話から、椿地蔵と呼ばれるという。
古来から椿には霊力が宿るとされ、東大寺修二会でも紅白の椿の造花を作って仏前に供えたりする。乾燥させた椿を煎じて飲むことで滋養強壮に効くとされ、この話は霊力ある椿と具体的な効能の両方を合わせ持った話としてできたのだろう。

創作市場 夢違

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法起寺とコスモス:奈良2008.11

中宮寺を出て古びた土塀を見ながら歩いて北へ向かう。

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向かった先は法起寺。
法起寺へは今年の春に行ったばかりだが、ある景色の撮影のために歩いていったのだった。

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池のほとりに集められて置かれていたこれはお墓ですね。
その後ろでは白鷺が餌をついばんでいた。

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昭和の時代、写真家・入江泰吉が取り続けた奈良の光景を思い起こさせる。
まだこんな景色が残っているなんてうれしいことだ。
でもちょっと視線をずらすとコンクリートの建物が目に入ってしまうのが残念。

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こんな景色を見ながら奈良はいいなあとしみじみ思う。

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法起寺と言えばコスモス。
撮りたかった景色とはこういうの。

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法起寺門前にもコスモス。

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目当ての写真が撮れたので、中には入らずここで引き返した。

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法隆寺夢殿と中宮寺:奈良2008.11

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法隆寺夢殿は八角円堂の建物。中には秘仏・救世観音が祀られる。
明治になってフェノロサと岡倉天心が絶対の秘仏として布でぐるぐる巻きにされていたというこの像の布を取り除いた。このとき、お堂の扉を開けると祟りがあると寺僧は皆逃げ去ったという。
長い間秘仏とされてきたこの像は金箔の色も鮮やかで、その顔は人間臭く生々しい。大きな鼻に太い唇を持ち、大きな目を見開いている。唇の端をきゅっと上にあがるアルカイックスマイル。聖徳太子の生き写しとも言われる像だが、この表情を見ているとそれも本当かもしれないと思わせる。
いまも春と秋にしか公開されない秘仏だ。

夢殿の塀の向うは中宮寺。如意輪観音として祀られてきた菩薩半跏像が安置される。
その像容から弥勒菩薩では、と言われる像だ。
尼寺にふさわしく女性らしい柔らかさを持ち、にこやかに微笑んでおられる。
全身が漆黒の姿をしているが、かつては極彩色の色が塗られていたという。いまの黒い姿のこの像を見ていると、その真っ黒な体の輪郭に向かって吸い込まれるような錯覚を覚えることがある。その向うには弥勒の宇宙が広がっているのだろうか。

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本堂は昭和43年に吉田五十八によって設計された鉄筋コンクリート造り。現代の素材を使って建てられた建物でありながら、気品があって美しいと思う。吉田五十八の作品には他に東京の歌舞伎座、五島美術館などがある。日本の伝統的建築を現代の素材を使って再構築した人だった。
ところで、この吉田五十八設計による歌舞伎座はその持ち主の松竹によって2010年に取り壊され、新しくビルに建て替えられる。平成14年に国の登録有形文化財に登録されているが、これは建物の保存には何の効果もないようだ。歌舞伎座のすぐ南側には松竹のガラス張りで薄ら寒い感じで景観に何の配慮もないしょーもないビルが建っているが、こんなビルを建て、歌舞伎座のような建物を平気で壊すこの会社は日本の伝統文化を扱いながら、伝統美というものへの美的感覚をお持ちではないらしい。残念なことだ。

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法隆寺西院伽藍:奈良2008.11

翌朝、JRで法隆寺駅へ。なんか駅が新しくなっている。電車で来たのはもう10年以上前か。
確か法隆寺行きのバスが出ていたはずだが、と駅を出るがバス乗り場さえ見つからず。何だかいろいろと駅の周辺も変わっているような気がするが、10年以上前の記憶なのでなんとも。
あとでわかったことだが、バス乗り場は南口だった。

歩いても30分くらいだし、ま、いいかと徒歩で法隆寺へ。

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松並木の南端に到着。
ここから国道を横切ってまっすぐに続く松並木の真ん中を歩いて南大門へ向かう。

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南大門をくぐると正面に中門。その背後に五重塔と松の背後に金堂。
この景色、中世っぽくて雄大ですごくいい。

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中門の仁王様。大変ご無沙汰しておりました。

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五重塔。装飾の少ない古様が力強い。
初層の四面には釈迦の入滅の場面や弥勒菩薩下生の場面などの塑像群が置かれている。天気の悪い日はこの中、暗くてなかなか見えないが、この日は秋晴れのいい天気で苦労せずに見える。

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塔の軒を支える邪鬼さんもがんばっていた。

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金堂と五重塔。
いやもうこの建物かっこ良すぎる。

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西院伽藍の周囲には廻廊が巡らされている。壁には連子窓が取り付けられ、柱は中心が膨らむエンタシス。この素朴な力強さの美のすごさ。
写真家・土門拳もこの廻廊の風景が好きだと言っていた。(確か)

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廻廊の連子窓から見る景色。

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桜の紅葉と大講堂。

この日、金堂は補修中で本尊の釈迦三尊は大講堂の背後の上御堂で公開されていた。上御堂の本来の本尊である釈迦三尊の前に置かれ、主役の座を奪っていた。
薄暗い金堂と違ってよく見えるのがうれしい。止利仏師による面長の顔立ちにアーモンド型の眼、唇の端を上に持ち上げたアルカイックスマイルも間近によく見える。
金堂の四天王はと見渡すと、こちらは法隆寺秘宝展として収蔵庫で公開しているらしい。ここもあとで行ってみよう。

大宝蔵院で愛らしい童顔の夢違観音や排仏毀釈の際に大神神社から来た骨太の地蔵菩薩などを見て、いよいよ百済観音と再開。ひょろっとした細長い胴体に、りんかくのはっきりしない笑みを浮かべた顔。じっと見ていると果たしてこの像は本当にそこに実在しているんだろうかと疑問が浮かぶような、かげろうのような像だ。
何でも白黒はっきりさせないといけない今の時代に対して、別にあいまいでいいじゃん、それが日本の文化のいいところなのさ、という声が聞こえたような気がした。

法隆寺西院伽藍

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