奈良仏像旅2008.4

奈良仏像旅: はつだの牛肉弁当 2008.4

予定よりも早く京都駅に着きそうだったので、帰りの近鉄特急の中で携帯から予約していた新幹線の席を1時間ほど早い時間に変更した。JR東海のエクスプレス会員なので、ネットを使って予約や変更が簡単にできるのだ。便利な世の中になったものだ。

近鉄もネットから予約ができるというのがあって、近鉄特急は奈良に来るときによく使うから会員になっておくと便利か、と思っているが、そこまでしなくていいかとも迷いつつ、いつまでたっても会員にならずにいる。

京都の駅ビルも新しくスバコというエキナカが出来て、より便利になった。これまでは駅ビルの方の伊勢丹で帰りの新幹線で食べる弁当を買っていたが、今度からはここでも買える。ここも伊勢丹がやっているようなので、ややこしいのだが。
しかし、今日は駅ビルの伊勢丹で、予約してあったはつだの牛肉弁当を受取った。ここ最近の帰りの新幹線での定番となっている。

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さ、開けてみよう。

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ご飯の上にキャベツを敷き詰め、その上に牛肉を載せただけのびっくりするくらいなシンプルさだ。しかし、口に入れると、あぶった牛肉の香ばしいかおりが鼻に抜け、これが実にうまい。シンプルであるがゆえに味の印象も強く、また食べたくなってしまうのだろう。

東京駅で乗り継ぎ電車を待つ間の暇つぶしにと思って、構内の本屋に入って見つけたのが『陰陽師』
安倍文殊院で貰った晴明のことが書かれた冊子の影響を受けて、つい買ってしまった。
面白いとは思ったけど、このシリーズを読破しようというほどの気にはならなかった。

(奈良仏像旅 2008.4 おしまい)

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奈良仏像旅: 安倍文殊院 2008.4

景色が完全に景色として少しも面白みのないごく普通の住宅地になったところに安倍文殊院があった。有名なお寺だが、来るのは初めて。どんなところかわくわくする。

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朱のあざやかな門。
最近塗り直したらしいが、門の木はかなりぼろぼろな感じだった。

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拝観を申し込むと有無を言わさず、抹茶とお菓子が付いてくる。
そんなこととも知らずに、さっきだんご庄のだんごを食べたばかりだ。

お菓子には五芒星が付いている。この寺は安倍晴明の生誕地でもある。
晴明ブームにあやかろうとしているのか、境内至るところにこの五芒星があって、特に晴明に興味を持っているわけでもない自分にはちょっと食傷気味だった。

食傷気味と言えば、お菓子の方も。いや、ありがたく抹茶で流し込み、本堂に向かった。

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お目当てはこちらの文殊菩薩五尊。
文殊菩薩は大きな獅子の上に座る。獅子の足下から文殊の頭までは7メートルの高さがあるという大きなものだ。優塡王(うでんおう)は獅子の首につけた紐を持ち、僧形の須菩提(すぼだい)と老人姿の維摩居士(ゆいまこじ)は脇に立つ。そして、手前には文殊菩薩を合掌しながら見上げる善財童子(ぜんざいどうじ)。この5人構成の文殊パーティを渡海文殊という。
作者は快慶。
上の写真の右側が文殊菩薩で、左が善財童子。
文殊は快慶の特徴であるきりっとした理知的な顔をしているが、善財童子は快慶らしさが出ていない。
運慶はすごく子供らしいはつらつとした童子像を多く造ったが、快慶はこの像を見る限りでは苦手だったようだ。正直言ってぜんぜんかわいくない。
前の本で運慶は子供好きだったのではないか、と書いた事があるが、快慶はその逆で、一流の腕を持っているが、人付き合いが苦手な孤独な職人タイプだったのではないかとこの像を見ると思えてくる。

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境内には稲荷神社や白山神社などの神社があったり、

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安倍文殊院東古墳と西古墳の2つの古墳があったりする。
西古墳は中に入れるようになっていて、中には身代わり不動が立っている。

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石仏も多く祀られ、

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花の広場には毎年花でその年の干支を作るというジャンボ絵馬。

境内各地にある御利益巡りのスタンプを押すと貰えるというので、全部で5箇所廻って『安倍晴明生誕伝承物語』という冊子と五芒星入りの念珠をいただいた。
帰りの新幹線でこの冊子を読んだが、なかなか面白い。最後のページに筆者の写真が出ているが、これを見て「えっ。このおっさんがこんな女性口調の繊細な文章を書くの?」とうなってしまったのは秘密である。

境内は散策を飽きずにいろいろと楽しめるように考えられていて、なかなか楽しい。
上から目線でない庶民に開かれたお寺、今の日本仏教にとって、いや、おかしな事件が増えてしまったこの国にとって必要だと思う。

安倍文殊院

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奈良仏像旅: 聖林寺〜安倍文殊院 2008.4

聖林寺を出て安倍文殊院まで歩く。

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石仏や石碑が立ち、

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いい感じの道が続く。

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そしてまた石仏。

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杉玉のさがった造り酒屋が見えてきた。

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おや?何か書いてある。

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「NHKドラマ ダイヤモンドの恋 田端旅館」
あ、これは、見た事がある。
浅野温子主演で桜井周辺が舞台で遺跡発掘をする話が出てくるドラマだ。
ダイヤモンドの恋

ここだったのか。

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メスリ山古墳。
大きな鳥居も見える。近くまで行って見たかったが、あまり時間もないので素通り。
古墳時代前期の前方後円墳で、長さは200メートルを超えるという。
石室からは鏡、車輪石、玉などいろいろなものが出土した。墳丘上には古墳を囲むように埴輪の列も見つかっている、同時期の古墳の中でも最大級のものだ。

メスリ山古墳
メスリ山古墳

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奈良仏像旅: 聖林寺 2008.4

八木駅近くのタクシー乗り場からタクシーに乗り込み、行き先を告げた。
「聖林寺まで」
「ショウリンジ?」
「ええ、十一面観音で有名な」

通じなかった。。。
結局、手持ちの地図を見せて行ってもらった。仏像界では有名なこの寺も、一般の人は知らないのかとショックだった。桜井駅からならともかく、八木からタクシーで聖林寺に行く人などいないのだろう。

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この聖林寺の看板、懐かしい。ここに来るのは7,8年ぶりだ。

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この石垣の上に寺はある。
わくわくする気持ちを抑えながら坂を上る。

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門に着いた。ここの昔と少しも変わらない。

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初めて見たときはずいぶんとびっくりした本堂におわす本尊の巨大で真っ白なお顔の地蔵石仏。この像もだいぶ見慣れた。いつもは気持ちを抑えきれず上の観音堂へとそそくさと向かっていたが、今日は本堂で気持ちをクールダウンさせる。
あまり本堂の中をじっくり見る事はなかったが、よく見ればこちらにもいろいろな仏像が祀られている。地蔵の両側には掌善・掌悪童子という他にはあまり見られない名の童子が配され、隣には阿弥陀三尊像、その反対側には不動明王や毘沙門天像。如来荒神坐像といういかにも神仏習合的な像もあった。形としてはきらびやかに飾り立てられ、6臂の手には金剛杵などを持つ密教の像だ。

縁側に出て見た。

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上の写真の右側は三輪山のなだらかな稜線。左奥のこんもりした長細いのは箸墓の前方後円墳だ。
なんという贅沢な景色か。

そろそろいいだろうと、本堂を出て、上の観音堂に上った。
お目当ての十一面観音が小さな堂内の中央に立っている。
大神神社の神宮寺である大御輪寺の本尊だった像だ。かつてはいまは玄賓庵の不動明王と法隆寺の地蔵菩薩を両脇に配して立っていた。その寺が明治の神仏分離令で廃寺となり、聖林寺に運ばれてきた。
白洲さんの『十一面観音巡礼』によると、寺の縁の下に捨てられていたこの像を発見したのはフェノロサで、聖林寺の住職と相談してこの寺に置く事に決めたのだという。フェノロサは像を運ぶ大八車に寄り添いながら寺まで歩いてきたという。

顔はところどころ剥がれた金箔もあって、厳しい顔をしている。しかし、繊細な指先や豊満な肉体など柔和で優しげな表情も見せる。それはまさしく神の厳しくも慈愛溢れる姿を表したかのようだ。厳しい顔も座って見上げると頬のふくらみがさらに強調されてやわらかい表情になる。胸のふくらみや腰のキュッとしまったくびれなどは女体を見ているかのようで、エロチックだ。

和辻哲郎など多くの人が称賛してきた美の像。
いつまでも白痴になったように見ていたいが、そうもいかない。
お堂を出るときに振り返ってみたら、なぜか十一面観音が寂しげな顔をしていた。いや、寂しいと思ったのはこちらの方。もう一度振り返ってみたら、もとのお顔に戻っていた。

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訪れたのは4月29日。
鯉のぼりが大和の風に翻っていた。

聖林寺

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奈良仏像旅: だんご庄 2008.4

翌朝、まずは大和八木駅近くのだんご庄に立ち寄った。ネットの某所でうまいとの評判を見たからだ。

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店の奥でおばさん達がせっせとだんごを作っているのが見える。
8本入りのを買った。

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別袋に入っているきなこを食べる直前にかけるようになっている。
評判通り、ほどよい甘味と柔らかい餅がうまい。
一人で紙袋2,3個分買っている人もいたが、それだけのことはある。朝早かったので並んでいる人はいなかったが、時間によってはずらっと行列が並ぶそうだ。

最終日の今日は聖林寺までタクシーで行き、桜井駅まで歩きながら安倍文殊院に寄る予定だ。
このだんごも聖林寺から安倍文殊院まで歩いている途中で胃袋に収まる事になった。

だんご庄八木店

だんご庄

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奈良仏像旅: ビジネス観光ホテル 河合 2008.4

柳本駅からちょうどのタイミングで来た桜井線に乗り込み、畝傍駅で下車。今日の宿に向かう。

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畝傍駅。初めての駅だと思ったが、そういえば何年か前にこの駅、降りた事がある。
あのときは何をしていたんだったろう。
そうだ、香久山に登ろうとしたのだが、あまりの激しい雨に断念し、このあたりをうろうろしていたんだった。

この駅の北東から大和八木駅の南東の一画に古い街並みが残っている。

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上の写真のような建物がごく当たり前のように建っていて、すごく面白い。
この近くだと今井町にもこういう古い集落があるが、今井町はちょっとテーマパークっぽい人為的なわざとらしさを感じたのに対して、こちらはごく普通に人が暮らす普通の街並みという感じがある。

今日の宿は ビジネス観光ホテル 河合
表は周囲の古い木造の家とは似合わない鉄筋コンクリートの無粋な建物。

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1階の和室10畳の部屋で、茶室のある庭に面していた。

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庭にはお稲荷さんらしい鳥居もある。

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料金安めのビジネスホテルだが、室内の普請は凝っている。

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本物の材を使ったちゃんとした和室の部屋だ。

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夕食は大和八木駅近くの近鉄百貨店で。
このあたりまでくると、急に古い木造住宅はなくなり、新しく開発されたどこにでも見られるような景色になる。

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宿に戻る途中、道に迷ってまるで違う方向に行ってしまったが、このKintetsuのネオンサインが役に立った。

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朝、庭には猫達がやってきていた。

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それと露な姿のおばさんも庭を通過していった。

この部屋、掃除が行き届いていれば文句はなかったのだが。
特に水廻りのカビなどが結構気になるところ。


ビジネス観光ホテル 河合

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奈良仏像旅:御陵餅本舗 2008.4

崇神天皇陵の前にある御陵餅本舗。
たまたま見つけて入ってみた。

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入ると白い丸首シャツのおやじが出てきた。
何を買ったか忘れてしまったが、たしかおはぎではなかったか。
買ったものをここで食べていってもいいかと聞くと、
「うちは持ち帰り専門なんでね。」とにべもなく断られる。
店内には緋毛氈を敷いた腰掛けがあり、手洗い用の水道もあるのになあと思いながら、買った品物を持って店を出た。

柳本駅に向かって歩く途中にある黒塚古墳の周囲が整備され、公園のベンチもあったので、そこで餅を食べることにした。
店のオヤジは愛想なしだったが、この餅、ものすごく柔らかくてうまかった。
近くに寄ったらまた買いに行きたいくらいだ。

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黒塚古墳にも寄っていきたかったが、資料館はもう閉まっているし、また今度ゆっくりと見に来る事にしよう。黒塚古墳は33枚もの三角縁神獣鏡が見つかったことで知られていて、ずっと見てみたいと思っている古墳のひとつなのだが、また今回も素通りとなった。
ここの資料館にはこの間までやっていたテレビドラマの鹿男にも出てきていた。

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柳本駅付近も古くて美しい建物が多かった。
このあたりもまたゆっくり散策したいところだ。

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奈良仏像旅:長岳寺 2008.4

天理市トレイルセンターの先に今日の最後の目的地である長岳寺があった。天理市トレイルセンターとは無料の休憩所のことだそうだ。トレイルとは何だかわかりにくいが、最初読み間違えたようにトイレセンターと思えばわかりやすい。ただの休憩所でないのは、そこに黒塚古墳や市内の古墳の解説が書かれていたこと。三角縁神獣鏡や刀剣のレプリカも展示してあって古墳小僧でもある自分にとっては、なかなか面白い。

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上の門は、貰ったパンフレットには大門と書かれている。
大きくはないんだけど。。。

受付の裏の庫裏の玄関の欄間(と言っていいのかわからないが)にはふにゃふにゃの
不思議な模様が入っていた。

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いまは庫裏と呼ばれているが、この建物はかつての地蔵院で整備された庭を持つ書院造の様式。

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緋毛氈には前の客の飲んだお抹茶が置かれていたので、素知らぬふりをして写真におさまってもらった。

かつての地蔵院本堂であった延命殿と呼ばれる建物には普賢延命菩薩が安置されていた。
4頭の白象の上に置かれた蓮華座に座る多臂の像だ。

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日本最古の鐘楼門。
この寺唯一の創建当初の建物だそうだ。

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本堂。こちらに今日の目的の阿弥陀三尊像がおわす。
真ん中に本尊の阿弥陀如来像。平安時代末期の作。
年代のわかっている中では一番古い玉眼の入った像だ。
衣文の彫りの深さなどが平安時代後期に流行った定朝様(じょうちょうよう)とは明らかに違い、鎌倉時代の様式を備えている。
両脇には観音、勢至菩薩。蓮華座の上に座り、それぞれ外側の足を踏み降ろしている。
右側の観音菩薩はきりっとしたつり上がり気味の目をした理知的な顔をするのに対して、左側の勢至菩薩はより穏やかでやさしげなお顔をしている。

さらにその左右には増長天と多聞天。いずれも邪鬼をしっかりと踏みつけている。
特に多聞天の邪鬼は赤い口を開けて敵意を剥き出しにしているのが興味深い。
この二体もまた廃寺になった大御輪寺から移されてきたという説があるらしい。

本堂を出ようとふと見上げると、うっ。血天井ではないか。
はっきりと足跡が付いている。
京都ではよくあるが、奈良にもあったとは。。。

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境内奥には石像物が並ぶ。

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古墳の石棺を使って彫ったという弥勒菩薩像。

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小さな石仏が並ぶ。

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軟らかい夕日が苔を照らしていた。

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寺を出て最初の大門を出てまっすぐ行くと根上がりの松があった。
松の本体はすでに枯れてしまって根だけが残っているということだが、何だかものすごい迫力がある。
生命の営みが作り上げた崇高な造詣。

長岳寺

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奈良仏像旅:檜原神社〜崇神天皇陵 2008.4

玄賓庵を出るとすぐに、ガイドブックには必ず載っているこの石碑がある。

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いかにも山の辺の道、といった風情を感じさせて、嬉しくなってくる。
少し歩けば檜原神社。
まっすぐ西を向いている鳥居。

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そこにあった投稿箱には。。。

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鳥が巣を作っているという張り紙。

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しばらく行くと景行天皇陵が見えてくる。
巨大な前方後円墳で、上の写真の右側のふくらみが後円部だ。

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無人の販売所で売られていたイチゴを買い、つまみながら歩く。朝取りイチゴとあるだけに、新鮮でおいしいが、箱に長崎と書かれているのが気になる。ここは。。。どこ?

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櫛山古墳前の池。
別世界のように静かなところだった。

先に進むと斜面から木の枝を杖代わりにして人が降りてきた。
降り積もった枯れ葉で滑りやすいので、これをどうぞと持っていた木の枝を手渡された。

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その斜面は櫛山古墳で、気がついたら墳頂に向かっていた。

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墳頂付近。
結局、古墳をぐるっと1周してもとの道に戻った。

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崇神天皇陵。
崇神天皇(この時代は大王と呼ぶべき)は三輪山の西麓に都を置いて大和朝廷の基盤を作った。古代の天王の中でも特に呪的な話が多く、気になっている天皇だ。この古墳は古事記に「御陵は山辺道の勾の岡の上にあり」と書かれているものと考えられている。

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奈良仏像旅:玄賓庵 2008.4

狭井神社を出て、山の辺の道を北に向かってしばらく行くと正面に石垣と白い塀が見えてくる。
ここが玄賓庵だ。

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門には「三輪山」と書かれる。

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庵と呼ぶにふさわしい本堂には本尊として不動明王が祀られる。

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ちょうどいらっしゃった住職さんから話を伺った。
この不動明王像はかつて大神神社の神宮寺だった大御輪寺にあった像で、明治の神仏分離令で大御輪寺が廃寺となった際にここに移されてきたのだという。
大御輪寺にはいま聖林寺にある十一面観音や法隆寺の地蔵菩薩などがあったが、いずれもこのときに散逸した。この不動明王と法隆寺の地蔵菩薩が聖林寺の十一面観音の脇侍だったらしい。

不動明王は神威ある三輪の神のもとに祀られていただけあり、威厳ある態度で座っている。
頭頂部に反り花のついた蓮華をいただき、上歯で下唇を噛む古様を示す。頭に付けた金線冠の下からは髪の毛が冠を巻き込むように上に向かってひるがえっている。この髪の描写は、不動明王以外の明王ではよく見られるが、不動明王としては珍しい。

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境内には不動明王の石仏も置かれる。

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大神神社と関係の深い寺らしく、境内には鳥居も置かれていた。
謡曲『三輪』は、この寺に住む玄賓を、三輪の神がひとりの女となって訪ねてくる話で、ここからも以前から三輪の神と深い関係があったことがうかがえる。

玄賓庵

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奈良仏像旅:大神神社 狭井神社 2008.4

今回、山の辺の道を歩く目的は、この道沿いにある玄賓庵と長岳寺を訪れる事。
いつも山の辺の道を歩くときは、古代人の気分に浸っているので見るのは古墳と神社で、仏教寺院という後世に入ってきたところに立ち寄ったことはなかったのだ。

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とは言っても神社や古墳があれば黙って素通りする訳にもいかない。
まずは大神神社で神様にご挨拶。

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大神神社の絵馬。
こういう時代になったか。

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そんな訳で裏側はつんつるてん。
人がどんな願い事をするのかを垣間見る事もできないのは、ちょっと寂しいがしょうがないか。
他人に見せるためのものではないし。

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大神神社の境内を抜ける。
さあ頑張って歩きましょう。

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狭井神社の手前でひとりのご婦人に
「ぜひお知らせしたいと思いまして」
と声をかけられた。珍しい花なのだそうだ。なんとかという名前を聞いたのだが、忘れてしまった。
その方も初めてみたとかで、誰かに言いたかったらしい。

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狭井神社の井戸。
昔、この神社から三輪山に登った事を思い出す。
もう10年以上前のことだ。
今日は時間がないので登らない。

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ここのコップ、こんな滅菌装置までできていた。
そこまでやる必要あるのか?

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いよいよ山の辺の道らしくなってきた。
いま山の辺の道として整備されている道が昔からの山の辺の道そのものではないという話もあるが、この古代っぽい感じにわくわくさせられる。

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4月の下旬、まだ桜も咲いていた。

大神神社
大神神社

狭井神社
狭井神社

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奈良仏像旅:そうめん処 森正 2008.4

京都の定宿をチェックアウトし、三輪に向かった。
京都駅ー天理駅と電車を乗換え、三輪駅で下車。
着いた頃には12時少し前だった。
長旅だったが車窓から見る奈良の景色に少しも飽きることはなかった。

大神神社の鳥居を前にして、まずは腹ごしらえと「そうめん処 森正」に入る。

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のれんをくぐったところの中庭のようなところにテーブルが置かれ、2組の客がそうめんをすすっていた。

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頼んだのはにうめん。

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ツレが釜揚げ。
釜揚げは普通のそうめんよりもかなりの太さがある。噛むとそうめんの小麦の風味が口に広がり、普通のそうめんよりもうまい。思い出しながら書いていて、また食べたくなった。どこかでこの麺、手に入らないだろうか。

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そして柿の葉寿司。

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森正の向かいの店で売っていた「おばあちゃんのとちの実せんべい」というのを「とちの実」に惹かれて買った。
昔、五木寛之が古寺を巡るテレビ番組をやっていたが、その中でどこかの寺で「私はこのとちもちというのが大好物でねえ」と言いながら、実にうまそうにとちもちを食べているのを見たことがある。それ以来、ずっととちもちというのを食べたくて仕方がなかったのだ。それは去年の秋に鞍馬で実現したのでいいのだが、いまだにとちの実と見ると、気持ちがときめいてしまう。
鞍馬の話は旅行記としては書いてないが鞍馬駅前の数軒の店をはしごしてとちもちを買い食いしたのだった。
このせんべいはこれから山の辺の道を歩きながら食べるための貴重な食料としてかばんに入れた。

森正

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奈良仏像旅:Buono Roji(京都)2008.4

吉田寺からJR奈良駅近くのレンタカー屋まで戻り、車を返したあと、電車で京都駅に戻った。
程よい時間だったので京都の駅ビルで夕食を食べていく事に。
ここの駅ビルで食事をするなどずいぶん久しぶりのこと。

11階のBuono Rojiというイタリアンの店に入った。
8時からの予約の人が入っているので、それまでに食べ終えるなら、席に空きがあるという。
大丈夫。自慢じゃないが、我々はどちらも早食いなのだ。

席に案内してもらうと大きな窓から京都市内がよく見渡せた。

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時間的にコースは無理なので、単品でいくつか。
だいぶ前の話なので何を頼んだか忘れてしまったが、写真から判断するとこれはつきだしの冷製スープだろう。

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サラダ。生ハムが入ってバルサミコ酢がかかっているようだ。

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かすかな記憶によれば、これに京野菜が入っているのではなかったか。
味も接客もいい店だった。

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京都駅を出ると正面に京都タワー。
灯が入ると和蝋燭のイメージというのがよくわかる。
(検索してみると、実は灯台のイメージと書いてあるのがちらほらとある。何で京都で灯台か?。ロウソクでしょ?)

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奈良仏像旅:吉田寺 2008.4

法輪寺から法隆寺前を素通りして吉田寺へ。
きちでんじ、と読む。

ずいぶん前の事になるが、確か葛城に向かう途中だったと思う。やはりこの道を車で走ったことがあり、そのとき
「ぽっくり往生の寺 吉田寺」
という大きな看板を見た事がある。
そのときは、この寺の事はまったく知らず、おばちゃんがたくさん集まる、東京で言えばとげぬき地蔵みたいなお寺なのかなあと思った記憶がある。この看板が斑鳩の雰囲気と全然合わないというところがかえって気になり、あとで調べたところ、案外歴史の古い寺で(斑鳩の他寺と比べれば全然新しいが)平安時代の丈六の仏像があることを知ったのだった。

この寺は恵心僧都源信の創建とされ、源信が母の臨終に際し、祈願した衣服を着せたところ、苦しまずに往生を遂げたというところから、この寺で祈願するとぽっくり往生できるとされる。


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駐車場のところには放生池があり、その脇を通って入っていくと竹林に入っていく。
その先が境内だ。

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本堂に本尊の阿弥陀如来が祀られている。
金箔がきれいに貼られていて、一見新しそうに見えるが実は平安時代後期のものだ。
紫金と呼んでいいのかわからないが、渋めの金色に光っている。
古い仏像は金箔や彩色がはがれてぼろぼろになっているという思い込みがあって、なかなか古い仏像に見えてこないのだが、それでもじっくり見ればその姿は確かに平安時代後期に流行した定朝様(じょうちょうよう)の仏像だ。
光背には千体の化仏が付けられている。なかなか落ち着いたいい表情の像ではないか。

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境内には室町時代の多宝塔。
中には秘仏の大日如来が安置される。

境内の西側には天智天皇の妹であり孝徳天皇の皇后となった間人皇女の陵墓がある。

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ぽっくり往生という語感からもうちょっとミーハーな場所を想像していたが全然違った。
静かなひっそりとした寺だった。

吉田寺

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奈良仏像旅:法輪寺 2008.4

法起寺からすぐ近くのところにある法輪寺。

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法起寺、法隆寺とともに斑鳩三塔のひとつに数えられる。

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その中でも法輪寺の三重塔が一番スタイルがいいと思う。
小ぶりでありながら、存在感があり、上の層に行くに従って屋根が程よく縮まっていく。
組み物もうるさすぎない。

現存する三重塔の中では法起寺の塔が古いのだが、建てられたのはこちらの塔の方が古いという。
どういうことかというと、この塔は1944年に落雷によって焼失しているからだ。
その後、作家の幸田文氏の尽力によって基金が集まり、西岡棟梁の手によって1975年に再建された。
その塔は、古色を帯びた感じのままにいま建っている。これも西岡棟梁の技のすごさ故だろう。

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江戸時代に建てられた金堂。
収蔵庫(講堂)が建っているところにあったかつての講堂とこの金堂は、亀井勝一郎の『大和古寺風物誌』によると「天井は破れ、壁は剥落し、扉は傾いたまま風雨にさらされて」いたそうだ。昼までも鼠が走り回っていたという有り様だったという。昭和17年の状況だ。

そしていまの収蔵庫には、かつて金堂と講堂に安置されていた仏像がずらりと祀られている。

このうち薬師如来像と虚空蔵菩薩像は飛鳥時代のものだ。
どちらも止利仏師の作とされる。
薬師如来像は、同じ作者である法隆寺金堂の釈迦如来像や薬師如来像と良く似ている。ただし、この寺の像が木造なのに対して、法隆寺のは金銅仏だ。同じ作者と言われているが、金銅仏と木造では作り方が大きく違うはずなので、実際には止利工房のようなものがあって、その中で止利の指導で複数の人たちによって作り上げられたのだと思う。
虚空蔵菩薩は、そのぬぼーとした雰囲気が法隆寺の百済観音と似ている。

どちらもカラフルな火焔のような模様の付いた光背を背負っている。この火焔のようでもあり、霊気が沸き立つようにも見えるこの光背によって、この像はさらにただものでない印象を与える。

そういえば、前に来たときには妙見堂再建の募金をしていたが、数年前に無事に新しい妙見堂が完成していた。どういうわけか、この寺は何かしてあげないといけないような気にさせる。
かよわい女性を目の前に自分が支えてあげなければと勘違いする男の心情のようなものか。相手は少しもそんな感情はないのに。

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収蔵庫前では一輪の椿が夕日に照らされていた。

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法輪寺

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奈良仏像旅:法起寺 2008.4

矢田寺門前の「大久ら」で景色をごちそうにのんびりしたあとは、法起寺に向かった。
矢田丘陵の中央部の矢田寺から、南端部に位置する法起寺までは車を使って直線移動すると、結構近い。

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法起寺西門。

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見どころのひとつはこの三重塔。

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三重塔としては、西暦706年に建立されたとする現存する我が国最古のもの。
古いだけあって、組み物も非常にシンプルだ。

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法隆寺の五重塔にも見られる雲形肘木。風化のためなのか丸みを帯びたように見える。
どれだけの修理が入っているのかはわからないが、この雲形肘木は飛鳥時代のままの木なのだろうかと思った瞬間、想像を超えるほどの長い歴史を持っているであろう木のことを考えて、頭がくらくらしてきた。

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講堂。江戸時代始めに建立された建物。
この寺は、聖徳太子の遺言により、息子の山背大兄王によって岡本宮を寺に改めたのが始まりで、かつては七堂伽藍を誇る大寺だったが、やがて寺勢は衰え、江戸時代には三重塔を残すのみというありさまになっていたという。
それを憂いた当時の寺僧らが三重塔を修復し、この講堂を建てた。

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そして幕末の1863年にはこの聖天堂が完成し、現在の寺観が整うことになる。

講堂の本尊であった十一面観音は収蔵庫に安置されている。
像高350センチの大きな像だ。杉の一木造りというから、相当に太い材だったのだろう。
平安時代のもので、この時代の作風を反映して穏やかな表情をする。
霊木を使った一木造りのためか、それでいて威厳ある雰囲気があり、見ているうちに気持ちが引き締まる気がする。
顔や上半身の肌が露出した部分だけに金箔が貼られ、衣服の部分は木目がはっきりと見えている。
衣服の部分は以前は白い色が塗られていたようで、少し色が残っていた。

今もこの寺の周囲は畑に囲まれた静かなところにある。
聖徳太子の時代もこんな景色だったのだろうか。
そんなことを考えているとやっぱり頭がくらくらしてくる。

法起寺

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奈良仏像旅:茶処 大久ら 2008.4

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矢田寺の門前にあった茶店。
茶処 大久ら

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なになに。景色がごちそう?

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オープンテラスの席からは矢田丘陵から見下ろした景色が見通せる。
オープンテラス、と書いたが、この店は多分、以前は普通の民家だったところを改造したもので、
このオープンテラスの席はその家のベランダだったところではないだろうか。

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でも、そんなのはよーく観察しないとわからない。
テーブルにはいろりが掛かっていて、そこに綿の木が活けられていたり
なかなかいい感じのアレンジメントがなされている。
それにかかっているBGMは男性ボーカルのジャズ。
たった1つの曲をエンドレスに掛けていたのは何故かしらん。

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焼いたもちに醤油をつけてのりを巻いたヤツ。
メニュー上は「何とかだんご」だったと思うが、忘れてしまった。
ツレはアンコのかかった餅。これも「何とかだんご」という名前だったはずだ。
どちらも干し柿がおまけについている。
ラベンダーまで添えられていて、街中のカフェとはまた一味違ったもてなしを
受けている感じがまた嬉しい。

茶処 大久ら

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奈良仏像旅:矢田寺 2008.4

翌朝、再び京都から奈良まで電車を乗り継いで行き、昨日と同じレンタカー屋で車を借りた。
今日も昼ごはんを食べる店がなさそうなところに行くので、食料を買い込む。昨日は柿の葉寿司だったので、今日は別のものにしようということになり、ホテル日航奈良の入っている建物の1階のパン屋でカツサンドを買った。ここのパン屋、何度か買っているが、結構おいしいと思う。

そして、カツサンドを買い込んで向かった先は矢田寺。正式名称を金剛山寺という。
門前の駐車場に車を置いて、坂道を登って行くと、さっそく1体の石仏に迎えられる。

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少し行くと朱に塗られた山門。

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その門をくぐれば見上げるほどの長い石段が。

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登りきったところまた石仏。

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そしてまた石仏。

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上の写真の石仏には「見送り地蔵」という名が付けられている。
その由来はこういう話によっている。
登場人物は
満米上人 …… 弘仁年間に矢田寺を中興した人。
小野篁  …… 嵯峨天皇に仕え、夜ごと地獄に降りて閻魔大王の補佐をしていたと言われる人。京都の六道珍皇寺の井戸から地獄に降り、清凉寺横の薬師寺境内の井戸からこの世に戻っていたとされる。
閻魔大王 …… 言わずと知れた地獄の裁判官

話は閻魔大王が苦しみから逃れるために菩薩戒を受けたいから、適任者を探すように小野篁に命ずるところから始まる。閻魔大王が菩薩戒を受けたいとは落語のような話だが、それはさておいて、篁は、慕っていた満米上人を紹介する事にした。そして閻魔庁に案内し、満米上人は閻魔大王に菩薩戒を授けた。菩薩戒を授けられた閻魔大王は、上人の希望で地獄を案内するが、上人はそのとき地獄の亡者を救う地蔵菩薩の姿を見た。
感激した上人はこの世に戻ってから、その時に見た地蔵菩薩の姿を仏師を呼んで彫らせるが、どうしても見た通りの姿にならず困っていると、4人の翁が現れ、3日3晩のうちにそのままの地蔵の姿を大きな桐の木に彫り上げた。
その翁は春日大社の神で、彫り終わると春日山の方向に飛んでいったという。

上の写真の地蔵は、その時に帰っていく翁を見送った地蔵とされ、春日山の方を向いて立っている。

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石段の両側にはお墓が並んでいる。刻まれている名前を見ると鈴鹿山新七、香取山磯吉、三笠山源右衛門など、かたぎの人じゃない感じの名が並ぶ。どういう人たちなんだろうか。

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塔頭大門坊の土塀に隠れるようにして立つ北向き地蔵。

矢田寺の地蔵には独特のスタイルがあり、普通の地蔵は手に錫杖と宝珠を持っているものが多いが、この寺の地蔵は阿弥陀如来の来迎印のような印を手で結んでいる。矢田型地蔵といい、地蔵と阿弥陀の両方の功徳を備えていると言われている。

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にこやかな顔をする味噌なめ地蔵。
味噌を作る時に、口元にその味噌を塗り、味が良くなるように祈願するという地蔵だ。
実際に今も味噌を塗っていく人があるらしい。

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両側を塔頭に囲まれる参道。
まるで中世のようだ。

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ここなんか、塀の向うから腰のものをぶらさげた侍が出てきそうで、ぞくぞくするではないか。

矢田寺

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奈良仏像旅:謎2つ 2008.4

白毫寺から奈良の市中を通ってレンタカーを返しに行った。

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途中、ビルの屋上に建てられたと思われる謎の塔があった。何だろうかこれは。
車を止めて見るわけにもいかず、素通りした。今度、確認してみよう。

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レンタカー屋の前の肉屋がにぎわっていた。周囲にはわざわか買いに来たと思われる車が何台も路上に止められている。コロッケが売りらしい。道端でコロッケを頬張っているおばちゃんもいる。有名店?
明日もここに来るし、買うのはまたでいいか、とそのときはなんとなく思ってそのまま帰ったのだが、翌日は同じ時間でも閉まっていた。うまいんだろうか。買えないとなるとますます気になる。

最初に書いた通り、今回は京都の宿に泊まっている。その宿へと戻るために京都駅に行き、駅の伊勢丹に立ち寄った。帰りの新幹線で食べるための、はつだの牛肉弁当を予約するためだ。最近は人気で、夕方に行っても予約無しでは買えないので、予約するようにしているのだ。

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そこで柿安のわらび餅を買った。京きなこを使っているというので、京都の店のものなのかと思ったら、牛肉などで知られるあの柿安のものだった。
http://www.kakiyasuhonten.co.jp/index.html

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京きなこというのは色の濃いのが特徴だそうで、口に入れると香りよく上品な舌触りがある。

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定宿の窓からの景色。
コンクリートのビルだらけになってしまった京都の中心部とは違って、平安神宮にほど近いこのあたりはまだ瓦屋根が多く残っている。ビルの屋上にあげられた鯉のぼりが気持ちよさそうに風に吹かれていた。

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奈良仏像旅:白毫寺 2008.4

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石段を登って行くと、あれ?何かいつもと違うな、と思った。

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土塀のぼろけ具合も前に見たのと同じだし。
いや、白いところがずいぶん剥落した感じはあるが。

わかった。石段を蔽うように生えていた萩が無くなっているのだ。
萩で知られるこの寺なのにこれは一大事と、受付で聞いてみると、
「ああ、あれはいつも切るんです」
と事も無げに言う。
いつも萩が石段を蔽っているような気がしていたが、この寺には秋にしか来た事がなかったのかもしれない。
萩を歌った歌が境内の札に描かれている。

高円の野辺の秋萩いたづらに
咲きか散るらむ見る人無しに

笠金村が志貴皇子が逝去したときに作った歌だ。志貴皇子は天智天皇の子で、政治的には影の薄い人だったが、万葉集に非常に印象的な歌をいくつか残している。そして、この寺は志貴皇子の邸宅跡とされている場所。
そういえば、最初にこの寺を訪れたのは志貴皇子の足跡をたどろうとしてだった。

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五色椿はほとんど散ってしまっていたが、地面に落ちた紅白絞りの美しい花びらがその名残を見せてくれていた。

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境内には多くの石仏が置かれている。

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自らが炎のようになった不動明王。

石仏たちをひとつずつ目に入れながら、境内を一回りして収蔵庫に入る。
正面の中心に阿弥陀如来が座り、その左右には地蔵菩薩と文殊菩薩が配される。
そして左の壁沿いには閻魔王と司命と司録、右には太山王がこちらを向いて恐ろしい顔で睨んでいる。

阿弥陀如来の穏やかで品のある顔立ち、白い光背を背負う地蔵菩薩の妙に肉感的な唇、そして若々しく張りのある理知的な顔立ちの文殊菩薩。どれも静かで落ち着いた気持ちにさせられるいい像だ。
前から気になっていたのだが、阿弥陀如来の光背は変な形に壊れたままだ。直さないのだろうか。

以前はこの閻魔らの存在が気になって仕方がなかったのだが、今回は正面の三尊とじっくり対面することができた。年を重ねるにつれて地獄が近くなったために、却って彼らの存在が気にならなくなったのだろうか。

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収蔵庫を出て本堂前に行くと、中に入っていく人がいる。
ここは入った事がなかった。入れたのか、とあとに続く。

薄暗いお堂の中には阿弥陀如来、観音菩薩、勢至菩薩の三尊が祀られていた。
観音、勢至は片膝をたてて前傾姿勢を取る。そして、たった今、空中から地上に来迎したばかりという感じに、着物の裾がふわっと上にめくれ上がっている。これは横に回ってみないとわからない。浄土世界をリアルに伝えるための控えめな演出。
そして、自分も今際の際にはこういう方たちに迎えられたらな、と思う。

本堂は江戸時代始めに建てられたもので、三間四面の形式を取る。三間四面とは屋根の下の母屋部分が柱間三間で、その外側の四方に庇が出ているというものだ。かつて奈良の寺院でよく使われた形式で、江戸時代に復古的な形式を再現したものらしい。

白毫寺

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奈良仏像旅:弘仁寺 2008.4

正暦寺から山を下りて、天理の方向へと車を走らせた。向かっているのは弘仁寺。小さな集落を通るとあちこちに虚空蔵町と書かれている。虚空蔵という普通はお寺の中でしかみない名前を町中で見るのは何だか不思議な感じだ。弘仁寺が抱かれる山が虚空蔵山で、寺の山号も虚空蔵山、そして本尊は虚空蔵菩薩というところに関係するのだろう。

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車を置いて山中に吸い込まれていくような細い山道を登って行くとやがて小さな山門が見えてきた。

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境内に入ると本堂と明星堂が並んで建っていた。明星堂は明星菩薩のためのお堂のはずだが、現在は奈良博に寄託されている。

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明星菩薩のお顔は、苦労人を思わせるような迫力がある。
本来の明星菩薩というのは、四臂で如来面、そして龍に乗る姿をしているそうで、この像とは異なる。この像はもともとは地蔵菩薩として造られたのではないかと考えられているという。

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明星堂には寛永13年の年号が入った絵馬が掛けられていた。江戸と書かれているので、はるばる江戸からこの寺まで参ったのだろうか。

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これが本堂。寛永6年の再建のもの。優美でありながら力強い建物だ。

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この寺の名を知らしめているものに奉納された算額がある。SCIENTIFIC AMERICANに掲載された論文が誇らしげに本堂のところに置かれていた。

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境内を出て少しくだったところに、奥の院があった。薄暗くてかなり薄気味悪い感じの場所だった。
右側の屋根で囲まれたところが閼伽水の井戸。左側には不動明王の石仏が祀られていた。弘法大師が自ら三鈷杵で彫った石仏で、井戸も三鈷杵で掘削したものだと伝わる。

弘仁寺

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奈良仏像旅:正暦寺 2008.4

この本の最後の取材のために京都へ去年の10月に、そして次の奈良編の取材の1回目を今年の3月に行っているのだが、時間がなくて書けていない。それは後回しにしてまずは4月に行った奈良の話を書いていきたいと思う。

今回は訳あって京都の定宿に3泊、奈良に1泊という旅程となった。
金曜日の夜の新幹線で京都入りし、スーツ姿の人が多く休日とはまた違う様相を見せる地下鉄烏丸線、東西線を乗り継いで定宿に到着。

翌朝、東西線の六地蔵でJR奈良線に乗換えて奈良駅に到着。予約してあったレンタカーに乗り込む。
今日の行き先は昼ごはんを食べる店のなさそうなエリアなので、駅近くの平宗で柿の葉寿司を仕入れて持っていった。

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ならまちを抜けて東南に向けて車を走らせると徐々に山の中に入っていく。そして道も細くなっていき、ちょっと心細くなってきたところが正暦寺だった。

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立派な石垣がまっさきに目に入ってくる。

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しゃちほこの乗る山門をくぐると

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民家のようなお堂。正暦寺福寿院の客殿の建物だ。
大寺院の多くが長い歴史の中で衰退していったが、この寺も例に漏れず、かつて80を超える塔頭を誇った寺だったのが、いまでは本堂とこの福寿院を残すだけとなってしまっている。

江戸時代始めに建てられた建物で中に入ると狩野永納の絵が襖や欄間を彩っている。壇上には中央に孔雀明王坐像が祀られる。孔雀明王の像とは珍しい。明王は普通忿怒の相をするが、孔雀明王は菩薩顔をした異形の明王だ。その明王が尾羽を光背代わりに広げた孔雀の上に乗っている。孔雀は毒虫や毒蛇を食べることから、人々の災厄や苦痛を取り除く功徳があるとされ信仰されてきた。
左右には不動明王と愛染明王が安置されていた。

横を見ると菩提山を借景とする小さいが清楚な庭園が目に入ってくる。
庭や山に植えられた紅葉の新緑が美しい。耳を澄ませばすぐ下を流れる菩提山川のせせらぎの音が聞こえてくる。静かな場所だ。
お寺の住職さん(または副住職さん?)の話によれば、この寺の本尊である薬師如来の薬師瑠璃光浄土を表すために青の紅葉を植えたのではないか、という。瑠璃色というのは青い色。昔の日本では青と緑の区別を付けなかったから緑の葉で青を表しても不思議ではない。
紅葉は春が美しいと仰る。紅葉は秋ではなく春の青が美しいと言い切るところなんか、なかなかの人物とお見受けした。

そして収蔵庫に案内された。普段は開いていない収蔵庫が開いている。今日はここの薬師如来倚像を見に来たのだ。この寺の本尊で白鳳時代の金銅仏。像高36センチの大きさで椅子に腰掛けた姿をしている。小さいながら威厳に溢れたいい像だ。
その背後には平安時代の薬師如来が置かれ、その両側には日光・月光菩薩が立っている。聞くとこの日光・月光菩薩は明治の排仏毀釈の際に三輪の大御輪寺から来たものだという。大御輪寺といえば、聖林寺の十一面観音、玄賓庵の不動明王も排仏毀釈の際にこの寺から移されている。これらは無事に移されたが、無事に移されなかった仏像もあったかもしれない。排仏毀釈という運動がいかに仏教にとって厳しいものだったかがこれを見てもわかる。
そして収蔵庫の左右にはそれぞれ10数体の仏像がずらっと並んでいる。これらはかつてあった塔頭のものを集めたものだという。
その中には小さな千体の地蔵菩薩があった。これは本堂近くの宝篋印塔の中から出てきたものだという。かつてこの寺の僧侶が亡くなった時に菩提を弔うために作られたのではないかということだった。

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福寿院を出て少し登ったところに本堂がひっそりとたたずんでいた。

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この中央の宝篋印塔から千体地蔵が出てきた。
これらの石仏はかつて境内のあちこちにあったものを、集めたものだという。

正暦寺

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