書籍・雑誌

今年読んだ10冊

本来、このブログは本について書き記していこうと開設したのだが、いつしか旅行記ブログのようになってしまった。せめてもの帳尻合わせに今年読んだ中から10冊を選んで紹介したい。

まずは軽いところから。
『街道をついてゆく』

『街道をゆく』の最後の担当記者が司馬さんと過ごした6年間をつづったもの。記者の目を通した生身の司馬さんが描かれ、司馬ファンとしては本当に楽しく読める。旅の最中、同行者たちは司馬さんの話を聞くのが楽しみで毎夜、周囲に集まったという。最後にイラストを描いた安野氏はそれを司馬千夜一夜と表現した。話に酔って、不思議な別世界が出現するからだそうだ。そんな話に加われた人がうらやましい。
晩年、この国の行く末を憂え、かつてはあまりやらなかった講演や対談を多く引き受けていた。そして、『濃尾参州記』の取材後に倒れる。そのとき司馬さんは冷静に「ああ大貧血や」「時間、見て」と奥さんに言ったという。その後、吐血し、入院。「手術はイヤです」といったが、説得され手術室に入り、そのまま意識不明の状態となった。最後の話は涙なしでは読めませぬ。

『[自然農法]わら一本の革命』

先日、亡くなられたが、農薬を使わないだけでなく、肥料も耕すこともしない農法を編み出した福岡正信氏の本。農薬を使うようになったのは戦後のことだと思うが、もっと以前から行われてきた農業で肥料や耕しは必須のことと考えられてきたはずだが、それ自体もいらないことを発見した著者の常識を覆す発想がとても面白い。私自身は農業に関わっているわけではないが、こうしたものの考え方が痛切でとても興味深い。後半は文明批判が多くなりすぎてちょっと受け入れがたくなってくる。

『鈴木亜久里の挫折』

『鈴木亜久里の冒険』を大幅に修正し、加筆した本。2006年にスーパーアグリF1チームを立ち上げてF1に参戦し、わずか1年後の2007年にドライバー、佐藤琢磨による2度のポイント獲得、そして2008年、資金不足によりシーズン途中で無念の撤退をした鈴木亜久里の活動を描いている。『鈴木亜久里の冒険』では2007年シーズン後半の段階までが書かれているが、この本ではその後、撤退のいきさつまでが書かれる。それ以前の話も大幅に修正され、前の本では出ていなかった企業名なども書かれたりするなど、前の本を読んだ人も再び読む価値はある。ファンにとっては涙なしでは読めない1冊。

『てりむくり』

そった曲面を持つ屋根を「てり屋根」といい、ふくれた曲面を持つ屋根を「むくり屋根」という。その両方を合わせ持つ屋根を「てりむくり」といい、こうした屋根こそ日本独自の文化を表したものだという。筆者はかつて設計事務所を併設した商社を設立したという人で、屋根を通して日本文化を見つめる視線が斬新だ。古本屋で入手。いい本なのだが、出版社在庫はないままとなっているようだ。

『「黄泉の国」の考古学』

日本各地の古墳に描かれる壁画を通して古代人の死生観に迫る。これまでの考古学では古墳壁画は葬られた死者の生前の事績を顕彰するために描かれたというような説明がなされてきたが、そうではなくあくまで死者の魂を異界へと導くために描かれたとして、各地の古墳壁画を紹介しつつ、主張する。袖振り、太陽の船、馬など具体的にそのモチーフの意味を解き明かしていく過程などぞくぞくするくらいに好奇心をくすぐられる。中でも内陸部の洞窟葬の例として挙げられている長野県の鳥羽山洞窟は家から割と近いので、そのうち訪れてみたいと思う。
古本屋で入手。これもいい本なのだが、残念ながら出版社在庫はなし。

『邪鬼の性』

昭和42年に発行された本でいまは絶版になっている。古本屋で手に入れた。
四天王に踏まれる邪鬼に魅かれる人は昔から多いようで、この著者も学生時代から関心を持っていたという。法隆寺金堂のは「恩寵の邪鬼」、当麻寺金堂のは「思惟の邪鬼」、東大寺戒壇院、法華堂、西大寺四王堂のは「煩悩の邪鬼」、東寺講堂のは「不遜の邪鬼」、法隆寺上堂のは「反逆の邪鬼」とさまざまに邪鬼の特徴を分類する。邪鬼とは何かを改めて考えさせる。

『法隆寺の謎を解く』

法隆寺の中門は真ん中に柱があることが昔から謎とされてきた。インドをよく訪れていたという筆者は法隆寺の回廊はめぐる作法のためのものであると見、こうしたことを手がかりにして法隆寺建築の謎を解き明かしていく。さらには古代建築の様相から日本文化の原点を大胆に探っていく。知的好奇心を満たしてくれる一冊。

『日本の道教遺跡を歩く』

昭和61年から62年にかけて朝日新聞大阪本社版の文化面に掲載された「探究・日本の道教遺跡」に大幅加筆して単行本化したもの。いまでは飛鳥に皇極・斉明天皇が作った石の遺跡の数々に道教の影響をとなえる人は多いが、この当時は道教は一切日本に入ってこなかったという学説が主流だったらしい。唐の国教は道教だったし、中国では仏教と反目していた時代もあったが、仏教と習合した時代もあり、中国から仏教がやってきて道教だけが来なかったということが果たしてあり得たのだろうか、という疑問が発端でこの連載が生まれたのだそうだ。日本にある道教遺跡を巡っているが、いかにも道教くさい飛鳥ばかりではなく吉野や出雲、伊勢神宮にまで道教の影響が見られるのだという。日本固有の文化とはいったい何なのかということを考えさせてくれる。

『石の宗教』

日本は木の文化だと言われるが、案外、石に刻まれたものも多い。石仏、積石、列席、石塔、石碑など、路傍でさまざまな石造物を見ることができる。そして石には多くの謎が込められている。こうした石の謎を著者の大胆な仮説を交えて解き明かしていく。知的探求心を満たしてくれる一冊。

『大和万葉旅行』

筆者の堀内民一という人についてまったく知らなかったのだが、折口信夫に師事し、影響を受けながら奈良で独自の万葉研究を展開した人なのだそうだ。奈良の各地を万葉集の歌を引きながら、埋もれ、隠されたその土地の記憶をつむぎ出している。気品ある文章から奈良という地の美しさが染み出してくるようだ。

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『鈴木亜久里の冒険』

5月の連休の最終日、悲しいニュースが飛び込んできた。
スーパーアグリF1のシーズン途中での撤退だ。

『鈴木亜久里の冒険』を読んでいた去年の秋頃も財政的に苦しいと言われていたが、来年もまた頑張ってやってくれるだろうと思っていた。

スーパーアグリF1が発足し、エントリが認められた2006年からスポンサー探しや、供託金の支払いなど困難の連続だった。4年落ちのアロウズA23を買い取り、改良してわずか数ヶ月というF1ではあり得ないような短期間で車を準備し、ほとんどぶっつけ本番で開幕レースに臨む。そのうちの1台はメルボルン空港の展示品として後生を全うしていたものだった。そしてわずか数戦後にはドライバーの井出有治のスーパーライセンス剥奪という屈辱さえも味わうことになる。
潤沢な資金もない小さなチームで苦難の連続だったが、メンバーの団結力と情熱だけは他に負けるものはなく、徐々に車は戦闘力を持てるようになり、その年の最終戦では佐藤琢磨が10位に入るという成績を残した。そのとき優勝したルノーがシャンパンを持って一番反対側にあるスーパーアグリチームまで祝福に来てくれたという嬉しい事件もあった。(残念な事にこのときのレースは自宅の引越しのために見ていないのだった)
翌年は資金力の無さは相変わらずだったが更に進化を続け、佐藤琢磨が8位、6位と立て続けに入賞までしてしまう。6位になったカナダGPではマクラーレンに乗る去年のチャンピオンであるアロンソをオーバーテイクしての入賞だった。夜中にテレビでこのシーンを見ていて本当に嬉しくて大声をあげてしまったのを昨日のことのように覚えている。
Born in Japanをキャッチフレーズとして生まれたこの小さなチームは、この頃には世界中にファンを持つまでになった。しかし、その年スポンサーとなった企業からのスポンサー料の支払いが滞り、その年の後半は車の進化も止ってしまい、これ以上の戦績は残せなかった。
そして2008年、有力なスポンサーも見つからず、売却先との交渉をしながらの参戦となったが、売却先との突然の破談によって、スーパーアグリF1は潰えてしまうことになった。
あり得ないと思われていたことを奇跡のように次々と実現していったこのチームにはずいぶんと力を貰っていた。それだけに本当に残念だし悔しくてならない。1戦で数億円かかるという今のF1の世界ではプライベータには非常に厳しいものがあるようだ。昨日の鈴木亜久里氏の会見を見ていて涙した。でも本当に悔しいのはチームを立ち上げた亜久里氏本人だろう。
長く全日本F3000など日本で走り、念願のF1シートを獲得したローランド・ラッツェンバーガーがサンマリノGPの予選で事故死し、その翌日にはアイルトン・セナが決勝レースで死亡した1994年以来の悲しい気持ちだ。1986年から見続けてきたF1だが、しばらくは楽しい気分で見る事はできなさそうだ。
最後に。
夢と勇気を与えてくれたスーパーアグリに感謝したい。

追記
『鈴木亜久里の冒険』を出版した山海堂もこの本を出版したあとで倒産してしまった。モータスポーツ系が強かったこの出版社の倒産といい、スーパーアグリに日本のスポンサーが付かなかったことといい、日本にはモータスポーツが根付いていないことを痛感させられる。

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『ブッダはなぜ子を捨てたか』他3冊


『ブッダはなぜ子を捨てたか』

釈迦の出家とはイコール、家を捨て、妻を捨て、そして子を捨てたことであるという観点から、仏教創始者となった釈迦の思想、そして捨てられた子のラーフラの気持ちを想像している。ラーフラについては捨てられたということから筆者はかなり同情的に見て、父を恨んだのではないかと書いているが、文献的には何もないため実際は本人がどう思っていたのかはわからない。のちに弟子になっていることからして、父の考えを理解し、恨むようなことはなかったのではないか、という気はするが。

『軽井沢うまいもの暮らし』
まだ新幹線も高速道路も通っていない時代の軽井沢で筆者が暮らした時のエピソードを書いたエッセー。いまほとんど廃虚のようになっている中軽井沢の商店街も元気だった時代のこと。東京から移住し、火を炊き肉を焼き、稲を育て野菜を作る田舎暮らし生活をする。この本は、軽井沢移住前と直後に読んだものだが、筆者は新幹線開通に追い立てられるように近くの東御市へと移住していった。あとから好んで移り住んだ人間としては、複雑な心境だ。


『ちいさいぶつぞうおおきいぶつぞう』

仏像好きで知られるモデル(?)のはなちゃんによる、女の子的感性が溢れる仏像観察記。お寺で仏像を見たときの印象をはつらつとした言葉で書き連ねられている。読んでいると、テレビで見るあの声、あの喋り方で喋っているような生身の声が聴こえてくるような、本人の分身のような文章。


『建築家捜し』

というタイトルから、家を建てようとする人が建築家を探すための指南書のように思えるが、実際はそうではない。「探す」ではなく「捜す」というところから想像できるかもしれないが、自身が建築家である筆者が建築家とはいったい何なのかということを、建築に思想性を与えた筆者が、自らの人生を振り返りつつ、そこに建築家捜しをしていく。

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『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』


『連合赤軍「あさま山荘事件」の真実』

警察庁から派遣されて、この事件に関わった人が書いた本が映画化されたものを何年か前に見た事があるが、このとき長野県警の対応がけちょんけちょんにけなされていた。話を面白くするために白黒をはっきりさせようとしたのかもしれないが、その扱いは見ていて不愉快になるくらいで、思わず長野県警を応援したくらいだった。もちろん、警察にとっての危機管理は重要だし、そうした危機管理のもとで正しい判断をしなければならない組織であることは言うまでもないと思うが、そのために他者を敢えてスケープゴートにして、読者や視聴者に嘲笑させるような扱いをすることは、正しい問題の解決方法ではないのではないかと思う。
この映画を見たときは長野県に住むとは思ってもみなかったし、ましてやその事件が起こった軽井沢に住むとは不思議な巡り合わせだと思う。
この本は事件を指揮した長野県警の元幹部によって書かれたもので、長野県警から見たあさま山荘事件の全容である。こうした長野県警の扱われ方が不満で、また事実と異なっていることがあるということで、この本を書いたということだが、ああいう描かれ方をしては当然だろう。
軽井沢には犠牲になった警官の功績を後世に伝え、このような事件が起こらないことを祈念した治安の礎があり、1年ほど前に行ったことがあるが、この本はその頃に読んだ。
現場にいた人が書いただけあって、犯人らの動きと警察の動きが克明に描かれ臨場感を感じられる。
70年代に大きく盛り上がった学生運動の終焉期に起こったこの事件がなぜこんな凄惨なことになったのかということについては、この本を読んでもわからない。治安を乱すものは敵、という思考しかない警察の側からはそれ以上のものは出てこないし、そもそもこの本にそれ以上のものを期待してもいけないからだ。警察側から見た事実関係という点ではいい資料になるのではないかと思う。
当時もそうだったと思うが、今の平和な軽井沢でこのような事件があったとは信じられないし、これからも静かな軽井沢であって欲しいと思う。

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『物理学校』


『物理学校』

物理学校は、大学を卒業したばかりの学士たちが日本の理学教育のために設立した我が国最初の私立理学学校。私の出身大学の前身で、明治14年に開校した。
入試や入学後に貰った大学のパンフレットでよく目にした学校名だ。夏目漱石の『坊っちゃん』にもこの学校が登場するというのも、このときに初めて知った。

この本は、先日、本屋でたまたま見つけて懐かしく思い、手に取った。
ある程度の歴史は知っているつもりだったが、学校維持のために、どんな苦労があったかということなどは、この本を読むまでは知らなかった。
東京理科大関係者以外で興味を持つ人は少ないと思うが(実際のところ、大学が相当数買っていると思う)、明治の人たちが、これからの新しい時代は自分たちが作っていくんだという強い気概を持って行動していたということを知るという意味では、部外者が読んでも面白いのではないかと思う。

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『徒然草』


『徒然草』


「つれづれなるまゝに、日暮らし、硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ。」
で始まる鎌倉時代に吉田兼好によって書かれた書。

岩波文庫版は原文に注がついているのみで、訳文はない。
ないが、注を参考にしながらなら原文を読み進むのはさほど困難ではない。

見聞きした面白いことを書いたり、時にはピリッと辛口の毒舌を吐いている。
無責任で言いっ放しな態度はいまの2chに通じるところがないとも言えない。2chの元祖か?

有名な
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬は、いかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、堪へ難き事なり」
の段では、いまの気候の感覚と違うことからよく話題になるが、冬の住まいのこともちゃんと言及されている。
それによれば、「天井の高きは、冬寒く、燈暗し。」だそうだ。
すぐ前に冬はどんな所にも住めると書いておきながら、やっぱり冬寒いのはいやだったんじゃないの?兼好さん。

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金閣炎上

『金閣炎上』

昭和25年に金閣寺が寺の学僧によって放火された事件を題材にした小説。
小説、というよりもルポルタージュに近い。
子供の頃から小僧として相国寺という禅寺の塔頭に預けられていた経験のある筆者は、日本海に近い小さな集落に育ったこの学僧の心情を、同情の念を持ちながら描き出している。
同じ事件を題材にした小説として三島由紀夫の『金閣寺』があるが、こちらは小説として昇華させて綺麗にまとめられているのに対して、『金閣炎上』はあくまで泥臭く、地べたに這うようにして生きる人の姿を表しているという感じがする。

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『散歩のとき何か食べたくなって』

『散歩のとき何か食べたくなって』

浅草で育った筆者は割りとませた子供だったようで、小学生の頃に大人のまねをして、浅草の屋台で牛めしを味わい、やがては小遣いを貯めて上野松坂屋の食堂でビーフステーキを食べたりしていたのだそうだ。
さらには銀座の資生堂パーラーにも行くようになり、ここの洋食のとびぬけた美味さを知ったのだという。戦前の話だ。
これが美食家としてのこの著者の原点であるらしい。
この本にはそんな著者がふらりと入って行きつけになった店が書かれている。
場所も東京、横浜、京都、名古屋などいろいろ。
知っているところもちらほらとあって、改めてあの店は池波先生のお気に入りの店だったのか、と思い返してみたりする。
信州の店も長野、松本、上田といくつか出ている。ここ軽井沢から一番近いのは上田の刀屋という蕎麦屋だ。真田太平記を執筆中に何度か立ち寄って気に入ったのだという。
検索してみると今でもあるようだ。今度行ってみなければ。

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『カミの現象学』

『カミの現象学』

ここ数年で一番面白かった本と言い切っていいかもしれない。

この本は「穴」がテーマである。
人間の体にはいくつもの「穴」が開いているが、ここで言っている「穴」はそういう単に物理的な「穴」ではない。人が外部の何者かと交通するときの「穴」である。
食べ物を口に入れ、それが体内に入り分解され、消化されるときに、人は外部に存在するものが内部に侵入して自分の一部となるが、このときには自分以外の何者かと自分との間に穴が開いている。この場合は口という物理的な穴を通ったが、穴は必ずしも物理的なものとは限らない。
たとえば、祭りにおいてトランス状態に入った人は祀られた神との間に穴が開いている。それを見ている人との間にも穴が開いている。そういう穴のことだ。
筆者の思考によって発見された穴には
「たべる」「まみれる」「よせる」「まねく」「うつす」「かさねる」「くだく」
がある。
たとえば、「たべる」ときに開く穴はたとえば、なおらいのときに神に捧げた食べ物を神と一緒に食べるときに開く穴だったり、「まねく」は盆踊りの時に祖先の霊との間に開く穴だったりする。

実際に筆者が見てきた日本各地や海外での祀りごとや信仰の形が、それぞれの穴の説明で具体的に挙げられている。西原の六月ニガイ、銀鏡のししば祭り、とげぬき地蔵、湯殿山、大元神楽、備中神楽、新野の盆踊り、三森山のモリ供養、遠山の霜月祭り、加賀の潜戸など。こんな祭りがあるのか、と驚かされるものも多く、それだけを読んでいても面白い。
頭の中だけで構築された思索ではなく、これらを見た実際の体験を通して身体の中から生まれてきたとも言える思考であるだけに、読者としては素直に納得できるところが多い。

久々に知的興奮を覚えた一冊。

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『アースダイバー』

『アースダイバー』

東京や東京近県に長く住み、かつて東京の学校や会社に通っていたが、東京そのものに興味を持ったことはなかった。東京は両親の実家のある場所で、たまに行ったときに近所の神社や公園で遊んだり、近所の商店街に買い物に連れて行かれた記憶がある場所や、自分自身が住んだ場所も何箇所かあって、局所的に懐かしいと思う場所はあるが、それはあくまで東京の中の一部の場所であって、全体をひとくくりにする「東京」という地には特に思い入れというものは持っていなかった。

江戸時代という時代の習俗がその前後と非常に異なることに気持ちがついていけないうこともあるのかもしれない。江戸の風俗を極端に濃縮して体験できるのが歌舞伎だと思う。歌舞伎も結構好きなんだが、歌舞伎座や新橋演舞場などの席について幕があいてからの5分程度は、いつも強烈な違和感に襲われる。ああ、江戸くさくてヤダと思っている自分がいる。それでも5分もすればすっかり慣れてしまって、幕が閉じるころには、歌舞伎はすごいなあと感動しまくっている自分がいる。一度慣れてその世界に浸ってしまえば、どうということはないのに、最初の5分は意識を変えないといけないというくらいに今とは違う感性が要求される。

東京というところに思い入れがないのもそういうことがあるからかもしれないと思ったりする。
もう1つは東京の歴史の少なさということもあると思う。
奈良や京都のように長く日本の中心だった場所と違って、東京は江戸時代になるまではほとんど何もなかった。
最近は江戸時代の歴史に興味を持つようになって面白いと思うようになってきたが、それでも奈良や京都と比べたらその歴史の薄さは覆うべくもない。

この『アースダイバー』は東京を一気に縄文時代までさかのぼらせ、その時代に立って改めて東京を眺めている。中世の歴史が浅いなら、かつてこの地が栄えていた縄文、弥生までさかのぼらせてしまえ、というわけだ。
この時代はいまよりも海抜が高く、その分、海が内陸まで入り込んでいた。それをもとにして当時の地図を作ってみると、ひどく入り組んだ地形だったことがわかる。筆者はその時代の地形図を作り、さらにそこに縄文や弥生時代の集落や遺跡の跡をプロットした地図を持って東京を廻っている。

新宿、渋谷、銀座、浅草、秋葉原などいまの東京には違う個性を持った地区がいくつもあるが、その性格の成り立ちを縄文マップでその地形の形状や縄文、弥生の集落跡、古墳の場所をたどりながら、解明していく。
それが正しいかどうかはともかくとして、その解明の過程が読んでいて面白い。

この本を読んだ直後に東京を出て軽井沢に移住してしまったが(読んだのは去年の秋)、離れたからこそ見えるということもあるのではないかと思う。東京の猥雑な雑踏や高層ビル、縦横無尽に走る道路や鉄道が無性に懐かしく思えることがある。

巻末にはEarth Diving Map(縄文マップのこと)がついているので、今度はそれを持って出かけてみよう。

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芸術新潮11月号

軽井沢に平安堂という本屋があって、遊びに来るたびに気になっていた。ここに、引越し後、始めて行ってみた。(引越についてはこちら
結構大きそうな建物でさぞたくさんの本があるのだろうと思ったが、なんと半分はレンタルビデオ屋だった。残りの半分に本が置かれているが、それほど広いスペースではない。
期待が大きかっただけに、これにはちょっとがっかりした。

そんな話はまあいいとして、何を探しに言ったのかというと『芸術新潮』11月号である。
特集として、先日行った「仏像」展に出展中の仏像たちが取り上げられているのだ。
取り上げられているというよりも「仏像」展のタイアップ記事と言ったほうがいい。

唐招提寺の伝薬師如来立像などは顔と胸のアップの写真がそれぞれ見開きで載っている。あまりにものすごいドアップのため、眺めているほうが何だか恥ずかしくなってくる。
当然、目玉展示の宝菩提院岩徳寺の菩薩半跏像や向源寺(渡岸寺)の十一面観音の写真も大きく載っている。

始め日本に入ってきた仏像は金銅仏だったが、塑像になり乾漆像になる期間がわずかにあって、そのあとはずっと木像ばかりとなる。金銅仏、塑像、乾漆像。どれも海外から技術者とともに入ってきたものだが、しかし、どれも根付かず、その後は日本人は木ばかりを彫って仏像を作り続けてきた。
日本は材料として木が豊富にあったということもあるのだろうが、日本人がいかに木というものに霊性を見いだしていたか、あるいは身近に感じていたのかということを、この特集を見て改めて思った。

そうそう。別記事の「最後の江戸木挽 林以一」も面白い。いかに日本人が木と付き合ってきたかがわかる。

もう向源寺の十一面観音が遠く湖北から東博にお出ましになっている。こちらも上野は少し遠くなってしまったが、近いうちに見に行くつもりでいる。

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その他ウェブ関連本

スタイルシートスタンダード・デザインガイド
『スタイルシートスタンダード・デザインガイド』
タイトルにスタイルシートとあるが、スタイルシートの説明だけでなく実際にはHTML、そしてSEO,アクセシビリティなどウェブページを作る上で必要となる知識全般を説明している。この本の中でウェブページを実際に作っていくが、前の章と次の章ではつながりがあり、前の章で作ったウェブページを変更して次の章で使っている。このとき、前の章で作ったHTMLと次の章で作ったHTMLでどこを変更したかが色分けしてわかるようになっているので、何をどう変更すると実際の表示がどう変わるのかが、簡単にわかるようになっている。企画としても良く練られているし、内容も手が込んでいて非常に良くできている。

SQLite入門
『SQLite入門』
データベースSQLiteの入門書。PHPと連携してウェブアプリケーションを作る方法や、Java、PerlなどでSQLiteと接続する方法も書かれている。

Googleマップ+Ajaxで自分の地図をつくる本
『Googleマップ+Ajaxで自分の地図をつくる本』

Googleマップが提供するAPIの使い方と実際にそれを使って独自のマップを表示する方法が書かれている。Google Maps APIのリファレンス付き。

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PHP関連本

今日はPHP関連の本を4冊。

PHP 5逆引き大全500の極意
『PHP 5逆引き大全500の極意』

PHP5についてやりたいことから引けるリファレンス本。PHPにはどんな関数があるのかひととおり目を通してみた。ヘルプとしてはphp_manual_ja.chmを使っているので、最近はほとんど出番無し。

PEAR入門
『PEAR入門』

PHPの標準ライブラリPEARの入門書。インストール方法から始まり、DBアクセス、ユーザ認証、フォーム作成など各種サンプルによってPEARの使い方を説明する。最後はサンプルとして在席ボードを作っている。サンプルCDROM付き。

Smarty入門
『Smarty入門』

PHPでロジックとデザインを分離するときに有用なテンプレートエンジンSmartyの入門書。上の『PEAR入門』と同じ筆者で、PHPの説明とか内容はかなりかぶっている。最後には上と同じ在席ボードが載っている。だいぶ、効率のいい本の作り方をしてらっしゃるようで。

PHPサイバーテロの技法
『PHPサイバーテロの技法』

セキュリティの知識なしにPHPでプログラムを組むと、簡単に攻撃にやわなサイトができてしまうというのは、PHPプログラマの常識で、何も知らないで作ってみたけど偶然、穴はなかったということはほとんどない世界なのだそうだ。それはどんなにC++などのクライアントアプリケーションの経験があっても関係がなく、PHP独自のセキュリティ対策を知らなければならないという。
筆者はこの防御法を文法のすぐ次に覚えるべきものとしている。そして、防御法を知るにはまずどんな攻撃があるかを知らないといけないとし、攻撃法を説明する。これがこの本のショッキングなタイトルに繋がってくる。
本質的でないところに工数をかけないといけないという点で、プログラマとしては実に不毛な作業だが、現に穴を見つけて喜ぶ類の人間がいる以上仕方が無い。
しかし、世の中、暇な人が多いみたいで実に多くの攻撃方法が存在する。中には画像ファイルのEXIFにJavascriptを埋め込むなんてのもある。そんなことをしてまで他人のサイトにいたずらしたいのかね、君達は。と、いう感じである。

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Web2.0関連本

Web2.0に関連する本を4冊紹介。

ウェブ進化論
『ウェブ進化論』

94年からシリコンバレーに在住し、現地でコンサルティング会社を創業し、日本では「はてな」の取締役でもある筆者がネットの世界で起こっている、ゆっくりだが確実に変化している状況を熱く語る。キーワードはオープンソース、グーグル、ロングテール、Web2.0。ショックだったのは、この本を読むまでグーグルはただの検索サイト+いろいろな面白いツールを提供するだけのサイトだと思っていた。この本によれば、グーグルが目指すミッションは実に壮大で、「世界中の情報を組織化し、それをあまねく誰からでもアクセスできるようにすること」なのだそうだ。これは筆者の言葉によれば「世界政府」であり「ウェブ上の民主主義」の実現である。つい数年前に検索サイトとして始まったグーグルがいつのまにかこのような巨大な存在になっているという事実は、片時もネットの動向からは目を離してはいけないということを示している。

Web 2.0 book
『Web 2.0 book』

Web2.0とはバズワード(一見専門用語のように見えるがそうではない、明確な合意や定義のない用語)とされ、具体的なものやサービス、インタフェースとしての名前ではないが、それでもWeb2.0とされる従来とは異なるウェブサイトは確実に存在するわけで、この本ではいわゆるWeb2.0的サービスを行っているサイトを紹介し、そのどの部分が新しくWeb2.0的なのかを説明している。
紹介されているのは、AppleのiTMS,Google,Amazon,eBayなど。日本のまだ小さいが今後大きく化けそうなWeb2.0サービスも紹介されている。MixiがWeb2.0的かという点については、人によって意見がわかれるところ(そもそもWeb2.0がバズワードなので)だが、この本ではWeb2.0の定義のひとつである「ユーザ参加型」であるという点で紹介されている。

グーグル
『グーグル Google 既存のビジネスを破壊する』

『ウェブ進化論』を読んでグーグルについて知りたくなって読んでみた。筆者によれば、グーグルは破壊者であり、すべてを凌駕し、再生し、選別し、そしてすべてを支配する権力である。筆者の言葉によれば、「神の遍在」だ。グーグルが決定すれば、検索しても出さないようにすることは容易であり、既に「グーグル八部」という言葉さえできているという。検索だけなら他の検索エンジンを使えばいいだけだが、グーグルではウェブ上でメールソフトや表計算ソフトなど無料のサービスを提供し、ユーザーを囲い込んでいる。グーグルの収益は広告だから、無料で提供しても、ユーザーが使ってくれさえすれば、広告収入もまた増えるという仕組みだ。こういう囲い込みによって気が付いたらパソコンで行う作業のすべてをグーグルに依存していた、という状況も生まれかねない。これは便利さの裏返しであるが、ネット上に出現した巨大な権力が、何をわれわれにもたらすのかということをよく考えるべきだということについて、この本は警鐘をならしている。

「みんなの意見」は案外正しい
『「みんなの意見」は案外正しい』

『ウェブ進化論』で参考文献として挙げられていた本。簡単にいうと、もっとも優れた専門家の意見よりも、ある条件が満たされる時には、大多数の普通の人の意見を集約した集合知の方が正しい、ということがこの本には書かれている。ある状況下とは、意見の多様性、独立性、分散性、集約性の4つの条件が満たされる場合である。だから、どんな場合でも正しいというわけではないが、集合知など愚衆に過ぎないなどと思ったまま、思考停止してはならないということをこの本では学ぶことができる。非常に示唆に富んだ一冊。


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『竹中半兵衛』

竹中半兵衛
『竹中半兵衛』高橋和島

これまで竹中半兵衛をテーマにした小説をこの本を含めて3冊読んでいる。
1冊は『軍師竹中半兵衛』笹沢左保 。もう1冊は本が見つからないが、多分『竹中半兵衛』八尋舜右

斎藤龍興に仕えるが冷遇され、龍興の居城、稲葉山城をわずか16人で占拠し、その後すぐに城を返還したという経歴を持つ。この城攻めが注目され、のちに秀吉の軍師となった人物である。36歳で肺の病気によって病死している。

初めに読んだ2冊によれば、半兵衛は戦嫌いだし、自分の出世も考えない。それでも戦略を立てるとその策は誰にも負けないような頭の切れを見せる天才肌の物静かな男として描かれていた。その人間離れした感じに惹かれ同名タイトルの小説を3冊も読んでしまったのだが、今回読んだ本は半兵衛の印象がかなり違う。
人間くさく描かれ、巧みに自らの行く末を考え、女も抱く。

やはり半兵衛は浮世離れした雰囲気を漂わせてくれないとなあ、と思いながら読んだ。
別にこれも悪くはないが、前の2冊で受けた半兵衛という人物の印象が大きかったので。


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『「白村江」以後』

「白村江」以後
『「白村江」以後』

西暦663年、白村江の戦いで倭国は歴史的大敗を喫した。白村江の戦いで、倭国は百済を支援するために船団を出し、白村江において唐・新羅連合軍と戦った。この戦いに敗れたことで、倭国は朝鮮半島への足がかりを失うこととなった。同時にこの変は古代において他国の侵略を受ける最大の危機でもあった。
この本では、その戦いの前後の日本の政治体制、朝鮮半島、中国の国々の動きなどを描いている。
そこから描き出されるのは当時の日本の外交の無策ぶりだ。当時の日本は他国との付き合い方についてもまだはっきりと決まったものを持ってなく、他国からの使者を迎えるにあたっても右往左往している。朝鮮半島との国々との付き合い方も場当たり的で、そんな状況下で白村江の戦いを迎えることとなる。

この本で筆者はどうやらこうした現代に至る日本の外交下手の原因を古代にまでさかのぼって指摘しようとしているらしい。しかし、当時の日本の状況を今に当てはめるのは無理があるのではないか。島国である日本は、地続きの中国、朝鮮と比べて大陸の情報入手は非常に困難であるし、まだ国家としても不安定な状況にあるわけで、ある意味、あの対応は仕方がないのではないかと思う。
ただ、そういうバイアスがかかっている部分をさておいてもこの本は、その当時日本が置かれていた状況がわかって面白い。


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『葛城と古代国家』

葛城(かづらき)と古代国家
『葛城と古代国家』

かつて奈良盆地には倭国と葛城国という2つの大きな国があった。葛城国は奈良盆地の西にある葛城の周辺にあった。倭国はやがて葛城国を併合し、大和国となっていく。
一時期、葛城が大きな勢力を持っていたことは大和朝廷側の資料である日本書紀や古事記の雄略天皇が葛城山に狩りに行った時に天皇と同じ格好の一行と出会ったという記述からもわかっている。この一行は葛城の神、一言主であり、古事記では天皇は恐れ入り、一言主神に衣類を献上したと書かれ、日本書紀ではその後、ともに狩を楽しんだと書かれている。
本書はその葛城国についてを丁寧に解き明かしている。

この本のいいところは、筆者と意見の異なる論説については、相手の論旨を紹介しつつ、自説を展開し、そのどこが違うかをきちんと示しているところだ。新書やこの手の文庫本だと、筆者自身の説だけが展開され、他の説と自説とではどこがどう違うかまでは説明されていないものが多い。だが、これだとよほど今現在、流説されている説を詳しく知っている人でないと、その違いがわからないし、素人にとってはその説をどう評価していいのかわからず、最後は全部受け入れるか、あるいは全部拒否するかのどちらかの態度になりがちだ。

ところが本書ではその違いがきちんと書かれているので、それぞれの説の位置付けがよくわかる。
特に、最近、流布している河内王朝論については一章を割いて、その説を批判している。

本書の筆者は本当に誠実な人柄なのだろう。そのかわり、丁寧に過ぎる検証と論説は、読み進めるには若干、骨の折れるところもないではないが、その誠実さには好感がもてる。

最後の章では葛城の散策コースを紹介し、主な神社や古墳を紹介している。今度葛城に行くときはこの本を持っていきたいと思う。

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『忘れられた日本人』

『忘れられた日本人』

著者は日本全国を歩いて、各地に伝わる民間伝承を記録した。この本にはかつての日本人の姿が生々しく再現されている。
初めに対馬に行ったときの話しが載っている。訪れた集落で長い長い話し合いがもたれている最中だった。夜を徹して話し合い、皆が納得し、結論がきちんとでるまではやめないのだという。話し合いは決して火の出るようなぶつかりあいの議論のようなものではなく、反対の意見がでればしばらく置いておき、賛成の意見があればこれもしばらく置いておき、冷却期間をおいてから皆で話し合い、最後に長老に決を取らせた。弁当持参で集まり、夜は寝たい人はその場で寝、話をしたい人は夜を徹して話をした。間には雑談もかなり混ざっていたという。
これなら島の中で毎日顔をあわせる間柄であっても気まずいことにはならないし、しかも話を曖昧のままで終わらせていないという点で、すごく利にかなった方法だ。
日本人の気質としては物事をなあなあで済ませがちなものだと思うのだが、これは大陸に近い対馬だからなのだろうか。

筆者はこのとき馬に乗った男達と出会っているが、その姿が石山寺縁起に出てくる魚をとりに行った百姓が馬に乗る姿にそっくりだと書いている。戦後間もない昭和25年のことだ。そんな時代までこの島には中世的な気配が支配していたというのは驚きだ。

それに、この本の全編を読んでいて渡って感じたのは、昔の日本人が性に対して実におおらかだったことだ。それは男女問わずで、男は夜這いに行くのが普通だったし、女も平気で性的なことを喋って笑っている。
少し前にセクハラをして捕まった男がセクハラは人付き合いの潤滑油だ、と言っていたのを覚えているが、昔の日本人にとってはそれは心の底から思っていたのかもしれないと、この本を読んで思った。

この本のタイトルには今とは違うかつての日本人への望郷の念が込められているのだろうと思う。
ページをめくるたびに「えーっ」とか「へー」と感嘆詞を大量生産した。とにかく面白いとともに、日本人はずいぶん変わったんだなあと思うことしきりであった。


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『日本廻国記 一宮巡歴』

日本廻国記一宮巡歴
『日本廻国記 一宮巡歴』

一宮とは各地域の第一番目の神社のことである。第一番目といっても、その神社が必ずしも最も尊いという意味合いがあるわけではなく、各神社に伝達すべき事項があった場合、その地域に最初に伝えられる神社ということなのだそうだ。
この本は筆者の一宮巡歴記である。
序文では、横浜市に住む筆者の家の近所にある金蔵寺という寺の話から始まる。近所の寺がなぜ一宮と関係があるのだろうかと読み進めていくと、この寺にある江戸時代の石塔に各地の一宮の名が刻まれているというのである。そして、これはほぼ今の一宮と一致する。
こうしてこの巡歴記は始まる。全部で68の神社を東北地方から壱岐、対馬の島まですべて廻っている。
暑い日のバス通りをあえぎながら歩いた日もあれば、豪雨の中をずぶぬれになりながら神社にようやく到達した日もある。読者は筆者の体験を通して、全国の一宮を感じることができる。
筆者は必ずしも神社に伝わるいわれなどは信じない立場で書いている。そして、そこに筆者独自の解釈を入れている。独自の解釈と言っても特にとっぴなものではなく、そう言われればそうかもしれない、と納得できるものが多い。筆者の古代日本史観が投影された文章は派手さはなくても、静かに心の中に沁み入ってくる。
読み終わったときにはすっかり筆者のファンになっていた。

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『神社の系譜』

『神社の系譜』

子供の頃、日が昇ってくる先や日が落ちていく向こうには何があるんだろうと思っていた。
でも、地球が丸いということを教えられてからは、その先にはやっぱり同じように地面があって人が住んでいるだけなんだということがわかって、それ以上の興味を持つことはなくなった。
古代の人々は毎日、日が昇り、日が沈むところを見ているから当然、現代の子供以上にそこに関心を持っていただろう。神々を祀る方角もそうした日の昇り沈む方角に定めた。これを自然暦というのだそうだ。

この本では各神社と他の神社を自然暦をもとに関連付けをしている。
夏至、冬至の日の出と日没、そして東西南北の方向について、直線を引きまくったのだろう。筆者が地図の上に定規を置いて、ああここも線の上に乗るぞ、と興奮している様子が読んでいると見えてくる。(実際の作業は学生にやらせたのかもしれないが)

この神社から見て、この神社はこの方向にあって直線上に乗っている、ということは読むとわかる。
しかし、それは偶然直線上にあるのか、実際に関連があってそこに祀られているのかについては、そのほとんどは筆者も結論を出していないし、読むほうも「ああ、線の上にありますね」と思うだけで、それ以上のことは得られない。(鎌倉の神社については方角の正確さについてもあやしいと思う)
たとえば、夏至の日にこの神社ではこの神社に向かって何らかの儀式をやるとか、昔はそういうことをしていたとか、そういうことでも書いてあれば多少は納得できるのだが、ただ線の上に乗るとあるだけで、それ以上の根拠が示されないので、読んでいてストレスが溜まってくる。

学者さんがこういう内容の薄い本を書くのはどうなんだろうか、と思うので今回は辛口で。
出版業界も売れれば中身はどうでもいいと思っているのだろうなあ。

とは言っても神社の方角の関連性を示したデータとしては使えるかもしれない。
各神社の歴史や成り立ちなどでは、初めて知る話も少なくはなかった。

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『飛鳥』

飛鳥
『飛鳥』

これも奈良に行く前に読んでいた本。
古代史を専門とする筆者が最新の研究成果をふまえて飛鳥を案内してくれる。この本が学者さんが書いた他の本と決定的に違うのは、筆者が飛鳥を歩いたときに五感で感じた感覚を文章にふんだんに盛り込んでいるところだ。ちょっと大げさな言い方かもしれないが、読んでいると飛鳥川を流れる水の音が聞こえ、飛鳥の土の匂いがし、飛鳥を吹く風を感じられるような気さえしてくる。

志貴皇子に
采女の袖吹きかえす明日香風 都を遠みいたづらに吹く
という歌がある。
この明日香風とは漠然と飛鳥に吹く風のことだろうと思っていた。筆者がかつて稲淵から栢森へと飛鳥川沿いに上っていったときに、川下から吹いてきた爽やかな風があったそうだが、これが明日香川に違いないと言っている。

この歌の都とは藤原京のことで、どうして飛鳥からそれほど離れていない都で明日香風を懐かしんでいるんだろうかと思っていたのだが、飛鳥川上流沿いに吹く風のことであれば、この風が藤原京までは吹かないということが納得できる。

本居宣長は飛鳥を歩いたときの様子を『菅笠日記』という書物に残しているが、筆者はこの道をたどって歩くのも楽しいと、読者に勧めている。この道もいつか歩いてみたいと思っている。

この本は今まで読んだ飛鳥関係の本の中では一番の名著と言っていい。飛鳥好きの人やこれから飛鳥を知ろうとする人にお勧めしたい。

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『奈良の寺』

奈良の寺
『奈良の寺』

奈良に出かける前の予習用にと読んでいた本。
もともとは朝日新聞奈良版に連載された記事をもとに改稿したもので、それぞれの記事は奈良文化財研究所のベテランから若手までの数10人が書いている。
奈良文化財研究所は略称「奈文研」という。ウルトラ警備隊にあこがれた元少年としては、このナブンケンがそれに似た響きを持っている気がして、この組織名を耳にするだけで何となくわくわくする。

世界遺産に指定された平城宮跡、法隆寺、薬師寺、興福寺など11箇所の寺についてを、奈文研が手がけた調査を元に書いている。
記事ごとに筆者が異なるため、その興味の対象もまたいろいろで、五重塔の耐震性や基壇に埋められた鎮壇具から古代のトイレ事情までさまざまな話題があって読んでいて飽きない。(逆に言うと統一性がないともいう)

この本、結構売れたらしい。中身は結構マニアックだと思うのだが、奈良研究の総本山である奈文研が奈良について書いたのならちょっと読んでみようか、という人が多かったのだろう。

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『大鏡』

大鏡
『大鏡』

『大鏡』は平安時代の終わりに書かれた。誰が書いたものかはつまびらかにはなっていないが、少なくとも男性が書いたものとされ、それより少し前に紫式部によって書かれた『源氏物語』の王朝女流文学の傑作とされるのに対して『大鏡』は男性による王朝文学を確立したものとされる。

話は京都紫野の雲林院に菩提講を聞きにきた男が、2人の老人のしている会話の内容がひどく古いことに驚くところから始まる。老人のひとりは世継の翁といい190歳。もうひとりは繁樹といい180歳。
この老人が講師が出てくる間、手もちぶたさでいけないからと昔話を始める。

初めは第55代文徳天皇から、この話の時の今上である第68代後一条天皇までの御世についてを順に語る。
それが終わると藤原氏の栄華がどのようにしていまの藤原道長にまで繋がっているのかを説明するためだからと言って、代々の藤原氏について藤原冬嗣から話を始める。最期は道長の話で、特に道長の章が長い。

話の内容は堅苦しい歴史の話ではなく、ひどく下世話な話も混ざっている。それは天皇家や藤原家のお屋敷の塀の外で人々が塀の中の人についてひそひそと噂話をしているのを聞いているような感じで、古典を読んでいるという気が少しもしない。
1000年前の井戸端会議を今の時代に読んでいるのだと思うと、すごく愉快な気持ちになってくる。

この翁自身が藤原道長やその一族の繁栄を称えるようなことを言っていることから、『大鏡』は一般に道長礼賛の物語とされている。個々の記述は確かに称えているように読めるのだが、少し距離を置いてみると筆者は道長に対して皮肉を言っているようにも思えてくる。はるか昔の天皇や藤原家の話から始める壮大な皮肉である。

今の京都の人が相手を正面から非難しないで遠回りにやんわりと皮肉を言うのと同じで、昔の京都人も同じ気性を持っていただろう。
それに時の最高権力者を特に当時の人が真正面から批判できるわけがない。作者は誰が書いたとも悟られないようにしてこんな文章を書いてうさを晴らしたのではないだろうかとも思えてくる。

この講談社学術文庫の本は全編現代語訳となっていて、解説も適宜書いてあるので読みやすい。1000年前の書物をこんなにすらすらと読めていいんだろうかというくらいだ。
この本を買ったときは在庫がなく古本で探した。『今鏡』も増刷されていない状態で、これなどは文庫本なのに古本屋で20000円近くで売られているという異常な状態だったが、いまはどちらも増刷されて普通に手に入るようになったようだ。(定価は以前より上がっているが)

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『日本美術のことば案内』

日本美術のことば案内
『日本美術のことば案内』

この本は日本の美術を理解する上で必要な「ことば」について解説している。
それもただ、辞書のように「ことば」とその意味が羅列されているだけではない。
その「ことば」のひとつひとつは筆者によるやわらかめな文章で丁寧に解説されていて、読者は読み進むにつれて知らず知らずのうちに日本美術の奥深くへと「案内」されている、という感じ。
写真もふんだんに使われていて、それをただ眺めているだけでも楽しいのに、文章を読めばその絵や工芸に使われている技法も理解できてしまう一石二鳥感がある。
日本の美術に興味があるなら、一冊持っていて損はないでしょう。


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『原色インテリア木材ブック』

『原色インテリア木材ブック』

筆者の会社で出しているという椅子の背もたれ部分を170種類以上の木材で作り、それぞれの写真とその木の特質について説明している。
木には本当にいろいろなものがあることがわかる。木の色や木目の特徴、質感などの違い、重さ、堅さ、虫に食われやすいかどうかなど、千差万別だ。

それに、この本を読むと日本にはいろいろな国から木材が入っていることがわかる。
北米、東南アジア、アフリカ、中南米などさまざまだ。
日本で消費される木材の70%が外材で、そのうち北米材が45%を占めているのだという。

こうした外材は安いが問題もある。
たとえばマツは国産だとアカマツ、クロマツなどあり、いずれも時間がたつと経年変化で木肌が美しくなっていくが、北米から入ってくるベイマツは逆に汚くなっていくという。
スギについても北米産のベイスギは日に焼けると黒ずんで汚くなるという。

これを読んで、安く造られた建売の家が割りと早くぼろけた感じになるのは、こうした材料を使っているからなのかもしれない、と思った。安物は所詮安物、ということなのだろう。

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『図解でわかる 木造建築の構造』

〈図解でわかる〉木造建築の構造
『図解でわかる 木造建築の構造』

木造の家の建築に必要な基本知識をイラストや写真をふんだんに使ってわかりやすく説明している。
この本は、建築を仕事とする人や建築を志す人ばかりではなく、家作りを考えている建築には素人の施主が読むことも念頭に置かれていて、設計や各工程などで施主はどこに注意しなければならないかについてのコメントも書かれている。

長期荷重に分類される雪荷重についてや、屋根の形状ごとに風の方向によって積雪に偏りが出ることや、短期荷重とされる風や地震の力のかかり方、そして、それらの荷重に耐えるための構造など、家の設計にはいろいろな要因を考えなければならないことがわかって面白かった。
(将来の)施主として読むのであれば、すべてを細かく理解する必要はなく、木造の家はこういう風になっているのかとか、こういうところに注意を払う必要があるというところがだいたいわかればいいのだと思う。

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京都本のラフ、記念撮影

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今度出た京都本を作るときに、すべてのページについて、この業界で言うところのラフというものを作った。
ラフというのは、通常はデザイナにどういうデザインを作るのかを指示するために作るものだ。
この本の場合、寺社紹介のページ(4ページ、2ページ)と、コラムなど基本的なフォーマットをいくつか用意して、あとは、それに原稿を流し込めばいいので、デザインを作るためのラフは数種類で良かったのだが、それぞれのページに写真を入れる場所を指示する必要があるため、全ページについてラフを作り、ページの見出し、小見出し、写真のファイル名を書き込んで、編集者に渡していた。

そのまま捨てるのも何となくもったいないので、捨てる前にラフのごく一部と台割を集めて記念写真を撮影した。

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京都本、アマゾンで販売開始

アマゾンで京都本の販売が開始された模様。

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諸般の事情によりタイトルからは、本の内容が類推しにくいものとなっているので、少し内容について説明します。
この本は京都のガイドブックなのですが、普通にあるような満遍なく京都を紹介するものではありません。コンセプトは「京都をテーマを決めて巡りましょう」。
何となく出かけていって何となく見て帰ってくるよりは、今回の旅のテーマは○○、と決めた方が楽しいですよ、という提案をしたつもりです。そして、そのテーマの決め方のお手伝いをできるようにと思って造りました。
この本で取り上げているテーマは
・古寺で庭園を眺める
・平家物語の舞台を訪問する
・源氏物語ゆかりの地に対面する
・門跡寺院を参拝する
・戦国武将の足跡を訪ねる
・寺院秘蔵の有名絵師の絵を見に行く
・京都を見下ろす
・京都の桜を見に行く
・紅葉狩りに行く寺
・京都に残る幕末の足あと
です。
それぞれのテーマについて簡単な解説もしてありますので、特に知識がなくても読んでいただけると思います。
書店で見かけたときには、お手にとってもらえたら幸いです。

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『小さな森の家 軽井沢山荘物語』

『小さな森の家 軽井沢山荘物語』

建築家・吉村順三が自らのために軽井沢に立てた山荘を写真集仕立てにして、この家を紹介している。
写真には自身による気さくなコメントが付けられている。このコメントを見ると吉村がどれだけ愛情を込めてこの家を設計し、そしてこの家を気に入っていたかが良くわかる。
春の新緑、秋の紅葉、冬枯れの木々を背景とした山荘、そして、室内から眺めるそれぞれの季節の風景は本当に気持ちが良さそうだ。
軽井沢の湿気を避けるために1階部分をコンクリートとし、その上に居住空間としての木造家屋を載せた木々に囲まれるこの山荘はまるで樹上の家のように見える。

この家に凝らした数々の工夫も気さくな言葉で語られる。1階部分のテラス、暖炉など別荘らしい機能、玄関の防犯、1階からあがる冷気を防ぐために階段に付けた扉、屋上への上がり口の工夫など、特別建築用語を使わずに普通の言葉で語っている。
軽井沢についての私的な思い出も書かれている。今は亡きこの建築家がこの地を訪れ、ここでともに生活した人々の記憶。ノスタルジアな気持ちにさせられる。

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『木造建築を見直す』

『木造建築を見直す』

木は古くから日本の家屋に使われてきたが、昭和の後半には木造建築の空白期と呼ばれる時期があり、大規模建築には木造建築が使われない期間が長く続いた。その理由は戦後の伐採で使える木が少なくなったことと防災面での弱点があったことだという。ところが、最近になって大規模建築に木造建築が採用されることが多くなってきた。体育館やドーム、ジェットコースターのような鉄骨で作るものだと思っていたようなものにも木造のものが登場するようになっている。
その理由として、鉄筋コンクリートや鉄骨ばかりの建築になってきたことから木のぬくもりに飢えてきたこと、建築家の中に木造建築の空白期があったことから、逆に木を新しい材料とみなし、新たな挑戦をしようとする人が出てきたこと、国産材が育ってきて使える木材が増えてきたこともあるという。そして、もうひとつ、貿易摩擦の回避のために北アメリカからの大量の木材の輸入を迫られたために木造建築の復活が要求されているという理由も挙げられている。
ぬくもりを感じさせる木造建築が増えることは歓迎すべきことだと思うが、こういう政治的な理由があるというのは複雑な気持ちにさせられる。

日本の伝統構法の仕組みを具体的に三十三間堂や唐招提寺などの例を挙げて説明しているが、この中には、常識を覆させられる多くの事実が書かれている。たとえば、東大寺大仏殿は世界最大の伝統構法の木造建築であると紹介されるが、実は明治の修理によって屋根を支えているのはイギリス製の鉄骨なのだという。それに同じ東大寺の南大門は昭和の修理で鉄骨が入れられている。
今だったら鉄骨を入れることはありえないと思うが、昔は乱暴な修理をしていたものだ。

正倉院の校倉造は外の空気が乾燥しているときは木が収縮して隙間があき、湿っているときは木が膨張して隙間がふさがることによって、中の湿度が一定に保たれるという説明を一度は聞いたことがあるのではないかと思うが、実はこれはまったくの嘘なのだという。膨張収縮はするものの、中の湿度の微妙なコントロールをすることは不可能であり、中の御物が今まで腐らずに保存されてきたのはそのためではないのだという。
常識だと思っていたことがいくつもひっくりかえされ、読んでいるうちにそれがかえって快感になってくる。

この本で説明されているのは伝統構法ばかりでなく、今の住宅に使われる木造建築の技法や、2x4などの海外の木造建築の技法なども説明される。
木の特性や木造建築の耐久性や、地震に強くする方法、家の簡易的な耐震診断の方法など、これから木造で家を建てようとする人や既に木造の家に住んでいる人にとっても役に立つ話も書かれている。

読む上で専門知識は必要なく、説明は必要十分だし読みやすい。


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京都本送られてくる

著者献本分の本が送られてきた。

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アマゾンにも既に登録されているが、今日現在(3/19)まだ販売はされていない模様。
書店にもここ1,2週間で並ぶことだろう。

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『思い通りの家を造る』

『思い通りの家を造る』

かつてイギリスに住み、自ら6軒もの家を設計したという著者がヨーロッパと日本の家の違いについてを軸とし、それに自らの家造りの経験を盛り込みながら、理想の家を語っている。
日本文化を専門とする著者なら、さぞ日本的な家が好みかと思っていたが、意外にもアメリカンなダブルハングの窓の家がお好きだという。
そうは言っても無条件に欧米の家を礼賛しているわけでもなく、日本の家は日本の風土にあった家にすべきとし、現代日本人のライフスタイルに沿った家、間取りにするには、どのようなものが良いかを提案している。

著者は日当たりの問題については、徹底的にヨーロッパ派で、日本の南向き住居信仰をやめるべきとする。洗濯物も外に干すべきではなく(パリなどは法律で禁止されているとか)、乾燥機を使うことで、洗濯の手間を省けるし、外に干すことで洗濯物が汚染された空気や花粉にさらされることを防げるという。
日本の都市でこのような日照に対する信仰が出てきたのは、地方の農家出身者が都市に出てきたときに、持ち込んだものだという。だから、そんなものにしがみつかないほうがいいという論理らしい。
しかし、日本はもともと農耕民族でほとんどが農村に住んでいた以上は、それを否定するのは文化の否定につながるのではないだろうか、と思う。
風呂で湯船につかるのをやめてシャワーだけにしろ、と言っているのと等しいのではないか。
住居を南向き以外にする手もあるというのは理解できるが、日照について否定しすぎという気がする。

文章中「イギリスでは」「ヨーロッパでは」という言葉が鼻につくところもあって、筆者の日照の考えに反発しすぎたかもしれない。

他に家の中心に厨房を置くという話はなかなか面白いと思った。
畳の部屋はいらないなど、納得できない話もいくつかあるが、家造りをどこにポイントを置いて考えたらいいか、というきっかけにはなった。


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『渡辺篤史のこんな家を創りたい』

渡辺篤史のこんな家を創りたい
『渡辺篤史のこんな家を創りたい』

知っている人は知っていると思うが、土曜日の朝にやっている、小田和正の歌声のオープニングが印象的なテレビ朝日系列の番組「渡辺篤史の建もの探訪」で取り上げた家をまとめて本にしたもの。
この番組を見ていつも思うが、どの家も見た目は当然いい。しかし、住み心地はどうなのだろうか。
家が住む場所である以上、見た目だけの問題ではないだろう。

大開口の窓があって、外の景色が見えればそれは気持ちがいいだろうが、南向きの窓は夏は暑いし、だいいち高いところの窓の掃除はどうするのか。
天窓もいいけど、何年もすると苔が生えて、窓が緑色になってしまうかもしれない。
吹き抜けの天井は室内空間を大きく見せて気持ちがいいかもしれないが、冷暖房効率は悪いだろうし、その天井についている電球の交換はどうするんだ、とか、住み心地、メンテナンス性に関して思ったりする。
それに、食事風景が出てくると、その家の人がいつもパスタだの鶏肉をトマトで煮込んだやつをパンで食べていたりヨーロッパ風の食べ物ばかり作って食べている。そういうのがかっこいいと思っているのか、皆さん、おかしな刷り込みがあるみたいだ。普段はそんなのばっかり食べてないでしょ?とか思ったりもする。納豆ご飯が似合う家があってもいいのでは。

毒づくのはこのくらいにして、この本についてだが、この番組で以前取り上げられた家から選ばれた25件が掲載されている。
その家の合間には建築家の香山壽夫氏と渡辺篤史氏の対談が載っている。
建築と街並みについて、特に、なぜ今の日本の街並みがひどく汚いものになってしまったのか、ということについて語っている。家を商品として見てこなかった消費者、売り手の問題、高層ビルの問題、区画整理の問題など話は多岐に展開していく。最後は良い街並みとは老人が静かに座って過ごせる町ということで話は締められる。
特に日本では区画整理という暴力が街並みにものすごいインパクトを与えたようだ。区画整理の結果、裏通りまで画一的で面白みのない街並みになってしまった。そして、木造住宅は燃えやすいということから、これを徹底的に駆逐してしまったために、かつてあった美しい街並みはまったく姿を消してしまったという。

日本でも最近になって少しずつ景観の美しさの大切さが言われるようになってきた。こうした考えが少しでも広がっていくといい。


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『「欠陥住宅」をつかまない155の知恵』

「欠陥住宅」をつかまない155の知恵
『「欠陥住宅」をつかまない155の知恵』

阪神淡路大震災をきっかけとして住宅の欠陥検査を行うようになったという著者が見てきた欠陥住宅をもとに、業者はどのようにしてどんな欠陥住宅を作るのかを明かし、建築業界の悪しき慣習や裏事情を知ることによって、消費者が被害にあわない方法を教えてくれる。

実際に起きたトラブルと、そのときどうすれば被害にあわなかったかという方法を示してくれているが、これまでたくさんの欠陥住宅を見てきた著者ならではの説得力がある。

また、家を建てるときには、ハウスメーカー、工務店、設計事務所のどれかに依頼するわけだが、それぞれについて依頼した場合、問題になる典型的なケースを示し、それぞれの選び方、付き合い方を書いている。
最後の章では、うちが欠陥住宅なんだ、とわかったときの解決方法が書かれている。
巻末には欠陥住宅診断チェックリストも付く。

特にハウスメーカー、工務店、設計事務所の典型的な対応と、付き合い方はこれから彼らと付き合う上で役に立ちそうだ。どんなトラブルがあるかを知ることで、より良い対応ができるようになるだろう。

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『絶対に後悔しない一戸建て選び』

絶対に後悔しない一戸建て選び
『絶対に後悔しない一戸建て選び』

普段、メルマガを読んでいるのでよく知っているさくら事務所が出した本なので、買って読んでみた。
さくら事務所は特定の金融機関、事業会社と資本関係を持たない第三者的な不動産コンサルティングを行っていて、買い手の立場に立って相談や立ち合いサービスを行うことを謳っている会社だ。

この本は、これから一戸建てを取得する人のために、信頼できる会社の選び方、土地探し、基礎の欠陥の見分け方、躯体、防水、換気、断熱の欠陥の見分け方、設計図書の読み方などひととおりのチェックポイントが写真やイラスト入りで書かれている。
ひとつひとつが細かく書いてあるわけではないが、何に気をつけなければいけないかが、だいたいわかる。

すきあらば相手をだまし、ごまかそうとする不動産、建築業界を相手にするには、少しでもこちらの知識が必要なわけで、この本は役に立ってくれそうだ。
実際、この本を読んだ後、外を歩いていて庇のない家を見ては、ああ、この家は屋根と壁との継ぎ目に雨が吹き込みやすく、雨漏りに弱いな、とか、大雨の日にコンクリートの流し込みをやっているのを見ては、このマンションは将来強度不足が問題になるだろう、耐震強度問題が起きてもこの業界はまるで反省してないんだな、と思ったりするようになった(コンクリートの流し込みに雨は禁物。小雨程度なら許される。水の分量が増えてしまうので、強度が落ちてしまう)ので、確かに役には立っている。

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『国家の品格』

国家の品格『国家の品格』

この本を読んだときに、日本という国に対して、自分と同じようなことを考えている人がいるんだな、と思った。
人間の論理や理性だけでは物事を判断する限界があると説く。たとえば、人を殺してはいけない理由は論理では解決でない。だめなものはだめという倫理や情緒の問題であり、これを忘れてしまっては問題を解決することはできない。
もともと情緒の国であった日本は、欧米的思考である論理や合理化によって、その思考は侵食されその結果、社会が荒廃してしまった。今こそ、かつての情緒性を取り戻すべきと説く。

筆者は数学者であり、数学とは論理のかたまりの学問であるはずと一般には信じられている。しかし、そうした論理のエキスパートであるからこそ、逆に論理の危うさを知っているということなのだろう。

「よく政治家が『日本はもっと普通の国になるべきだ』などと言います。しかし、その『普通の国』が意味するところは、大抵の場合『アメリカみたいな国』過ぎません」と書いているが、まったくそのとおりで、最近の政治家が「普通の国」と頻繁に言うようになった最近の状況を危惧していた。「普通の国」が意味する内容がひどくあいまいだし、こういう発言をする人間はよほど日本という国が嫌いなんだろうと思っていた。
日本のよさは欧米的土俵に載ってしまっては発揮できないと思うのだ。違うところに日本の価値がある。

小学生への英語教育についてもまったくそのとおりで、英語は喋れるけど、中身がなく日本についても何もしらないために、海外の人から日本について聞かれても何も答えられない日本の恥さらしみたいな人間を作るだけという点も同感だ。

最近のメール問題でもこの国の政治家が中身のない人間ばかりになってしまったという悲しい現実を国民は見せ付けられた。もちろん、そういう政治家を選んだ国民も、なのだが。
そういう時代に、「国家の品格」というレベルにまで持ち上げて論じて、警鐘を鳴らしてくれた筆者には感謝したい。


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『Movable Type上級カスタマイズ術』

ブログ自由自在Movable Type上級カスタマイズ術
『Movable Type上級カスタマイズ術』

こちらのページをMovable Typeで全面的に書き直したときに役に立った。

Movable Typeのカスタマイズの基礎であるテンプレートの作り方、Movable Typeがスタイルシートをどう使っているかと、そのカスタマイズの方法、Perlを使った操作方法、プラグインの作り方などが解説される。
さらに、Movable Typeはブログとしてよく知られているが、Movable Typeはコンテンツ管理システムCMS(Contents Management System)であるとし、同じテーマに沿った多数のコンテンツを時系列に扱うことができるという特徴を最大限生かした実例を示し、こんなことまでできるのか、と思わせてもくれる。

文章も明快でわかりやすく解説も丁寧でよい。
「上級」とあるが、ある程度HTMLを知っていれば、十分読みこなせると思う。

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最終校、校正終了

最終校の校正を完了し、校正紙を送り返した。
最終校と言っているが、今回の赤字を確認するためにもう一回校正紙が出てきて、編集者の方で修正部分のつきあわせをするはずなので、厳密にはそれが最終校となるのだと思うが、書き手側としてはこれが実質的には最後の校正だ。
これで書き手がやるべきことは何もなくなった。

3月末に見本紙ができ、4月上旬に書店に並ぶ見込み。

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京都本、表紙出来

来春出版予定の京都本の表紙が送られてきた。
kyotocover

最終校も鋭意校正中。

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『土方歳三の日記』

土方歳三の日記
『土方歳三の日記』

この本のタイトル、「土方歳三の日記」というのは、昭和18年に発行された『新風土記』という郷土史研究の雑誌に掲載された天野佐一郎という人物の新撰組に関する原稿中に引用された手記が、土方のいまだ発見されていない日記の一部ではないか、とするものだ。
京都で隊を立ち上げてから一ヶ月ばかりの頃で、まだ壬生浪士と呼ばれていた時代に会津藩から招かれ、金戒光明寺で松平容保に謁見したときの様子が書かれている。
そこでただ謁見しただけでなく、容保から乞われて武術の稽古を上覧している。
そのときのそれぞれの対戦相手が書かれている。
剣術を見せたのは
土方歳三-藤堂平助
永倉新八-斎藤一
平山五郎-佐伯又三郎
山南敬助-沖田総司
そして、川島勝司が棒術、佐々木愛次郎と佐々木内蔵之丞。

対戦相手を見ると、それぞれ近藤派、芹沢派のそれぞれが同じ派を相手としている。ここから、それぞれの派の間の対立関係が既に存在したことがそれとなく見えてくる。

この手記の最後は「夕陽に至り壬生村に立戻候」で終わっている。夕陽という言葉を出すところなど、俳句に凝っていた土方らしい、とも思えて微笑ましい感じだ。

この他にも仙台市博物館で発見した土方の書簡や、一次資料、二次資料を漁って見つけた松本捨助、武田観柳斎、近藤勇など各新撰組隊士についてのいくつもの興味深い話が載っている。

本来は一次資料を参照すべきであるが、実は二次資料の中にも重要な史料がある可能性をこの本は教えてくれている。

筆者があとがきに記しているが、以前、忠臣蔵の本を執筆するにあたって、驚くほど重要な資料を明治、大正、昭和初期に至るまでの刊行物で発見し、その重要性を認識したという。

資料発見までの過程も書かれていて、筆者の興奮が伝わってくる。

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『新選組戦場日記』

新選組戦場日記
『新選組戦場日記』

平成10年、『浪士文久報国記事』が発見された。これは永倉新八が新撰組時代を振り返って記した手記であり、長い間行方不明になっていたものだ。
以前紹介した『新撰組顛末記』には、以前、当時の事柄を追って日誌にしたものを持っていたが、あるとき横浜にいる講談師に貸したところ、行方不明になってしまったと書いてある。その日誌がこの『浪士文久報国記事』のことであると目されている。

本書は、『浪士文久報国記事』の原文と訳、筆者による解説が、日誌の各日ごとに分けて載せられている。解説では、他の『島田魁日記』などの新撰組隊士の日誌と読み比べて、その違いなどを知ることができる。

日誌は江戸での浪士徴収から始まり、最後は永倉は近藤らと決別して会津に向かい、近藤は断首、土方は函館で討ち死にするところで終わる。
当時の話を振り返っているので、当然『新撰組顛末記』と内容はよく似ているが違っている部分もある。
たとえば、江戸から京都に向かう途中で部屋割りの間違いで芹沢鴨が暴れた話は『新撰組顛末記』には載っているが、こちらには載っていなかったりする。

とにかく当時の新撰組隊士の生の文章を原文で読めるのは幸せなことだ。

現時点では在庫切れ状態になっているが、ネットの古本屋で探して購入した。
安かったが、その代わり他人宛のサインが中に書いてあった。しかも、著者ではなく発見者の方のサインで、ちょっと気分悪し。

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『幕末』

幕末新装版
『幕末』

幕末、多くの暗殺事件があった。そうした事件のひとつひとつを丁寧に取り上げ、小説に仕立てた短編集。
取り上げられているのは、桜田門外の変で井伊直弼の襲撃に参加したとある薩摩藩士の話、清河八郎の暗殺、龍馬暗殺への復讐、奇妙な事情から狙われることになった絵師・冷泉為恭などなど。

その昔、この本を読んだときはただ血なまぐさい話の連続で正直辟易したことを覚えている。
しかし、いま読んでみると切る側の事情と切られる側の事情、そして、それぞれの人間模様まで察して書き上げたこの小説の奥深さに感銘した。決して血なまぐさいだけの話ではなかった。

暗殺した側にはほとんど無名の人物も取り上げられている。
事件そのものを記述した史料はもしかすると数行程度の記述しかなかったかもしれない。そして、それに関わった人間の史料もまたそれぞれ数行程度しかないものだったかもしれない。それを総合し、無名の人物であっても生き生きとした人物像を描き出しているのは筆者の司馬さんならではといえるだろう。

時代の変革にはまったく役に立たなかった暗殺も多くあった。そうした事件であっても、その当事者にとってはどれも大事件であったし、その過程で暗殺者はどういう気持ちでいて、周囲のどういう影響があり、どう巻き込まれ、そしてどういう心境になっていったのか、ということが丁寧に描かれている。

あとがきに筆者は『暗殺だけは、きらいだ』と書いているが、その割には相当に力を入れ、登場人物に対して時に愛情を込めて書き上げたことが読んでいてひしひしと伝わってくる。

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『新版 幕末維新新聞』

幕末維新新聞
『新版 幕末維新新聞』

以前紹介した『新版 戦国史新聞』の幕末版。
同じように新聞の形式で、1853年の浦賀のペリー来航から始まり、1878(明治11年)の近衛兵クーデターの記事で終わっている。

以前、たぶん「新版」になる前のを持っていたような気がするが、いつのまにかなくなってしまった。
「新版」にはたぶん、以前はなかった新撰組特集の記事が付いている。大河ドラマ対応だろう。

それにしてもこの間、たったの25年だ。明治になるまでで区切れば、ペリーが来てからわずか14年しかたっていない。
これだけの間に、日本は大きく変わった。なんという激動の時代だったんだろうか、ということを改めて思う。

時代に翻弄された人も多かったろう。
この時代の人々は変わっていく日本をどう見ていただろうか。

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『京都時代MAP 幕末・維新編』

京都時代map
『京都時代MAP 幕末・維新編』

幕末の京都の地図の上に白い半透明のトレーシングペーパーが乗り、そこに現代の地図が印刷されている。重ねて見ると、幕末と現代の京都の違いが見えるし、トレーシングペーパーをめくってみれば、幕末の京都が見える。

今の京都市美術館や国立近代美術館、府立図書館のあるあたりは広大な加賀前田屋敷だったのだなとか、京都大学は尾張徳川屋敷だったとか、京都府庁が京都守護職屋敷だったとか、いろいろなことがわかってくる。
ホテルフジタの北側には鴨川に沿って、有栖川宮、近衛、鷹司、九条邸と、公卿の邸宅が居並んでいる。夏の避暑用に鴨川沿いに建てたものだろうか。

それに、これは大体予想は付く事だが、大方の道路は幕末の地図と今とではほとんど変わっていない。消えてなくなった小さな寺も結構あることがわかる。

地図ばかりではなく、後半には幕末の事件現場を歩くと題して、池田屋騒動や龍馬暗殺などの事件を取り上げている。事件のあらましと、事件に関係した施設を当時の地図上で示している。池田屋騒動では新撰組が近藤隊と土方隊に分かれて探索を行っているが、そのときの経路も描かれている。

幕末は当時の痕跡が今でも残っているから面白い。特に京都は、そうした痕跡が実に生々しく残っている。

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『俵屋宗達』

俵屋宗達
『俵屋宗達』

新潮日本美術文庫と銘打ったシリーズのうちの一冊。
文庫本よりはふた回りくらい大きいが、手軽に眺められる手ごろな大きさだ。
あまり大きくて重い美術書だと本棚から出すのがおっくうになって、結局めったに開くことがなくなってしまうものだが、このコンパクトさなら、手元に置いておいて気が向いたときにめくってみられる。

宗達の絵と解説が見開き2ページで掲載されている。後半は宗達という人物についてや宗達の絵の特徴などが書かれている。付録には宗達の年表も付く。宗達は生没年も不明で、どんな人だったのかもあまりわかっていない。年表を作るのも大変だっただろう。

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『日本の美術 No.31 宗達』

『日本の美術 No.31 宗達』 至文堂

これも前回紹介した『宗達と光琳』と一緒に古本屋で購入。
いまも連綿と続く至文堂の『日本の美術』シリーズで、この回は俵屋宗達を特集している。
昭和43年の発行。

表紙裏には、西行法師行状絵詞(旧毛利家本)の中の西行が出家するときに、自分の子供を縁側から蹴り落とす印象的な場面が載せられている。
他にも養源院の杉戸絵、建仁寺の風神雷神図、醍醐寺の舞楽図屏風など有名どころは当然取り上げられている。
モノクロ写真が多いのが残念だが、オール宗達で楽しめる。

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『宗達と光琳』

『宗達と光琳』 山根有三・著 小学館

去年の秋ごろに神保町の古本屋で買った。
小学館ブック・オブ・ブックス 日本の美術18、第一回配本とあるので、日本美術のシリーズものの一冊のようだ。昭和45年に出版され、定価が580円とある。

俵屋宗達、尾形光琳と師弟関係もなく時代の違うこのふたりの画風を引き継いでいった派を明治、大正時代になって琳派と呼ぶようになった。
その宗達ののびのびとした自由闊達な絵、そして、宗達を研究し、美的追及を深めていった光琳の絵がカラーでふんだんに掲載されている。そして、著者山根氏の深みのある解説がその絵をよりよく理解させてくれる。

昭和45年のカラー印刷は十分美しいものだが、気のせいかいかにもいったんカメラで写したものを印刷したのがはっきりわかるような感じする。今のデジタルな印刷と比べて、レンズのガラスのぬめっとした感触と、写しこまれたカラーフィルムのポリエステルの質感のアナログ感が現れているような気がする。どちらがいいというわけではないが、そういう違いが面白いと思った。

ちなみに前回紹介した『長谷川等伯』の著者が等伯論において、根拠が希薄だとして、批判していたのが、偶然、神保町で見つけたこの本の著者の山根氏の論だった。この本は一般向けということもあってか、特にあくの強い主張は見られなかったが。


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売れる?

来春出る予定の本の各章扉のデザインが送られてきた。

なかなかいい。
これは結構そそられるものがあるぞ。

本屋でぱらぱらっとめくった時の印象はかなりいいんではないだろうか。
この印象だけでレジに持っていってくれる人もいそう。

もちろん、手にとってもらわないことにはわからないけど。
もちろん、本屋に配本されなければ売れないし。。
デザインに文章が負けてなければいいのでけど。。

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『長谷川等伯』

長谷川等伯
『長谷川等伯』

戦国時代に能登国七尾で生まれた長谷川等伯は、初め能登で仏画を描いていたが、京にのぼり、やがては狩野派をも脅かすほどの絵師の仕事をするようになった。
代表作は、東京国立博物館の松林図、京都・智積院の松図、同じく京都・圓徳院の山水図。
特に圓徳院のは、もともと大徳寺三玄院にあったもので、そこの住職・春屋宗園に襖絵を描かせて欲しいと頼んだが、断られ、それでも諦めずに住職が留守の間に勝手に上がりこんで描いてしまったといういわくつきのものだ。
等伯には、下克上の時代の薫陶を受けたのか、強引に自分を売り込もうという性格が強かったようだ。

この本は、そうした等伯の生涯についてを筆者の最新の研究成果を踏まえて紹介している。
等伯の周りの人間関係などが特に綿密に記されている。

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『狩野派決定版』

狩野派決定版
『狩野派決定版』

別冊太陽による狩野派の総特集。狩野派を創立した狩野正信から永徳、探幽はもちろんのこと、幾筋にも分かれていった狩野派のそれぞれをその代表作をカラーで紹介している。

付録には総勢350名あまりの狩野派を記した系図が付く。

中でも必見なのは、芝増上寺にある狩野一信による「五百羅漢図」。
五百羅漢図であるからには、当然仏画なのだが、これがとんでもなくおどろおどろしい。こんな仏画はいままでに見たことがない。
羅漢たちはみな暗く厳しい顔をし、地獄などの世界も描かれている。女性が首をつるリアルすぎる絵もある。
見ていて陰鬱な気持ちになってくるが、なぜか絵から目をそらすことができない。精緻を極めた不思議な世界の数々がそこに描かれているせいだろう。

完成後、増上寺一山をあげて祝ったというが、この絵を見た当時の僧侶らはどんな気持ちでこの絵を見たのだろうか。


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『日本美術史』

日本美術史増補新装
『日本美術史』

縄文時代から現代までの「美術」というジャンルに納まるものを収録している。ここには、城門式土器、仏像、仏画、建築、工芸品、密教法具などさまざまな美術品がふんだんに写真とともに紹介されている。時代ごとにどのような美術品が生み出され、好まれたのかがよくわかる。

筆者らは近現代の美術家には厳しい目を向けている。戦争中には、画家も戦争画を描かされているが、そうした作品の芸術性については否定しないものの、戦前、戦争に協力しておきながら、戦後は無関係を装った一部画家らを非難している。

藤田嗣治もこのときの戦争協力の責任を押し付けられて、追放されるがごとくアメリカに去り、フランスに帰化したという話はこの本ではじめて知った。

かつての前衛芸術家も、『しょせん表面的な「かっこいい」だけのものではなかっただろうか」と』批判したりしている。

通り一遍だけの美術品の羅列にならず、その思想性にも踏み込んでいるところに、筆者らのこだわりが感じられる。

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『京都岩倉実相院日記』

京都岩倉実相院日記
『京都岩倉実相院日記』

この本は、京都の実相院で売っていたので買った。
実相院日記というのは、門跡寺院である実相院の歴代の門主に仕える坊官が260年に渡って書き継いだ日記のことで、1998年に発見された。
この本では、まず門跡寺院とはどんな寺なのかについて説明し、そして、門跡寺院のトップである門主とはどんな人間で、それに仕えた坊官とはどんな職業だったのかを説明している。

日記については、主に幕末の記事に焦点を当てて紹介している。
この頃に京都であった事件は当然記録されている。
足利木像梟首事件とか、浪士組の名前で新撰組が出てくるし、近藤勇の処刑も書かれている。
天誅の名の元に殺害され、さらし首になった人も大勢いた。
坊官はこうした首や処刑の様子をわざわざ岩倉から見物に来ていたらしいことが、この日記からわかる。

この本に紹介されているのは、260年に渡る膨大な日記のうちのごく一部に過ぎないのが残念だが、当時の生の様子のわかる日記というのはやはり面白い。

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『古都』

『古都』

川端康成氏の京都を舞台とした小説。
登場人物は京都の町中を歩き、花見や葵祭などの年中行事を見に行き、読者に京都の風情を感じさせてくれる。
それに登場人物が話す京都言葉は、この小説を一層輝かせている。
この小説に出てくる京都言葉はどこをとっても美しい。
あとがきに書いてあるが、言葉の部分は京都の人に見てもらっているという。それだけに本物の京都言葉を味あわさせてくれる。


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『京都地名の由来を歩く』

京都地名の由来を歩く
『京都地名の由来を歩く』

著者はれっきとした大学教授だが、内容はというといたって軽めだ。
大学教授なら、もう少し深遠な話を書いてもらって、こういうゆるい話は我々のようなライターに任せてもらいたいものじゃがのう、と思いながら読み進めた。

ただ地名についてその由来を書いているわけではなくて下のようなカテゴリーごとに分類している。
このカテゴリー分けはなかなかそそられるものがある。
しかし、どういうわけか地名の由来の話はどこかに飛んでいってしまって、その寺なり史跡なりの説明や著者の思い入ればかりになっているところもあって、読んでいるうちに、これが地名の由来についての本だということも忘れてしまっていたこともしばしばであった。

ちなみにこの本、それなりに売れているようだ。
こんなにゆるい本なのに。というか、こういうゆるい本の方が売れるのか。

第1章 京都は水の都だった!
第2章 坂に伝わる人の思い
第3章 京都の町づくり―開発と産業
第4章 人々を救う仏教思想―気になる寺々
第5章 葬送の地に立つ
第6章 京都にはいくつもの戦いがあった
第7章 占いと怨念の世界
第8章 京都の遊びと地名
第9章 いつまでも慕われる人
第10章 朝鮮半島と地名
第11章 食べ物・飲み物と地名

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『街道を歩く京への道』

街道を歩く京への道
『街道を歩く京への道』

どういうわけか「道」という言葉には何か惹かれるものがある。それは、古くからある道は、大勢の人が地面を踏み固めてできたものだからなのかもしれない。その道を通るときには、いろいろな人がいろいろな思いでその道を踏みしめていったことだろう。道は新たな未知の何かと出会うためのきっかけでもあるからか。さらに、「旧道」なんて聞くと心躍る気持ちになる。

この本はそうした古くからある京都に入る道とその周囲の神社仏閣、記念館、旧跡、石仏などを紹介している。
京都へ入る入り口としては「京の七口」が知られているが、道はそれだけではなく、この本では京都に入る21の街道を取り上げている。
それぞれの街道についてコンパクトにまとまって書かれているので、その街道の特徴を理解しやすい。

ちなみに地図はペン書きのイラストで、文字は端にひげを付けたようなひと昔前風に書かれているので、だいぶ前に出版されたものかな、と思ったが初版発行は2004年だった。
わざとレトロ調に描いたわけではないだろうが、あるいは昔描かれたイラストの流用か。

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『新撰組顛末記』

新撰組顛末記新装版
『新撰組顛末記』

この本は、大正二年に『永倉新八』のタイトルで小樽新聞に連載されたもので、本人が当時を思い起こしながら日記に記してあったものをベースとし、記者が永倉に取材しながらまとめたものらしい。

試衛館での永倉と近藤の出会い、浪士隊に応募し京都に向かった話、その途中、本庄宿で宿割りから漏れた芹沢鴨が大かがり火を焚いた話、壬生に到着してからの話、芹沢暗殺、池田屋騒動、蛤御門の変、永倉が近藤に不満を持って会津候に建白書を出した話、山南切腹、伊東甲子太郎の合流と分離、そして暗殺、そして幕府滅亡に向かっての動きと新撰組の最後までが書かれている。

いくつか記憶間違いがあるようだが、実際に新撰組ですべてを体験した永倉の話であるし、生々しい話ばかりでぞくぞくしながら読んだ。
たとえば、ドラマや小説では山南敬助は物静かなインテリ風に描かれることが多いが、実際は結構熱い人だったらしいということや、芹沢鴨はやはり破天荒な人物だったということがわかって面白い。

最後には永倉の子にあたる人がこれを出版するときの話などが書かれている。題字の揮毫を徳川慶喜に頼み、了解を取ったという話が出てくるが、この本の題字は活字によるもので、慶喜の字を見ることはできないのが少し残念。

なお、新撰組は新選組と書くことも多いが、この本では永倉自身が新撰組と書いていたためにこのように表記したとあとがきに書かれている。

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新年

あけまして おめでとうござます。
皆様、今年もよろしくお願いいたします。

正月二日、早くもブロイラー状態となっている中、少しでも腹ごなしになるかと思って原稿書きにいそしんだ。
来春発行予定の本の原稿のうち、残っていた「幕末京都の事件簿」(仮)3ページ分を完了させる。
3ページだけなので、取り上げたのは
1863 新撰組誕生
1864 池田屋騒動
1864 蛤御門の変
1866 龍馬、池田屋で襲撃さる
1867 龍馬暗殺
だけに絞った。
これで「はじめに」以外に未着手のものはなくなった。(うぉーうぉー)

既に提出済みの原稿のうち気になっていた部分の原稿にも手を入れた。
流し込みが終わっていなければ、そのまま入れ替えてもらえるのだけど、あちらはどんな状況だろうか。

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今年読んだ本ベスト10

とうとう今年も最後の日に。
なので、今年読んだ本のベスト10を選んでみた。

1.『花咲ける上方武士道』
幕末、江戸へ偵察に行かされることになった公家の物語。現代のヤジ・キタ道中として面白く読める。
2.『猫のいる日々』
猫好きの大佛次郎によって描かれる、本人や周囲の猫好き人間による猫へのやさしいまなざしを感じられる。
3.『イケズの構造』
よそさんには見せない京都人の頭の中がわかる一冊。京都人と付き合いたい人には必須?
4.『ニッポン』
桂離宮を絶賛し、日本人の間で再評価させるきっかけを作ったブルーノ・タウトが見た古き良き日本。
5.『謡曲平家物語』
平家物語を取り上げた謡曲を通して平家物語が全編を通して持つ切ない情感を感じる。
6.『金閣寺』
実際の金閣寺放火事件を題材とした小節で、三島由紀夫の美意識が余すところなく表現される。
7.l『黒衣の宰相』
黒衣の宰相と呼ばれた金地院崇伝を題材とした小説。かなりの長編だが飽きることなく一気に読める。
8.『帰郷』
戦後日本の荒廃した中に生きた日本人を表現する小説。変わることなく潤いを与え続けた苔寺や龍安寺などの庭園が登場する。
9.『戦国時代の貴族 『言継卿記』が描く京都』
戦国時代に生きた貴族、山科言継の日記を通して当時の京都の状況や当時の貴族の台所事情を垣間見ることができる。
10.『平安王朝』
これまであまり取り上げられることの少なかった平安時代の天皇家の生々しいまでの王位継承問題を知る。

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『3日でわかる戦国史』

3日でわかる戦国史
『3日でわかる戦国史』

戦国時代について、いろいろな観点からその時代を明らかにしている。
主要な武将についての紹介とか、いろいろな合戦で使われた戦術など、普通の戦国時代ものの書物に書かれている事柄ももちろん書かれているが、この本のいいところは、どういう流れであのような時代になったのかとか、なぜあの合戦が行ったのかとか、その時代の流れを追って、「なぜ」「どうして」を解決してくれるところだ。
よくまとまっていてわかりやすい。
「3日でわかる」とタイトルにあるが、その気になれば数時間で読みきれる。
戦国時代がどういう時代だったのかを知りたい人に最適。

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『戦国時代の貴族 『言継卿記』が描く京都』

戦国時代の貴族
『戦国時代の貴族 『言継卿記』が描く京都』

冷泉家から分かれた山科家は京都・山科を本拠地とした貴族の家で、言継はその家に戦国時代に生を受けた。
山科家代々の当主の書いた日記のかなりのものが残されていて、その中には言継のものもあり、これを『言継卿記』という。
現在残っている『言継卿記』には1527年から1576年までの日記が書かれている。
1467年に始まった応仁の乱をきっかけとする戦国時代の前半にあたり、将軍で言うと足利義晴の時代から始まる。細川、三好、六角らの戦国武将らが京都を舞台として戦いを繰り広げ、やがて織田信長が将軍義昭を擁して上京し、やがては反目して義昭を追放し、1576年の安土城を築いた年で終わっている。

山科家は他の非主流公家と同様、お金には苦労したようで、特に戦国時代になると貴族が持っていた地方の荘園への力が及ばなくなり、かつて荘園から入ってきていた収入が減っていった。荘園以外の収入としては関所からの通行税や商業従事者への商業税があり、荘園収入が減るにつれてこちらの収入の割合が増えていったようだ。こんなふうに、公家という古い勢力が力を失っていくという時代の変化についても克明に記録されている。
足りない分は先祖伝来の笛や刀、直垂など質に入れてお金の工面をしていた。天文元年六月には質に入れていた蚊帳を取り戻して喜んでいる様子も書かれている。
使僧が言継邸を訪問したときには、雨漏りが激しいので別の公家の家を借りたりしている。
家計を助けるために、言継は医薬を学んでそれを副業とすることまでしていたようだ。

戦国時代は京都でも頻繁に合戦があり、言継はそれを物見遊山気分で見物に行ったりしている。時には流れ矢が供の者にあたって死んでしまったり危ない目にもあっている。

この本を読むと、この時代に生きたひとりの貴族の生活がありありと浮かんできて面白い。

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『花咲ける上方武士道』

花咲ける上方武士道
『花咲ける上方武士道』

タイトルだけ見るといったい何の話なのか検討が付かないのだが、これは幕末を舞台とする小説だ。
幕末といっても、新撰組も出てこないし、坂本龍馬も出てこない。
主人公は高野則近という公家で、貧乏公家ゆえと、公家でありながら武士も一目置くほどに剣の道を極めたために睨まれたことゆえに、大阪の商人の家に売られる。しかし、やがて今大塔宮とも言われた勤皇派の宮、青蓮院宮から、剣の腕に目を付けられて呼び出され、江戸まで密偵を依頼される。

旅の供となるのは、大阪で知り合った武家の血を引き、商人でありながら剣の腕もめっぽう強い男と、伊賀者の男。初めはこの3人で旅を始める。
道中、幕府から京に送り込まれた隠密を雅客(宮飛脚)というらしいが、こうした隠密に命を狙われ、時には幻術まがいの忍術に惑わされながら、江戸へと向かっていく。

血なまぐさい話ばかりではなく、女性も頻繁に出てくる。
大阪で知り合った商家の姪の女は高野則近を追いかけてくるし、高野則近に惹かれながらも敵として戦わなければならない雅客の女首領も出てくる。

旅籠をゆすって金をせしめようとする公家と出会ったり、七里飛脚という飛脚とトラブルになったり、やくざの用心棒になってしまったりする。
こんな風にさりげなく当時の江戸の習俗や階級社会下にあった日本の社会を紹介してくれている。素焼きの鈴の中に手紙を入れて受け渡すというのもこの本で知った。
次々に事件が起こり、いろいろな人と出会うので、少しも退屈する場面がない。それに道中で戦いの場面以外の会話などはほとんどやじさん、きたさんの東海道中膝栗毛のような能天気さだ。

すごく面白かった。司馬さんの小説は何冊も読んでいるが、中でもこの本はオススメの第2位にしたい。
(第1位は『竜馬がゆく』

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『新版 戦国史新聞』

戦国史新聞新版
『新版 戦国史新聞』

1467年の応仁の乱から始まり、大阪夏の陣が終わった1615年までの戦国時代についての出来事を新聞風に再現している。1年から2年程度を見開き2ページで掲載し、見出しの立て方やデザインは当然、新聞風にしている。
広告が入っていたり、四コマ漫画もあったり、時には社説も入っていたりする。
もちろん大きな見出しはその年の大きな出来事だが、それ以外にも池坊専応が立花を披露した記事とか、少年時代の信長を取材した風記事とか、軽めの記事もあって楽しめる。

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『この一冊で「戦国武将」101人がわかる!』

この一冊で「戦国武将」101人がわかる!
『この一冊で「戦国武将」101人がわかる!』

戦国武将101人についてのエピソードなどが書かれている。
ただ、それぞれの武将がどういう人物だったかとか、生涯についてとかが書かれているわけではないので、戦国時代を知らない人が、この本を読んでも『この一冊で「戦国武将」101人がわかる!』というわけにはいかない。

戦国時代のうんちくを増やしたい人にはいいかもしれない。
実態は知らないけど、出版社サイドから「ひとりひとりの話は薄くてもいいから、この本はとにかく数で行きましょう」なんていう話があって、こういう本ができあがったのではないだろうか、という感じ。

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『図説・戦国武将118』

『図説・戦国武将118』

戦国時代の武将118人についてのデータブック。
各人物の肖像画、家紋、ゆかりの品々、そして軍旗と馬印が掲載されている。
どんな人物だったのかについても簡単に説明が書かれているため、戦国武将入門書としても読める。
それぞれの武将の掲げた旗や鎧などはほんとうにいろいろなバリエーションがあるし、色彩豊かだし、当時の日本人がいかにおしゃれで、美的感覚があったかがよくわかる。

変わったところでは福島正則の捩じり芭蕉。芭蕉の大きな葉をねじった形で棒に取り付けている。
吉川広家の婆々羅印は、真っ赤なひらひらを扇のように広げたものが棒の先に付いている。
長宗我部盛親は朱の三つ提灯で、文字通り赤い提灯を棒に三つ縦に取り付けている。
京極高知は黒鳥毛団子二つ。黒い羽状のを丸く団子のようにして、棒に二つつけているものなど、いろいろある。
これだけをページをぱらぱらめくりながら眺めているだけでも楽しめる。

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みな紅の扇の日出だしたる

『平家物語』には那須与一が平家の女房が手に持った扇を矢で射る場面が出てくる。

その扇は、「みな紅の扇の日出だしたる」とある。
手元にある『平家物語』の注によれば、赤い漆で全面を塗った上に金箔で日の丸を押したものとある。

その扇のイラストを来春出す本に載せるために描いた。

どうすれば簡単でリアルに描けるかと考え、ひらめいた。
扇子の写真を撮ってパソコンに取り込み、それに色を塗るのだ。
去年の夏に買った扇子があったので、それを広げる。表にはナマズの絵が描いてあるので、ひっくりかえしデジカメで撮影する。赤漆というから少し黒めの赤を選択し、全面に塗る。そして、金色の丸を描いて出来上がり。

原稿も90%近く提出済み。あとは「幕末の京都を歩く」「はじめに」を書けば終わりになる。
本業の方も落ち着き、どうにか新年を迎えられそうな雰囲気になってきた。

minakure

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『完訳フロイス日本史 豊臣秀吉篇』

『完訳フロイス日本史 豊臣秀吉篇Ⅰ』
『完訳フロイス日本史 豊臣秀吉篇Ⅱ』

続いてこの2冊では豊臣秀吉の時代が描かれる。
秀吉は当初、キリスト教を好意的に受け止めていたものの、あるとき突然、弾圧を初めている。彼らバテレンの陳情を受け入れ、城で親しげに会ったかと思うと次の日には追放令を出したりと非常に気まぐれな態度を取っていた様子が書かれている。そのため、途中から秀吉のことは「暴君」と書かれるようになる。
秀吉によってキリシタンの有力大名が転向を迫られる中、高山右近は断固として拒否し、大名の座を追われるなどする中、それでも秀吉の気持ちが少しでも変わってくれることを願っている様子などはなんともいじらしい感じがする。

この2冊の最後には朝鮮出兵のことが書かれている。キリシタンの小西行長は英雄的、好意的に描かれるのに対して、異教徒で法華教徒の加藤清正は行長の成果を横取りしようとする卑怯な人間として描かれる。彼らにとって法華教徒(日蓮宗)は非常な天敵的存在で、そんな思いがこの2人の強烈な対比となって表れているのだろう。

秀吉の臨終は本文では書かれていない。そのかわり、この本には付録として、同じイエズス会のフランシスコ・パシオという人の報告書が掲載されている。
秀吉から、日本からの追放令を受けていたイエズス会は、秀吉が重病になってからは、秀吉の側近から丁重にもてなされるようになり、その死に際してはゼウスのおかげとして感謝をささげている。

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『完訳フロイス日本史 織田信長篇』

『完訳フロイス日本史 織田信長篇Ⅰ』
『完訳フロイス日本史 織田信長篇Ⅱ』
『完訳フロイス日本史 織田信長篇Ⅲ』

ルイス・フロイスは16世紀後半に日本に30年あまり滞在したポルトガル人の宣教師で、その間の出来事を丹念に記録した。それが『日本史』で、そのうちのこの3冊には織田信長の時代の出来事が記述されている。

日本に到着し、まわりに理解者がいない中でしばしばいやがらせを受けながら、次第に信者を獲得し、規模を広げていく様子が描かれている。
キリスト教を広めるにあたっては、日本の宗教についてよく研究していたことが書かれている。
そして、それを知った上で相手の宗教を論破してしまう。論破された日本人の態度は2通りに分かれる。キリスト教に改宗するか、悪態をついて帰っていくかのどちらかだ。悪態をついて帰っていた中には別の仲間を連れて再度、論戦を望んだ者もいた。
それにしても情けないと思うのは、当時の日本の宗教人がいとも簡単に論破されてしまうことだ。欧米の論理的思考に慣れていなかったということもあるのだろう。
ほとんど連戦連勝のように書かれているが、記録しているのがキリスト教側の人間なので、そのへんは差し引いて考えないといけないのかもしれない。

それから面白いと思ったのが、彼らが鞭打ちによる苦行を行っていることだ。鞭にはとげがついていて、それで自らの体を打ち、血を流すのだという。確か、イランの方にそういう祭りがあるというのを何かで見たことがある。その起源が同じだとすると、かつて、キリスト教の習俗だったものがイスラム圏で残っているということになる。
昔からいがみ合うこの2つの宗教だが文化圏が近くて重なっているので、お互いが影響しあっているのだろう。

当然、当時の日本での出来事も記録されている。
足利義輝が松永久秀、三好三人衆らに襲撃され殺害された事件や、信長が義昭を擁して入京したことなど。
信長についてはキリスト教を弾圧することなく、ポルトガル人宣教師たちをしばしば自らの城に親しく招いたりしたため、彼らポルトガル人からの受けもよく、この本の中でも信長は好意的に描かれている。
そして、この3冊の最期は本能寺の変とその後の動きについてが書かれている。

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お寺の台所事情

今度出る本を含めると3冊の神社仏閣に関する本を出すことになる。
そのとき、掲載するところにはすべて許可を取っているのだが(編集者さんがひとつひとつ連絡をとってくれる。今回も50件以上あり、その手間は相当なものになるわけで、毎回この作業をやってくださる編集者さんには頭が下がる)、毎回1,2割程度の寺社は掲載料を請求してくる。
今までの経験からすると一軒あたりだいたい1,2万円といったところだろうか。5千円のところもあるし、金額を言わずに志納で、と言ってくるところもある。

そちらも商売で本を出すのにうちの寺を利用するんだから、そのくらいは払いな、ということなのかもしれない。
あるいはいろいろとやりとりをする手間賃として請求するのかもしれない。
実際のところ、どういう理屈で請求してくるのかはよくわからない。
いずれにしても写真は何枚使っても掲載一軒について固定料金を請求されてきた。
ただ、1,2割程度の寺社がその程度の金額で請求してくるのであれば、それはそれで構わないと思っていたし、資本主義下の寺社経営を考えると、それもアリだろうと思っていた。特に観光寺院化した現代の寺院では仏教の布教よりも美術品を保存・展示する方が大事なのだろうから、何事についても収入を考えないといけない。

ところが、今回金額についてその常識を覆す寺院が現れた。
ひとつは京都の北東の山上にある寺で、写真一枚につきいくらで請求してきたという。国宝ならいくら、それ以外ならいくらと細かく決まっているのだそうだ。
そうなると、その寺だけで10万円近い金額を納めなければならないことになる。
制作費が少ないため、京都への旅費や宿泊費は半分近く手弁当でやっているというのに、そんな大金を払えるはずもない。
残念ながらその寺の掲載はあきらめた。さすが、中世に相手が天皇や法王であっても強訴を繰り返した寺だけあると感心するしかなかった。

もうひとつ、掲載を断念せざるを得なかった寺がある。
哲学の道の北の端にある寺で、ここも写真一枚あたりの料金で請求してきた。しかも、その単価は京都の北東の山上にある寺よりもずっと高い。これでは20万円近くなってしまう。こちらも掲載は断念した。さすが、応仁の乱の時に政治を放って道楽に専念していた将軍が造った寺だけのことはある。

おかげでこれらの寺の写真が本や雑誌に出しているのを見ると、これでいくら払ってるのかと計算するようになってしまった。小出版社だと掲載許可を取っていないところもあるのかもしれないなあ。

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タイトル決定

来春に出版される本のタイトルが決まった。
「京都で古いお寺や神社を巡るやすらぎの旅」

出版社からこのタイトルを提示されたときに、内容とあまりマッチしないと思い、対案を出した。
こちらから出したタイトルは
「京都の古寺社を巡って伝統と文化に遊ぶ」

しかし、却下され、不本意ながら上のタイトルで行くことになった。

今度の本の内容としては京都の寺社をいくつかのテーマで分類して紹介するというものだ。
出版社から企画を持ち込まれたときに、類書の多い京都本の中に埋没しないような企画を改めてこちらから提案した。

テーマというのは以下のとおり。
庭園
平家物語
源氏物語
門跡寺院
戦国武将
有名絵師の絵
京都を見下ろせす
桜を愛でる
紅葉狩り

やすらぎを求める人がこの本を求めてもらっても、ある意味やすらげるかなあとは思うのでまあ間違ってはいないと思うが、こういう内容に興味を持つ人はこのタイトルでは手に取ってくれないのではないかと思う。

間に入っている編集プロダクションは出版社から、
類書に似たタイトルの方が本屋さんが一緒に同じコーナーを作って置いてくれるかもしれない
とか、
表紙に力を入れるのでこれで我慢してほしい
とか言われたそうだ。

単なるガイドブックでもあるし、タイトルはあまり小難しくない方がいいのかな。
表紙に力を入れるというなら、少し期待するとするか。

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原稿書き完了

来年春に出版予定の京都本の原稿を一部を除いて書き終えた。
今年の初めから本業の合間にやっていた作業だったが、ようやくひと区切りがついた。(うおー)

当初、文字数とレイアウトは暫定で書いていたので、正式な文字数にあわせて原稿を書き直す作業がある。
今まで書いた分の文章を見直しながら、新しい文字数にあわせて文章を足したり削ったりしなければならないので、すべての見直しを終えるまでにあと2週間ほどかかる予定だ。

それを終えてから残りの一部の原稿を正月あたりに書き終え、初校~色校まで校正を行ってすべての作業が完了する。
さあて、あともう少し。

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『王朝政治』

王朝政治『王朝政治』

「王朝時代」とか「王朝国家」という呼び方は学会で使われてはいるが、それがどの時代を指すのかについては、人によって異なるらしい。それは律令制度が確立する奈良時代から平安時代だったり、律令制度が機能しなくなり、新たな政治体制となってくる平安中・後期だったりする。
この本ではそのいずれでもなく平安時代全般の政治史を論ずるのだということが前書きの部分に書かれている。なんだかややこしいがそうなると前回紹介した『平安王朝』と同じ時代範囲ということになる。

『平安王朝』が天皇を中心として平安時代を描写するのに対して、この本では、その時々の制度や社会状況を中心としている。これは第一章「太政官制と摂政・関白」、第二章「王朝政治の展開」、第三章「王朝政治と財政および軍事・警察」に書かれている。

第四章「王朝政治と民衆」はそれ以前の章とは毛色が違っていて、主に民衆の信仰についてが書かれている。この時代、律令時代に制定された大和朝廷の神々への祭祀が薄れ、民衆レベルでそれと異なる異端の神々への信仰が行われた。恨みを持って死んだ人が祟り神となる御霊信仰もそうした流れの中から出てきたという指摘がなされている。
また、志多羅神という神が十世紀中期に都に入京し、民衆がこれを熱狂的に歓迎したという事件があったのだそうだが、この神は実は菅原道真そのものであって、これも御霊信仰の流れの中にあった。
怨霊を恐れたのは怨霊になった彼らを追いやった体制側なのであって、体制に抑圧されていた民衆はむしろこれを歓迎していたという。道真を祀った天満宮はどこも庶民的な雰囲気のある神社だし、民衆にはこうした怨霊を味方に付けるくらいの力強さを持っていたのかもしれない。
当時の民衆にとっては、怨霊よりも国家権力のほうがえげつなく、恐怖の対象だったということか。


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『平安王朝』

『平安王朝』

この本では、平安時代に在位した32人の天皇について、それぞれの生涯と運命について描かれている。意外にも平安時代について天皇を中心として捕らえた試みはいままでになかったらしい。この時代は藤原氏が実質的に政治を行っていた時代と認識され、天皇はお飾り的存在だと思われてきた。
この本では、天皇の王権の系統に着目し、王権がどのように次の世代に引き継がれてきたかという点を中心に平安史を再構築している。
実は平安時代の政争はすべて、村上天皇のふたりの皇子である冷泉天皇と円融天皇の兄弟の子供らの王位継承問題のこじれに関わっているという。
また平安時代は奇跡的なほどに日記などの史料が残っている時代でもある。この時代の史料は研究されていないものが多いそうだが、調べた範囲のものを活用し、この時代のいままでほとんどスポットライトの当たってこなかった歴代天皇を生々しくよみがえらせることに成功している。

筆者の文章はとくべつ読者に媚びるような態度ではないものの論理的で、かつ簡潔であり読みやすい。それに今までの学説と異なる説を提示する場合でも、ことさら大げさにそれを持ち上げて書くわけでなく淡々と自説を展開している。どこかの右翼小説家が書く歴史書のようにただひたすらにセンセーショナルな書き方をすることだけで注目されるのとは大違いで、好感が持てる。

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『猫のいる日々』

『猫のいる日々』

猫好きで知られる大佛次郎がいろいろな雑誌に書いた猫に関するコラムを集めた本。
家には常に10匹を下らない猫で賑わっていたという。そういう家があると当然、猫を捨てに来る人がいるので、監視してこれ以上増えない努力をしていた。京都・奈良の寺にいけば顔見知りの猫がいて、その猫のために事前に目刺しなどを用意していく。猫好きの知人が亡くなると、香典の他にその家の猫のためのご飯を持っていく。弔問に訪れると故人を囲んで座る人々の膝にそれぞれ猫が乗っていたという。
そういう大佛自身の葬式でも塀の上にうずくまっていた猫が、下を通る弔問の客を確かめるようにしていたということが、あとがきに書かれている。
どのコラムも自然な猫への愛情がにじみ出ていて、本当に猫が好きな人だったのだということがよくわかる。
後半は猫の出てくる短編小説が収められる。猫のしぐさの細かい表現など、猫好きでなければこうは書けない。


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神保町で古本屋めぐり

久々に神保町で古本屋を覗いた。
『宗達と光琳』(小学館)
『日本の美術』(至文堂)シリーズNo.31『宗達』とNo.377『妙見菩薩と星曼荼羅』
の3冊を購入。

さらに『今鏡』(講談社学術文庫)を探す。全訳の本で手軽に読めるが、既に絶版になっているらしく入手困難の本だ。
探していると見つかった。
しかし、定価が1冊あたり1300円なのに、上中下の全3冊で2万円以上の値段がついている。(フザケルナー)
諦めて買わずに帰ってきた。

Amazonでも下巻のみがユースドで9800円(フザケルナー)

とりあえず復刊ドットコムで投票した。
絶版本を投票で復刊!

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『源氏と日本国王』

源氏と日本国王『源氏と日本国王』

はしがきの始めに筆者が言いたいことを端的に言うと
「征夷大将軍という地位は、日本の国家主権を示すものではなかった。」
とある。
特にそんなことを思ってもいなかったので、いきなりそう言われても、はあ、そうですか、というしかないが、筆者の主張はそこにとどまるのではなく、足利家や徳川家は征夷大将軍としてではなく源氏長者として国家主権を掌握していたのではないか、ということだ。源氏長者とは文字通り、源氏一族の中の長を意味する。
その主張が正しいのかどうかはなんともいえないが、この本のいいところは一般人向けに丁寧に解説してある点であると言えるだろう。
たとえば、苗字と姓の違いとか、源氏、平氏の始まりなどこのテーマを理解するうえで必要な知識をひとつずつ解説しているため、途中でつまづくことがない。
それは筆者が尊敬する歴史学者の大庭脩氏の「教養書というと研究業績として価値が低いもののように思われがちだが、むつかしいことを誰にでもわかるように書いてこそ、プロの研究者であり、教育者なのだ。」という信念を継承している、というようなことをあとがきで書いている。その態度にはエールを送りたい。


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扉の写真

拙著『京都・奈良のお寺で仏像に会いましょう』について読者から質問があったという連絡があった。
何だろうか、思ったが扉(章のしきりにするページ)に使っている写真はどこのものか、と聞いてきているという。
この本は大きく分けて京都と奈良の2つにしきっている。問い合わせがあったのは、その京都編の扉に使っている写真だ。

ひとめ見て「あれっ」と思った。
京都編の扉に奈良の寺の写真が使われている。
念のため、当時のポジを探して確認したがやはりそうだ。奈良の円成寺だ。
寺の門を通して見える浄土式庭園が写っている。

制作の当時、イメージ写真として使える写真を提供して欲しいと言われ、場所が特定されにくい写真を何枚か渡した。デザイナの人がそこから適当に選択して写真をはめ込んだのだと思うが、そのときに京都編の扉にこの写真が使われた。
場所を説明するキャプションもない純粋なイメージ写真なので、それは構わないと思うが、本ができてから3年にもなるのに、当の本人がまったく気が付いていなかったのがショックというか意外な感じがした。
やはり書き手というものは文章以外にはなかなか目がいかないものだなあという感じだ。

読者の人はもしかしたら京都通で自分の知らない場所を見て問い合わせたのかもしれないし、京都に行くときにここにも行ってみようと思ったのかもしれない。いずれにしても回答を聞いてがっかりしているかもしれないと思うと少し申し訳ない気持ちだ。

ちなみに奈良編の扉の苔の写真は、秋篠寺のもの。


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『拾遺都名所図会』

新訂都名所図会(4)
新訂都名所図会(5)

ちくま学芸文庫の『都名所図会』の第4、5巻には『拾遺都名所図会』が収録される。
『拾遺都名所図会』は『都名所図会』に入っていない寺院や神社、史跡などが載せられている。

『都名所図会』は安永九年(1780)に初版が発行され、その続編である『拾遺都名所図会』はそれから七年後の天明七年(1787)に刊行されている。
『都名所図会』という企画を考えたのは出版元の吉野屋と、筆者の秋里籬島という人の2つの説があるらしい。
いずれにしても、この一冊が大ヒットし、大和、住吉、摂津、近江、東海道など各地の名所図会が刊行された。
さらに、『源平盛衰記図会』『保元平治闘図会』などの歴史を題材にしたシリーズも出している。この『拾遺都名所図会』も読者からの要望で京都の続編として書かれている。
『都名所図会』が出されたころには、『京童』など絵入りの都の案内書が刊行されていた。それにも関わらず、『都名所図会』が大ヒットするのは、絵師・竹原春朝斎による精緻で斜め上から俯瞰して建物を描いた図による力が大きかったようだ。描かれる人物もいろいろなしぐさや表情をしていて愛嬌がある。
『都名所図会』ヒット後、各地の名所図会を書くために、秋里と竹原の2人は供の者を連れて、取材旅行を敢行している。出版元からの潤沢な送金によって全国を巡ったらしい。さぞ楽しかったことだろう。
この本は、秋里と竹原の2人が「江戸ドリーム」を掴んだきっかけとなったわけで、ただ単に江戸時代のガイドブックという以上の価値を持っていると言える。

ちくま学芸文庫版の最後には100ページ近くに渡る地域別の索引と人名・事項・書名索引の2種類がついていて、逆引きするのも便利になっている。


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『都名所図会』

新訂都名所図会(1)
新訂都名所図会(2)
新訂都名所図会(3)

都名所図会は、先日紹介した『都林泉名勝図会』を執筆した秋里籬島がこれ以前に出版した京都のガイドブックだ。『都林泉名勝図会』が庭園に絞っているのに対して、こちらはほぼすべての京都の寺社を網羅しようという意気込みが感じられる。

このちくま学芸文庫から出ているものは残念ながら現在は新本では手に入らない。
この本もたまたまアマゾンのユーズドで全冊セットの新古本として出品されていたのを購入した。
絶版本はもとの定価よりも高い値段で出品されていることが多いのだが、これは定価よりも安かった。

このちくま学芸文庫版は、全五冊セットで、最初の三巻が『都名所図会』、残りの二巻には、その後、増補版として出版された『拾遺都名所図会』が掲載されている。

『都林泉名勝図会』と同様、精緻な絵が挿入されている。今とほとんど変わらない寺社もあれば、いまはないものもある。絵には必ず人が描かれ、当時の人はこんな格好をしていたんだな、とか、お祭のときはこういうことをしていたんだなとか、ここの描かれているこの人とこの人はどういう関係なんだろうか、とかいろいろ想像できて、楽しい。

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『京の名庭』

京の庭師と歩く京の名庭『京の名庭』

以前、紹介した『京・近江・大和の名庭』の姉妹版。
こちらは京都に限定している。同じ庭師の小埜雅章が監修している。
随所に小埜氏の独自の庭の解釈が書かれていて面白い。
たとえば、大徳寺龍源院、方丈北庭。
通常、この庭の中央に斜めに立つ石を須弥山石として紹介されているが、実はこれは龍の頭だとする。
雲間から現われた龍が頭を出し、その左側に点々と置かれた石は龍の背中であると。
確かにこの庭を見たときに、あの石を須弥山とするとどうもバランスがとれず不思議な感じがしていたが、そう解釈されるとすっきりする。
寺の名前にも「龍」がついているし、そうかもしれないと思わせる。

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『花鳥の乱』

花鳥の乱『花鳥の乱』

副題が「利休の七哲」で、利休七哲と呼ばれた千利休の七人の弟子を一章ずつに分けて紹介している。
会話とかは小説風に創作チックに作っているみたいだが、小説ではないようで、始めはどういうスタンスで書かれているのかよくわからなかった。奥付を見ると雑誌『鳩よ』に連載されていたものとのこと。
じゃあ、ライトな感じの人物史ってとこか。

利休七哲と言っても、たくさんいた利休の弟子から七人を選ぶときに、人とか立場によってとか、時代によってとか違っているらしい。この本では、荒木村重、高山右近、織田有楽斎、蒲生氏郷、細川忠興、前田利長、古田織部を取り上げている。

前書きにはこの7人を取り上げた理由をこう書いている。
要約すると桃山時代は茶の湯という文化が、政治や経済より上位に位置した不思議な時代だったが、この時代、利休七哲と呼ばれた人物がいて、それぞれ権力に執着しながら、そのくせ生命をかけて権力に反抗したのがこの七人であった。しかもそのほとんどが武人である。そうした人物の物語を書きたいのだと。

確かにこの時代は不思議な時代だった。
松永久秀という武人は「平蜘蛛の釜」という釜を誰にもわたさず、自分の最後のときに「平蜘蛛の釜」を抱いて自爆して死んでいたりする。これなんかは、ただの強欲な老人という見方をしようと思えば、できるかもしれないが、それ以上に強い美意識を持っていたが故にこのような行動に出たのではないか、という見方もできる。

山中常盤物語絵巻などで知られる岩佐又兵衛が荒木村重の子だったというのはこの本で始めて知った。
ちょっとエログロ系の入ったこの人の画風は父親から引き継いだ遺伝子のなせる業だったのか、と思い当たった。

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『黒衣の宰相』

黒衣の宰相『黒衣の宰相』

「黒衣の宰相」とは徳川家康に仕えた金地院崇伝という実在した禅宗の僧侶だ。この人は徳川政権の幕政に関与し「伴天連追放令・寺院制度・武家諸法度・禁中並公家諸法度」などの強権的制度を作り上げたためにこのように呼ばれた。たとえば、豊臣家が落成しようとした方広寺の梵鐘に「国家安康」という文字があったのを「家康」の名を分断するものだという難癖をつけたのがこの人と言われている。

この本は崇伝を主人公とした小説で、怪僧と言われた崇伝の非情なほどにドライだったとされる歴史上の事実ばかりではなく、その人間性を描いているところが面白かった。若い頃に出会いのちに豊臣方に付くひとりの女性を入れ、その女性との関係で崇伝の気持ちが揺れ動いたりする。
家康に仕えた天台僧の天海は崇伝にとってライバルだった。その天海に家康没後、政治の主導権をとって変わられる。失意のうちに崇伝は京都に戻り、若い頃やっていたように托鉢に出るが、ある風呂場で沢庵和尚と出会う。沢庵は精錬潔白な性格で崇伝と正反対の人物で、崇伝は彼を若い頃から嫌っていた。沢庵と風呂場で出会ったとき、崇伝はひどく落ち込んでいた。沢庵と出会って、崇伝はもしかしたら政治を捨て、本来の禅僧としての清廉潔白な路線に走るのではないか、とその場面を読みながら思った。しかし、筆者はそうはさせなかった。沢庵と出会ったことで、逆に政治の主導権を奪還することを決意させ、再び江戸へと帰っていく。崇伝さん、そう簡単には諦めない。

筆者は非常に理知的な人なのだと思う。ただ、理知的すぎるところがあだになったところもある。始めの方に出てくる大徳寺の僧侶との問答の場面だ。禅僧同士の問答にも関わらず、ひどく論理的で理屈っぽいのである。禅僧の問答であれば、いきなり猫を切ったり、草履を頭に載せて出て行ったり、ただ「喫茶去」と言ったり、と普通の人には理解不能な生半可な論理ではわからないような言動をしてほしいと、禅ファンとしては思うのであるが、まあ、そこまでやっては誰にもわからないし、話も破綻するのでそれは無理な注文と言えるだろう。それにこの場合、どちらも覚者ではないようなので、この程度の問答になるのはある意味そうなのかもしれない。問答の決着を付けるときに、崇伝に紫衣についてを相手に問わせるところなどは、もっぱら政治的力学に興味を持っていた崇伝っぽい発言で面白い。


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『帰郷』

帰郷『帰郷』

庭園について調べていたときに、戦後の庭園ブームを作ったのはこの小説だということを知った。正確にはこの本をもとにした映画のおかげで西芳寺や竜安寺に人が押し寄せるようになったらしい。
そのときに大勢の人が訪れたせいで西芳寺などは近隣から苦情が来るし、自慢の苔も大勢の人に踏まれて枯れるしで、今のような往復はがきでの申し込みとひとり3000円の志納が必要になってしまったという。
ある意味迷惑な本なのだが、実は小説では主人公と離婚して離れ離れとなっていた主人公の娘が出会う場所が金閣寺だったのが、映画では西芳寺になった。だから、どっちかというとこの小説を恨むべきではない。

舞台は敗戦直前の日本が占領していたシンガポールから始まる。そして、敗戦を迎え主人公は日本に戻る。日本にいられない理由があって長く西洋に暮らしていた主人公は焼けることのなかった京都を歩き、鄙びた寺々に心を惹かれるようになる。そのときに訪れているのが、西芳寺、竜安寺、金閣寺だ。
当時の暗い世相を反映してか、大佛は主人公に西芳寺、竜安寺の庭よりも金閣寺の明るさを褒めさせている。
「あの庭には、人間臭いところが強い。日本的にひねったところがなく自由で闊達で明るい。あれだけ典雅でいて官能的な庭は他にはないようである。」

だからといって、西芳寺、竜安寺の庭のさびた美しさを嫌っているわけではなく、逆に若い日本人にとって、こうした過去の日本の美の支配力が次第に失われていくことを懸念している。
この小説が書かれたのは昭和23年で敗戦からわずかに3年後のことだ。
あの頃の日本人の喪失感と同時にこれからすべてを作り直していくという期待感の入り混じった感情がこの小説からはいまでも立ち上ってくる。

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『京都発見 八』

京都発見(8)『京都発見 八』

京都発見シリーズの第八弾目。現時点ではこのシリーズの最新刊であるようだ。
副題は「禅と室町文化」。禅が日本に入ってきたことによって、庭園、茶、華道などいまに伝わる日本文化の源流がここで花開き、室町時代は日本の文化に大きな変革をもたらした。この本ではこの時代に入ってきた禅宗寺院を取り上げている。夢窓疎石関係では臨川寺、天龍寺、西芳寺。足利関係では等持院、相国寺、金閣寺などなど。
ところで本書の冒頭で「私は禅寺を訪ねるのに、いささか不安を覚える。というのは、私は浄土宗や真言宗についてはある程度知識があるが、禅についてはあまり知らないからである。」と書かれている。
『仏教の思想(11) 古仏のまねび 道元』という本のあとがきだったかで、これからの人生を道元の研究に費やしたいということを梅原さんが書かれていたように思う。この本が見つからないので、あいまいな記憶に基づいて書いているが、昔、それを読んで梅原さんはこれから道元を研究なさるんだなと真に受けて、それを早く拝読したいものだと思っていた。
別に梅原さんウォッチャではないので違うかもしれないが、梅原さんの興味はその後、道元ではな空海とか浄土宗の方に行ってしまったようだ。それ以来禅について書いたのはこの本が初めてなのではないだろうか。
京都のほとんどの禅寺は道元が開いた曹洞宗ではなく臨済宗なので、その違いはあるだろうが、それにしても「禅についてはあまり知らない」と言い切ってしまうのはあんまりではありませんか。


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『都林泉名勝図会』

都林泉名勝図会(上)『都林泉名勝図会(上)』

都林泉名勝図会(下)『都林泉名勝図会(下)』

『都林泉名勝図会』は江戸時代後半に秋里籬島という人が出版した京都のガイドブック。林泉とは庭園のこと。だから、都林泉名勝図会とは京都の庭園や名所の絵入り案内書ということになる。
この本では京都で著名な庭園を図入りで紹介する。

庭園は精緻に描写され、必ずそこには人が描かれている。僧侶が案内し、武士が庭を眺めていたりとか、建物にあがって庭を眺めている人がいたり、そこの名物をほうばっていたり、酒を飲んでの宴会であったりなどさまざまで、それぞれに登場する人物をひとりひとり眺めるのもまた楽しい。
庭や建物の大きさに比べて人の大きさが小さいように見えるが、これは庭が主人公であるということから意図的にこうしたのだろう。

絵は3人の絵師がそれぞれ描いている。この3人で少しずつ絵の描き方が違っていて個性の違いをそこに見ることができる。絵師の名は最後に書かれているが、このうちの佐久間草偃という人は石垣なんかをテンテンで描いているところなどが、ちょっと伊藤若冲を思わせたりする。
今も残る金閣寺、銀閣寺、竜安寺、清水寺などの庭園も紹介されている。今とほとんど違わないところもあれば、だいぶ形が違っているところもあって、その違いを探すのもまた楽しい。
もちろん、いまは残っていない寺もあってそれはかつての姿を残す貴重な資料ともなる。

秋里籬島は、これ以前に『都名所図会』という本を出し、これが好評だったことから日本各地の名所図会を出して成功した人だ。『都林泉名勝図会』はこうして文庫本で気軽に手に入るが、『都名所図会』はいまは新本では手に入らないようで、それが残念。

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『千利休』

千利休『千利休』

この本の序章に「なるミじい」なる人物が出てくる。この人は千利休の右筆だったという人物だ。右筆とは主人の意を受け、代筆や記録を書く人のこと。記録には「なるミ」としか書いてないが、筆者は親しみを込めて「なるミじい」と呼ぶ。この本の初版で利休の筆と言われているものには右筆によるものが多いのではないか、という指摘をしたところ猛烈な反論があったという。そして、本の出版後、その「なるミじい」という右筆の存在が明らかになる。
そのことが書かれた文書を持っていたのが先々代の坂東三津五郎氏だった。その文書を筆者の知人に預けたその日に夜にふぐ中毒で亡くなったという。そんなドラマチックな話が序章に書かれている。

千利休もそれに負けないくらいにドラマチックな人生を送った。一介の町人が茶を通して時の権力者である信長、秀吉と渡り合い、最後は切腹して終わる。しかものちの日本文化に大きな影響を与えた。
この本では記録に残る利休についてと、その利休をとりまく時代がどのようなものだったかが書かれている。

利休は先妻と死別したあと、後妻と一緒になる。実は後妻との交渉があったのは先妻の存命中だったのではないか、という説を展開している。これ以外にも、1,2の女性関係もあり、何人かの子女をもうけているらしい。
茶道はストイックなものだと思っていたのだが、これは意外だった。
利休にはこんな人間臭い一面もあったが、最後は秀吉から命ぜられ決然と切腹して果て、その一本気な姿を残した。

筆者はかつて岡本太郎氏から「どうして茶をわざわざ堅苦しい思いをして飲まねばならないのか」という質問をされたことが、茶の湯研究の出発点になっているという。その答えはこの本の中に書かれている。


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『茶道の美学』

茶道の美学『茶道の美学』

庭園について調べたり、見たりしていると、そこにはどうしても茶道の影響が目に入ってくる。茶室に付属する庭を露地というが、この露地は明らかに日本庭園に大きな変化をもたらしている。
そういう観点から、茶道というものを知りたいと思ってこの本を読んでみた。

茶を飲むというただひとつのことについてこれほどまでに高度な文化に発達させた国は他に例を見ないだろう。茶道は、器、道具、庭、部屋、絵、墨蹟と多岐にわたって深い影響を与えた。

こうした道具について、茶人はその美を極限まで追求し、茶人それぞれによっても好みが異なっていたという。
たとえば、茶室については千利休とその師・武野紹鴎で好みが異なり、紹鴎が北向きの茶室を作り、時間によって光線の違いが一定になるようにしたのに対して、利休は南向きの茶室を作り、外から入ったときに室内の暗さを感じさせることによって別世界に入ってきたことを感じさせたということを指摘している。筆者は大日本茶道学会会長の肩書きを持つ人で、茶人らしい感性で茶道について語っている。
器にかけられた釉薬によって模様ができるが、同じ器であっても模様のどこを正面に据えるかということについても茶人によって違っていたという。千利休、古田織部、小堀遠州のそれぞれが別の場所を正面としているところなど面白い。

この本はこうした茶道のさまざまな面について茶人がどのような美意識で茶の湯を作り上げていったかが書かれている。
学者の書いた本だと一般向けの本にもかかわらず、自分の研究分野を重点的に書き、時には一般人には何のことやらわからないような細かいことまで書いてあって読んでいて閉口することがあるが、筆者は茶人として茶の湯への愛情を持って書いている。文章は読みやすく、しかも資料にも丁寧にあたっているので安心して読める。

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『夢窓国師の風光』

夢窓国師の風光

鎌倉時代の禅僧で作庭でも知られる夢窓疎石は一箇所に長く住む事を嫌い、日本各地を点々とした。嫌ったというよりは周囲が疎石を放っておかなかったためにしかななく移動しつづけたのかもしれない。
この本は、疎石を開祖とする永保寺に入山した著者が因縁を感じ、疎石について調べあげ、ついには足跡をたどって一年に一箇所ずつ遺跡を訪ねた成果をまとめたものだ。そして、各地で疎石が出会った人や影響を与えた人、エピソードなどを丁寧に紹介している。最後のページには疎石の足跡を日本地図上で表している。北は平泉から南は四国の土佐までで、もちろん生涯の間の足跡であるが、それにしてもたいへんな距離を移動していることがわかる。

先日、箱根を訪れたときに、宮ノ下から下の谷に降りていったのだが、谷底の川に面したところに夢窓疎石の閑居跡が残されていた。そのときはなんだかうそ臭いと思ったのだが、確実に訪れていることがわかっている京都・鎌倉間を往復するときに箱根は通るし、人と接するよりもひとり修行することを好んだ疎石の性格からしてこうした静かな場所に住むことはありえないことではないだろう。この川の周囲の大きな岩がごろごろとした景色は疎石が作庭した鎌倉の瑞泉寺の庭に似てなくもない。疎石が日本各地で見た自然の景色が作庭に生かされているかもしれないと考えると庭を見るときの楽しみがまた増える。


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『夢窓疎石 日本庭園を極めた禅僧』

夢窓疎石日本庭園を極めた禅僧

夢窓疎石はこの本のタイトルからもわかるように、禅僧であり、いくつもの庭園を作った作庭家でもあった。代表的なところでは、鎌倉の瑞泉寺、京都の西芳寺、天龍寺の庭を造っている。書物としては『夢中問答』でも知られている。

この本では始めの一章で夢窓疎石の一生について主に禅僧としての面から書いている。悟りを開いたあとは、師の高峰顕に地からさえも敬われたという。そして行くところ大勢の人が疎石を慕って集まり、静かなところを求めて各地を点々とした。時の権力者からの誘いも断り続けたが、時代は疎石を必要とし多くの寺院に招かれ、結果としていくつかの庭を今に残すことになった。

実はこの本の作者は自ら作庭をする禅僧であり、こうした観点から禅寺の庭の特徴を書き、庭師としての疎石について語っている。そして、疎石がどういう気持ちで庭を造ったかということについて、今も残る庭の具体的な石の配置などから語っている。自ら作庭をする人の言うことだけに説得力がある。

京都には今も臨川寺という寺があり、夢窓疎石ゆかりの寺として知られているが、ここにはかつて疎石の庭があったという。どんな庭だったのか今となってはそれを見るすべはない。

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『山海経』

『山海経』

先日立ち寄った本屋でたまたま見つけて購入した。『山海経』は、経とあるが、いわゆるお経ではない。中国古代の書で中国周辺地域にいる魑魅魍魎や神獣の類がイラストとともに延々と書き連ねられる奇書である。
その姿は鳥や四足の獣の頭が人だったり、魚に羽が生えていたり、頭がいくつもある鳥や獣だったりする。中には日本でもなじみのある鳳凰なども出てくる。そして、それらの獣はどんな性格で人間を襲うとか、それを食べるとどんな効能があるのか、毒なのかなどが書かれている。
人間も出てくるが、どれも普通の姿ではない。片足しかない人や顔が3つある人、ふくらはぎのない人、目がひとつの人。
地域名には日本と思われる倭や朝鮮という言葉も見ることができ、実在の地域を対象にしていることがわかる。

読みながら、はじめのうちは古代人の想像力に微笑んでいたが、ひょっとしたらこれは中華思想の発露を示すものではないかと思うようになった。周辺国蔑視の考えから、周囲には魑魅魍魎がいて、登場する人は皆奇怪な格好をしていると考えたのかもしれない。そうだとすると単純に微笑んでばかりもいられなくなる。

解説は水木しげる氏が中国から日本に入ってきた精霊や妖怪という観点から『山海経』を眺めている。それによると大陸渡来の妖怪は結構いるらしい。


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『京都発見 六』

『京都発見 六』

梅原さんのほとんどライフワークと化している『京都発見』の第六弾。副題が『「ものがたり」の面影』とあるように、伊勢物語や源氏物語、土佐日記、蜻蛉日記、枕草子など日本で古くから書かれてきた物語や日記のゆかりの場所を書かれた背景とともに紹介している。日記や物語に書かれるいにしえ人の暮らしぶりや感情などがこの本でいきいきと再現される。意図してとりあげたのかどうかはわからないが、性的なものや恋愛もの、不倫ものの場面が多い。意図してとりあげなくても、昔の日本人は性にはおおらかだったから、自然と登場回数が多くなるのだろう。

後半は天皇ゆかりの御寺として泉湧寺、盧山寺、遣迎院などを紹介している。
ちなみに、泉湧寺で阿弥陀、釈迦、弥勒の三尊を祀るのは日本では甚だまれということを書かれているが、実は鎌倉では決して珍しくない形式だ。この本を作るために、1年前、毎週のように鎌倉に通っていたが、そこでこの三尊形式はさんざん見た。鎌倉ではこれは三世仏と言って、阿弥陀が過去、釈迦が現在、弥勒が未来を表す形式だ。中国・宋の流行を取り入れたもので日本では鎌倉時代によく作られた。「弥勒が菩薩ではなく如来であるのは、甚だ珍しい」とあるが、弥勒が如来なのはこの形式の場合、当然なのだ。弥勒は現在菩薩として修行中で、56億7千万年後に如来として人々を救済することが約束されている。だから、未来を表すわけで、未来を表す以上は現在形の菩薩ではおかしく、如来形となるのである。

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『京都人だけが知っている』

『京都人だけが知っている』

本屋で気づかずに買ったが、以前紹介した『イケズの構造』と同筆者の本。

京都で生まれ育ち、結局は京都人になじめずにイギリスに住む筆者が、京都人とはどんな人種かということなどを、書き連ねながら、京都人御用達の店や名水の湧く場所、京都人がひっそりと見る桜の名所などを紹介している。
紹介されているのは、「おばんざい」「水」「喫茶店」「つけもの」「きもの」「ご利益」「あの世」「和菓子」「料亭」など。

それが京都人にとってどんな存在なのかということまで掘り下げて語っているので、ただ店や名所旧跡を表面的に紹介するだけの薄っぺらいものとは違って、読んでいて楽しい。

すべての京都人が筆者のようだとは思わないが、ある程度、典型的な京都人の思考法というものが見えてきて面白い。

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『文章読本』

『文章読本』 三島由紀夫

与謝野晶子と谷崎潤一郎がそれぞれ翻訳した『源氏物語』についての感想めいたことが書かれていたのは、この本ではなかったかなと思って本棚から探して読んでみたのだが、これではなかった。三島由紀夫の何かの本に書いてあったような気がするのだが。。。

『文章読本』というタイトルの本は何人もの作家が書いている。何年か前にいろいろな作家の『文章読本』を読みあさったことがある。それは文章が少しでもうまくなればなあ、という気持ちがあったのは事実だが、それ以上に、引用されている極上の文章のエッセンスだけを集中して読めるという楽しみの方が大きかった。

この三島の『文章読本』では始めに日本語の分析をしている。平安朝には漢字が男文字、かなが女文字とされたが、漢字は外来のものであり、かなは日本独自のものである。つまり、論理、理知の特質をすべて外来の思想によったものであり、日本語の根本的なところにはこのような抽象概念が欠如し、日本語で書かれる抽象概念には常に情緒の霧が付きまとうのはこうしたところにある、という説を展開している。だから、日本語で書く作家は、日本語の持つこういう長い歴史から逃れることはできず、その特質を常に注視していなければならないとする。

後半の「文章技巧」では、「人物描写」「自然描写」「心理描写」「行動描写」などに分けて、さまざまな作家の文章を引用する。引用されるのは海外の作家の翻訳文が案外多い。一見、保守的に見える三島の文章だが、日本語以外の言語での表現をかなり研究し、自分の文章に溶け込ませようとしていたのかもしれない。
ついでに軍記物が多いのも三島らしい。


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『紫式部日記』

『紫式部日記』

中宮彰子に仕えた紫式部の日記で、彰子の出産の頃の出来事から始まる。
出産のときには僧侶や人々が薄暗い室内に集まり、2つの御帳で作った細道を行きかう人の顔も暗くてよく見えないというようなリアリティ溢れる描写で当時の風習がよくわかる。
日記の途中には突然、誰かに宛てた手紙と見られる文章が挿入され、ここに有名な和泉式部や清少納言の批評が書かれている。和泉式部は、「おもしろう書きかはしける」と評価するが、「けしからぬかたこそあれ」とその人となりを批判する。清少納言などはもうけちょんけちょんである。
紫式部と言う人、いまの京都にも綿々と伝わる「いけず」精神を実にしっかりと持っていて、各所でちくちくとやっている。

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『源氏物語が面白いほどわかる本』

『源氏物語が面白いほどわかる本』

他の源氏物語本と一緒にネットで購入したが、本を開いてみて一瞬、失敗したか、と思った。筆者は予備校の講師だし、本の体裁は中学生とか高校生の参考書のような感じだったからだ。

しかし、読んで見るとこれが案外面白い。
教師役と男女の生徒各一名が各帖のあらすじを読みながら、生徒訳が疑問を呈し、教師が答えていく。

源氏物語を読んでいる時に、書いてある文章そのものは理解できても、どうしてそういうことになるのかなど、どういう背景でそうなっているのかがわからないことがよくある。この本はそうした背景などについて説明してくれる。
どうして桐壺更衣があれだけ他の女御・更衣から憎まれたのか、どうして朧月夜との関係があれだけ問題になったのかとか。
当時の風習についても書かれている。たとえば、高貴な女性の周囲には必ず女房と呼ばれる女性達がいたが、通ってくる男性を選んでいたのは女房であり、女房がウンと言わなければ、直接手紙のやりとりもできず、男が歌を贈っても最初のうちは女房が返歌を書いていた、とか。
現代の基準で考えていると理解できないところがツボをつくように解説されている。

ただ、残念なのは源氏が死んだあとの話はあらすじだけになってしまうところ。
長い源氏物語をすべて同じペースで書いては紙面が足りなくなってしまうということか。

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『図説 源氏物語』

『図説 源氏物語』

ふくろうの本シリーズ。
源氏物語は、紫式部に書かれて以来、多くの日本人から愛されてきた。そして源氏物語の場面を描いた絵巻や屏風も多く作られてきた。これを総称して源氏絵と呼ぶそうだが、この本の前半では源氏絵の数々を紹介している。

さらには、絵ばかりではなく着物の柄や婚礼調度品に蒔絵として描かれた絵柄、貝に描いて貝合わせの遊びに使うものや、カルタ、すごろくなど実にさまざまなものに源氏物語の意匠が使われている。
いまで言えば芸術作品として作家名とともに紹介されるようなトップレベルのものばかりだが、当時はこういうものを無名の職人たちが作っていた。あらためて日本はすごい国だと思った。

そして、江戸時代に出版された2種類の源氏物語絵本の挿絵を使って源氏物語のあらすじを紹介しているが、これは当時の本を読んでいる気にさせてくれて楽しい。

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『源氏物語を行く』

『源氏物語を行く』

古本の通販は買う前に実物が見ることができないだけにどんな状態の本が来るかわからない。この本は確かアマゾンのユーズドで買ったのだったと思う。見た目は非常にきれいだったのだが、香料系の匂いがぷんぷんする。
源氏物語だから、前の持ち主が登場人物のように香で焚き染めたりしたのかなとも思ったが、それにしてはあまりいい匂いではない。何だろうか、と思っていたら、ツレが「これは殺虫剤の香料の匂いだよ」と言う。
とすると、大きくて黒い虫がこの本の上を歩いているときに、殺虫剤を噴射したのかもしれない。
だから、この本をめくっていると気分が悪くなるか。おえ。

内容はというと、源氏物語のあらすじが書かれていて、それにあわせて、ゆかりの地を撮影した写真を大きくはめこんでいる。後半は紫式部の生涯が書かれている。

関係する場所の説明や源氏物語の登場人物の系図付き。

気分が悪くなってきたので、このへんで。

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『潤一郎訳 源氏物語 巻五』

『潤一郎訳 源氏物語 巻五』

とうとう『潤一郎訳 源氏物語』も最後の巻になった。ここまで長い道のりだった。

巻五は宇治十帖のうちの「早蕨」以降の七帖が収められる。
源氏物語は初めて通して読んだが、最後のあっけない終わり方はあぜんとさせられた。こんなにお膳立てをしながらそこで終わらせちゃうのか、という感じ。

食べるものが今よりも少なかった昔は、太っているのがある種のステータスではないかと思っていた。仏像なんかも平安時代の作品はでっぷりした像が貴族からは好まれているし、女性は下ぶくれの顔が好まれていたという話も聞いたことがある。
しかし、源氏物語を読んでいると実際は必ずしもそうではないということがわかる。病気などでやつれた姿に美しさを感じるというようなことが書かれているところが何箇所も出てくる。これは紫式部の好みなのか、それとも当時の人々の美意識なのか。
今も女の人がしきりにダイエットをしてやせた姿を美しいと思っているが、このあたりは1000年前と変わらないということなのだろう。

[早蕨]
中の君は姉の大君がなくなった悲しみに沈んでいた。匂宮は中の君を京の二条院に迎えた。薫は中の君を匂宮に譲ったことを少し後悔する。薫が二条院の中の君を訪ねたことで、匂宮はふたりの関係を疑う。

[宿木]
藤壺女御は女二の宮を残して亡くなる。帝は薫を婿にと思うが、薫は亡くなった大君のことを思い乗り気ではない。そのころ中の君は懐妊するが、匂宮は夕霧の意向で六の宮の婿となり、中の君は我が身の不幸を嘆く。八の宮が中将の君との間にもうけたが、認知しなかった浮舟という娘がいるのを薫は知る。浮舟は大君によく似ていた。薫は宇治を訪ねたときに偶然その姿を見る。

[東屋]
母の中将の君は浮舟の婿に左近少将を選ぶが、少将は浮舟が常陸介の実子ではないことを知ると破談にし、実の娘に乗り換える。中将の君はそれを嘆き、浮舟を二条院の中の君に預ける。そこへやってきた匂宮は浮舟を見つけて言い寄る。中の君は浮舟を慰め、三条の小さな家に移した。薫は浮舟を伴って宇治に行く。

[浮舟]
匂宮は浮舟のことが忘れられないでいたが、所在がつかめなかった。やがて薫が宇治に隠していることを知り、宇治を訪れ薫を装って寝所に入る。匂宮はそのまま逗留するが、あろうことか浮舟はやがて匂宮になびいていく。その後、薫が宇治を訪れ浮舟を京に迎えることを伝える。匂宮は薫の思いを知り、雪の中を宇治に訪れ、舟に乗せて対岸の隠れ家に行き、2日を過ごす。やがて薫は真相を知り、浮舟をなじる歌を贈る。匂宮と薫の間で揺れていた浮舟は事態が発覚したことを知り、入水を決意する。

[蜻蛉]
浮舟が行方不明となって、宇治は大騒ぎになった。事情を知る右近は浮舟の入水を直感した。死体は見つからず亡骸のないまま葬儀を行った。薫は石山寺に篭っているときに、この話を聞く。一方、匂宮は寝込んでしまう。浮舟の49日の法要は薫が盛大に行った。夏、紫の上の法要で、薫は女一宮に心を惹かれる。

[手習]
横川の僧都の母と妹のふたりの尼が初瀬に詣でた帰り、母尼が病気となり、宇治に泊まることになった。僧都はかけつけ、そこでもののけのようにしてうずくまる女性を見つける。それは浮舟だった。一行は、比叡山のふもとの小野に移り、そこでともに生活をする。妹尼は亡くなった娘の代わりに初瀬の観音が引き合わせてくれたと信じる。浮舟は僧都に出家を願い、出家する。翌年、薫が浮舟らしき人が小野にいるという話を聞き、驚く。

[夢浮橋]
薫は比叡山に登り、横川の僧都を訪ね、浮舟を見つけたときの話から出家するまでの経緯を聞く。薫は自分のところに引き取っていた浮舟の弟、小君を使いにやるが、浮舟は小君に会うことさえせず、人違いだとして手紙の返事も書かなかった。小君は姉に会うこともできず、むなしく帰った。薫はいままでの経験から、浮舟を誰かが隠しているのではないかと想像するのだった。

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『潤一郎訳 源氏物語 巻四』

『潤一郎訳 源氏物語 巻四』

一般に源氏物語は三部に分けられ、第一部は「桐壺」~「藤裏葉」までで光源氏の栄華の軌跡を描く。第二部は源氏の晩年から死ぬまでの話で「若菜上」から「「幻」まで。第三部は次世代の話で「匂宮」~「夢浮橋」。第三部の最後の十帖は宇治が舞台となるので、宇治十帖と呼ぶ。
普通、源氏物語は54帖あるとされるが、実際は「幻」と「匂宮」の間に「雲隠」という題名だけで何もない帖がある。この帖は数に入れず、54帖となる。「幻」は源氏が出家する直前を描いている。中身のない「雲隠」の間に源氏が亡くなっているという趣向だ。

巻四には「柏木」から「総角」までが収められている。第二部の途中から第三部の始まり、そして宇治十帖にかかるまでとなる。

[柏木]
柏木は病の床に伏せりながらも女三宮を忘れられず手紙を書く。女三宮の方は返事を出さないでいたが、柏木がどれだけ苦しみながら書いたのかということを聞き、ついに返事を出す。
そうこうしているうちに、女三宮は薫を生む。
そして出家を願い、とうとう出家した。しかし、それは六条御息所の死霊のしわざであった。
一方、柏木は日に日に弱り、見舞いに訪れた夕霧に、源氏の怒りを買ったことを話し、妻落ち葉の宮の世話を頼み、死んでいく。

[横笛]
柏木の一周忌を迎える。薫はよちよち歩きを始める。光源氏は薫が筍をかじる姿を見て物思いに耽る。
夕霧は落ち葉の宮のもとを訪ねたところ、母の一条御息所から柏木遺愛の笛を贈られる。その夜、夕霧の夢の中に柏木が現われ、笛を伝えたい人は別にいると告げる。その話を源氏に言うと、現時は笛の伝来を語り、自分が預かっておくと言って、笛を預かった。

[鈴虫]
夏、女三宮の持仏開眼供養が行われる。秋、源氏は女三宮の澄む前庭に虫を放ち、十五夜の夜、源氏は女三宮のもとで鈴虫の声を聞きながら琴を弾いていたところへ、蛍兵部卿の宮、夕霧らがやってきて宴となる。
そこへ冷泉院からのお誘いで一同は院の御所に行く。秋好中宮は、母六条御息所の死霊が現われたという噂を聞き、出家を考えていたが源氏はそれを諫め、追善供養を勧める。

[夕霧]
夕霧は、柏木の遺言で落葉の宮のところに通ううちに恋心を抱くようになる。落葉の宮はずっと拒否していたが、やがて夕霧の妻、雲居の雁は夕霧の気持ちを知るところとなる。落葉の宮の母、一条御息所もそれに感づき宮に宛てた夕霧の手紙に返事を書く。しかし、その返事は嫉妬する雲居の雁に奪われ、夕霧が手紙を読むのは翌日の夕方だった。夕霧は返事を書くが、それを見た御息所は病状が急変し、亡くなってしまう。そうしたのち、夕霧は落葉の宮と結ばれ、それを知った雲居の雁は実家に帰ってしまう。夕霧は実家まで迎えに行った。

[御法]
紫の上は病気がちの日々を過ごし、出家を願っていたが源氏は許さなかった。やがて衰弱が進み、紫の上は源氏に見取られながら亡くなる。源氏は紫の上に形ばかりの受戒をさせる。源氏も出家を考えるが、悲しみが深くそれもままならない。

[幻]
春を迎えても源氏の悲しみは癒えなかった。8月、夕霧の主催で紫の上の一周忌。そして年を越したら出家するつもりで、身辺の整理を始める。紫の上からの手紙も見つかるが、それも焼かせてしまう。しばらく人前に出ていなかった源氏は12月の仏名会に姿を現す。そして俗人としては最後になる元日を例年よりも盛大にするよう準備をさせる。

[雲隠]

[匂宮]
源氏が亡くなったあと、源氏ほどに輝かしさを持ったものはその子孫の中にも見当たらなかった。なかでも匂宮と薫は評判が良かったが、見るもまばゆいというほどではなかった。夕霧は落葉の宮を六条院に迎え、雲居の雁との間を月の半分ずつ通うことになった。
薫は生まれつき不思議な芳香が体から漂い出ていた。匂宮は対抗して薫物に熱中する。

[紅梅]
柏木の弟、按察使大納言は亡くなった北の方との間に大君と中の君の2人の娘がいた。いまの妻の真木柱との間には男の子がいた。真木柱には前の夫、蛍兵部卿の宮との間に宮の御方という娘がいた。大納言は大君を春宮に入内させたので、次に中の君を匂君と結婚させたいと考えるが、匂君は宮の御方の方に関心を持っていた。

[竹河]
玉鬘には亡くなった鬚黒との間に男3人、姫君(大君、中の君)が2人がいた。姫君のもとには今上帝や冷泉院、夕霧の子の蔵人の少将など熱心な求婚者が多かった。正月、夕霧や薫が玉鬘のもとに年賀に訪れる。琴を弾く薫の姿が柏木によく似ているのを玉鬘は不思議に思う。やがて玉鬘は大君を冷泉院のもとにやり、大君は子を産む。中の君は母に代わって尚侍となった。

[橋姫]
源氏の弟の八の宮は大君と中の君の2人の姫を男でひとつで育てていたが、京の邸が焼け、宇治の山荘に移り住み、在俗のまま仏道修行に励んでいた。薫は八の宮の話を聞き、宇治を訪ねるようになる。
あるとき、薫は2人の姫が琵琶と琴を合奏するのを覗き見て、心を惹かれる。薫は大君に会いたいと思うが、代わりに出た老女房の弁は柏木の乳母子で、弁から出生の秘密を聞かされる。

[椎本]
匂宮は初瀬詣の帰りに八の宮邸の対岸にある夕霧の別荘に中宿りした。迎えに来た薫らと管弦の遊びをしているとその音色を聞いた八の宮から薫に文が届いたため、薫は八の宮邸を訪れる。そこへ匂宮から姫君宛てに手紙が届き、八の宮は中の君に返事をさせる。八の宮は薫に後見を頼み亡くなる。その後、薫は大君に告白するが大君は取り合わない。

[総角]
薫は八の宮の一周忌に宇治を訪れ、大君に再び打ち明けるが拒まれる。喪明けの頃、薫はついに大君の寝所に入るが、大君は妹の中の君を残して逃げ出してしまう。薫は匂宮を中の君と会わせ、一夜を過ごすが、薫はやはり大君に拒否される。匂宮が宇治まで紅葉狩りに来ながら中の君に会いに来なかったことや匂宮の縁談の噂に大君は病み、やがて亡くなってしまう。

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『潤一郎訳 源氏物語 巻三』

『潤一郎訳 源氏物語 巻三』

巻三に収められるのは「螢」から「若菜(下)」まで。

[螢]
光源氏は玉鬘に心を寄せていたが、同時に弟の兵部卿宮も玉鬘に言い寄ろうとしているのを知り、面白がって間を取り持とうとする。そして、夕暮れに薄物に包んだ蛍を部屋に入れ、兵部卿宮に玉鬘の姿を見せる。

[常夏]
内大臣(かつての頭中将)はよそで生ませた娘(近江の君)を探し出して、ひきとる。近江の君は実に下品で豪快な性格の娘として育っていた。あるとき、内大臣が部屋を覗くと近江の君は「小賽小賽」と早口に言いながら双六を打っていた。その顔が自分と似ていることに内大臣は恨めしく思う。

[野分]
八月のある日、激しい野分の風が吹きつのった。紫の上は縁側近くで嵐の様子を眺めていた。近くに居合わせた夕霧は偶然その姿を見る。死んだ葵の上の子である夕霧はこのとき初めて継母である紫の上の姿を見る。その時に見た美しい姿が忘れられなくなり、ふっとし思い浮かんではあれは母であるからと気持ちを抑えたりする。

[行幸]
冷泉帝は鷹狩のために大原野に行幸した。大勢の従者が盛装して出かけたので、桂川のあたりまで車がひしめきあった。玉鬘は見物人に交じって、実の父親である内大臣を始めて見る。源氏は内大臣と久々に対面し、玉鬘が実は内大臣の娘であることを告白し、親子の対面をさせる。

[藤袴]
内侍に任命された玉鬘は出仕することで帝の后との間の争いに巻き込まれることを不安に思い悩む。そこへ源氏の使いとして帝の意向を伝えにきた夕霧は自分の思いを玉鬘に伝えようとするが、冷たくあしらわれる。出仕が決まろうとするところに鬚黒の大将があわてて求婚する。

[真木柱]
玉鬘は鬚黒の大将のものとなる。鬚黒の大将の北の方は数年前から物の怪に憑かれて常人のようではなかった。ある夜、玉鬘のもとに出かけようとする鬚黒の大将は北の方から香炉の灰を浴びせかけるという事件が起こり、それ以来、恐ろしくなった鬚黒の大将は北の方に寄り付かなくなった。

[梅枝]
明石の君の入内を前に源氏は蛍兵部卿の宮を判者として、薫物合わせを開く。源氏、夕霧、蛍兵部卿の宮、柏木が管絃を奏で、弁の少将が「梅が枝」を謡う雅な宴となった。

[藤裏葉]
内大臣の反対で仲を裂かれていた夕霧と雲居の雁はついに許され、結婚する。明石の姫君は入内し、養母であった紫の上は実母明石の君とはじめて対面する。源氏は太上天皇に准ぜられ、内大臣は太政大臣となる。

[若菜上]
朱雀院が重い病となり、心残りだった娘の女三宮を源氏を後見として将来を任せることが決まる。女三宮は六条院に降嫁し、それを受けて紫の上は動揺する。あるとき、六条院で行われた蹴鞠の会に参加していた柏木は、飼っていた猫が騒いで御簾があがったときに女三宮の姿を見てしまう。その姿を見て柏木は恋心を燃え上がらせる。

[若菜下]
このときの猫を柏木は手に入れ、女三宮への思いを込めて猫をかわいがる。4年後、冷泉帝が譲位し、明石の女との間の第一皇子が東宮となる。紫の上が発病、回復しないまま二条の院に移された。そのころ、柏木は女三の宮のもとに忍びこみ、ついに一夜を共にする。その後、柏木からの恋文を源氏が発見して密通を知った源氏は柏木に皮肉を言われ、柏木はそれを聞いて重い病に臥せるようになる。

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『潤一郎訳 源氏物語 巻二』

『潤一郎訳 源氏物語 巻二』

巻二には、「須磨」から始まり「胡蝶」までが収められる。
[須磨]
朧月夜の君と関係を持ったことから政敵につけこまれ、政争に巻き込まれたことから光源氏は都を離れ、須磨でのわび住まいが始まる。ある夜、激しい風雨にみまわれ、雷鳴とどろき、稲妻が閃き、海は激しく波立つ。明け方、うとうとしているときに、夢で何者とも知れぬ人を見る。光源氏は薄気味悪く思い、この住まいにいられない気になってくる。
[明石]
その後、明石に移り、この地で明石の入道の娘、明石の上と出会う。
光源氏が都を離れる原因となった右大臣は亡くなり、朱雀院帝も亡くなる。そのあと、即位したのは冷泉院帝で、実は光源氏と義母・藤壺の間の子供であるがその事実は冷泉院帝本人も知らず、ごく一部の人間しか知らない。
敵であった右大臣も亡くなり、光源氏は都に戻る。明石の上の子、明石の姫君も生まれる。
[絵合]
伊勢に下っていた六条御息所とその娘も都に戻ってくる。御息所はまもなく亡くなるが、娘は光源氏を後見人として、成長していく。やがて、冷泉院の女御となって入内する。
そのことが、親友だったもとの頭中将との関係が悪くなってくるきっかけとなる。このとき、頭中将の娘が先に冷泉院の中宮にしようと入内させていたからだ。
[薄雲]
その後、葵の上の父、藤壺が相次いで亡くなる。世にしきりに怪異が起こるのは、冷泉院が実の父を父と知らずに臣下と考えた夜居の僧が、真相を冷泉院に知らせるが、光源氏はそのことに気が付かない。
[乙女]
光源氏の長男夕霧と、頭中将の娘・雲井の霧との間に恋愛関係が生まれるが、頭中将はその関係を阻止する。
やがて光源氏は六条院を完成させ、ここに関係した女性を住まわせる。
[玉鬘]
かつて六条御息所の生霊に殺された夕顔の娘(父は頭中将)は、筑紫で育っていたが、乳母の夫が亡くなったことから都に戻り、ある日、長谷観音にお参りに行く。すると、かつて夕顔に仕え、いまは光源氏に仕えている右近と偶然出会い、玉鬘(夕顔の娘)は光源氏に引き取られる。このことを頭中将はまだ知らずにいる。
[胡蝶]
春、六条院の池で舟遊びをする。玉鬘は若い公達から取りざたされるようになる。同時に光源氏も母の夕顔に良く似た玉鬘に心を惹かれるようになる。

この潤一郎訳には安田靫彦、奥村土牛、堂本印象などびっくりするようなビッグネームの日本画家が挿絵を描いている。それを見ながら読むのもまた楽しい。

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『潤一郎訳 源氏物語 巻一』

『潤一郎訳 源氏物語 巻一』

確か三島由紀夫が『文章読本』の中でこの谷崎潤一郎訳の源氏物語を絶賛していたのではなかったか。同時に与謝野晶子訳をけなしていたように思う。(後日コメント:『文章読本』ではなかった。三島の本だったと思うのだが。。)
それを読んで以来、この潤一郎訳を読んで見たいと思っていた。

谷崎は生涯のうち3回、源氏物語を訳している。あの膨大な量の源氏物語を3回も翻訳するというのはものすごい労力がいるはずだが、谷崎がどれだけ源氏物語に惹かれていたかがこのことからも良くわかる。
いま中公文庫で出版されているのは新々訳と呼ばれる最後の翻訳である。

谷崎訳の特徴は原文に極力忠実に訳文を作り出しているところにある。
谷崎が3回訳した理由のひとつには、訳してから年月がたつに従って、古文に親しまなくなってきた若い読者が読みにくくわかりにくいものとなっていったということがあるのだそうだ。

実際読んでみて、実はこの新々訳も現代の人間にとって読みやすいとは言えない。
原文に忠実に従っているため、訳文でも主語がなく、会話の多い源氏物語では、誰がしゃべっているのかわからないということがよくあるからだ。

原文に注釈が入っているならわかるが、この本は翻訳本であるにもかかわらず、注釈が入っている。
これも原文の雰囲気を壊さないような訳文にしたためだが、そこが潤一郎訳が長く評価されてきた理由でもある。

この巻一には、「桐壺」から「花散里」までが収められている。
主人公の源氏の生い立ちから始まり、成長し、さまざまな女性遍歴を繰り返す中でさまざまな物語が語られる。六条御息所の嫉妬心によって生まれた生霊のために、夕顔が取殺され、正妻の葵上も子を生むと同時に死ぬというオカルトまがいの話も挿入されている。
朧月夜の君との関係を持ったことから政敵ににらまれ、順調だった光源氏の人生に暗雲が立ち込めてくるところまでが巻一の話だ。

それにしても、この時代の貴族はまともに歌が詠めないともう箸にも棒にも引っかからないという感じで大変そうだ。

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『金閣寺』

『金閣寺』 三島由紀夫


この本は1950年に実際にあった金閣寺の放火炎上事件をモチーフに、小説に仕立て上げたものだ。
主人公は最後に金閣に火をつける青年僧。子供の頃からどもりになやみ、いじめられたために周囲の人間との接点が少なくなっていく。父親から金閣の美しさを教えられてきたが、あるとき、金閣のある鹿苑寺にあずけられ、そこで修行僧として住み込むことになる。外部の人間との接点のない人間が、内なる妄想を大きくしていくのはいつの時代も同じで、主人公にとって最大の美の象徴であった金閣とともに生活するうちに、心の内にある金閣の存在が大きくなり、やがてそれを抹消しなければならないと考えるようになる。そして、決行する。始めは金閣とともに自身も死ぬ覚悟で、火をつける。火をつけたあとで、三階部分で死のうと駆け上がるが、そこには鍵がかけられ開かない。金閣に拒まれていると感じた次の瞬間、主人公は金閣の外に飛び出す。死のうと思って用意しておいた小刀とカルモチンの瓶を捨てたあと、最後は「生きようと私は思った。」という文章で終わる。

この最後の「生きようと私は思った。」という文章に読み終わったあと、ひどく違和感を覚えた。
なぜ、主人公は金閣とともに滅びなかったのかと。
人間とは常に不条理なものであるといいたかったのだろうか。だいたい、小説としては金閣の炎上とともに死んだら、あまりに予定調和的すぎて面白くない。
だから、三島は主人公を最後に生かしたのだろう。そう考えても、それまで人間社会に対して否定的な意識しか持っていなかった主人公に、どうしてここで突如として「生きようと私は思った。」という健康的で肯定的な言葉を吐かせたのか。ただ、間違って生き残ってしまったのではなく、生きようと思ったのである。
心の中で長い間、究極の美であり、あこがれの対象であったと同時にとてつもなく重い重石となっていた金閣がなくなったことで、生きる希望が出てきたと考えるのはあまりに単純すぎるだろう。
あるいはここで違和感を感じたということ自体が、作者の思い通りにされているということなのかもしれない。

ちなみに、実際に放火した修行僧は、確か禅寺にこんな金ぴかなものがあるのはおかしい、という理由で火をつけたのだそうだ。この小説の主人公と違って実に禅の理念を非常に真面目に考えた修行僧だったようである。


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『京都発見 五』

『京都発見 五 法然と障壁画』


梅原さんの『京都発見』もいま何巻目まで出ているのかわからないが、すっかりライフワークと化している。第五巻のこの本もいままでと同様に京都の寺社をめぐり、そこにひそんでいる歴史の影を発見する。
ただ、今回、残念なのが1から4巻目まで非常にマニアックな脚注を書いていた西川照子氏ではなく、別の人に代わっていたことだ。時に本文を超越するような思い入れたっぷりの脚注は今回読むことができないが、まあいい。この人が構成した梅原さんについての本を発見したから。まだ読んでいないが、これまたよだれが垂れてしまいそうになるほど面白そうなんである。こちらの本についてはおいおい紹介したい。

『京都発見 五』は副題にあるように法然と障壁画をテーマとしている。
法然は鎌倉時代に登場した鎌倉仏教のひとつ、浄土宗の開祖であり、鎌倉仏教のトップバッターにあたる。
今回の京都発見の旅は、法然ゆかりの知恩院から始まる。そこで見聞きしたことから、興味の趣くままに知恩院と徳川幕府の関係になり、そして狩野派の障壁画へと話題は移っていく。どうやら梅原さんは狩野派がお好きなようだ。京都の寺々に残る狩野派の障壁画などが美しい写真とともに紹介される。

狩野派は元信、永徳、探幽と一代おきに登場した天才によってその地位を確固たるものとした。
探幽の時代、一門の総帥を担っていた、探幽のいとこにあたる貞信が男子を残さずに死ぬ。探幽は長男だったが、一門の長老はなぜか探幽ではなく、三男の安信に継がせる。そんなこともあってか、探幽と安信は仲が悪く、探幽は安信のことを絵が下手だとののしっていたらしい。次男には尚信がいる。
先日、訪れた南禅寺金地院にも探幽と尚信の兄弟による襖絵があったが、どちらも精緻ですぐれた絵を残している。
その尚信は長男と三男との争いに嫌気がさしたのか、釣に行くと言って出かけたまま行方不明になっているという。
美しい絵の裏側には実に生々しいまでの人間関係が潜んでいる。
現地の寺で実際に見て、住職に話を聞き、その上で澱に沈んだ歴史をひとつひとつ解きほぐしながら、読者の前に提供してくれる。こういうところに臨場感を感じる。このシリーズがいつまでも続いたらいいのに、と思う。

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『大徳寺散歩 中津・宇佐のみち』

『街道をゆく34 大徳寺散歩 中津・宇佐のみち』


2月に大徳寺に行ったあと、数年前に読んだこの本を読み返してみた。
この本に限らず『街道をゆく』は知らない土地であれば、どんなところなのだろうとわくわくしながら読む楽しみがあり、知っている場所であれば、ああ、司馬さんはあの辺に行ったのだなと、その場所の光景を頭に思い起こしながら読む楽しみがある。

この「大徳寺散歩」も行く前に読んだ印象と行ったあとでの印象は違う。
2月に行ったときに通ったあの道を通って、大徳寺の境内に入ったのだなということがいきいきと頭の中で再現できるし、文中に出てくる三門(金毛閣)の形もはっきりとわかる。

行ったときの印象と違うところもある。
「大徳寺のすがすがしさは、大寺によくある賽銭あつめの廟祠がないことである。」「同時に収入の面では、清貧に耐えている」
大徳寺自身は確かにそのとおりで、大寺の割には本堂の寂れた感じがあった。ただ、塔頭も含めるとその中には金儲け的に走っているように見受けられる寺もあった。「まことにいい」と書かれているある塔頭がまさしくそういう印象があった。司馬さんが訪れたときと現代では事情が変わってきているのかもしれないが、そういう違いを見るのもまた楽しい。

文中には、一休、沢庵、利休など大徳寺に関係した人物らは当然登場するが、司馬さんはここに高橋新吉を登場させている。
高橋新吉はダダイズムの詩人で20世紀初頭に活躍し、日本のダダイストやシュールレアリストに大きな影響を与えた。20世紀始めの日本の現代芸術を語るときには必ず登場する人だ。
どうしてこの人が大徳寺と関係があるのだろうかと読者は当然に思う。

実はこの人が臨在禅のもとに参禅し、その影響のもとで詩作にはげんでいたのだという。
高橋新吉は「億劫須臾(おくごうしゅゆ)」という揮毫を残している。
これは、司馬さんの調べでは大燈国師の文章に出典があるという。それは、
「億劫相別れて、須臾も離れず。尽日相対して、刹那も対せず」
という文章。億劫とは非常に長い時間のこと、須臾とは逆に少しの時間のこと。

禅宗はこんなふうに相矛盾することを同時に並べて、その中に本質があるということを実に鋭く提示する。
常識にとらわれているとそれが奇妙なことにしか見えないのだが、そこを乗り越えることで悟りへの道が開けていく。凡夫には到底わからないことだが。

司馬さんは、このように高橋新吉という人物を挙げて、禅宗というものの思想を掘り下げて考えている。その意外な展開を一番楽しんでいたのは、なによりも書いた本人である司馬さんだっただろう。

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『鎌倉文士骨董奇譚』

『鎌倉文士骨董奇譚』

著者の青山二郎という人は、この本を読んでも本物だったのか偽者だったのかよくわからない。
「俺は日本の文化を生きているんだ」というのが口癖だったのだそうだ。本業は本の装丁家だったようだが、骨董に詳しく周囲から目利きで通っていた。小林秀雄、中原中也、大岡昇平、宇野千代、白洲正子など多くの文化人と交流し、骨董の見方を教えたりした。

青山が先生でその他が生徒の関係だったので、「青山学院」と呼ばれた。
「ぼくたちは秀才だが、あいつだけは天才だ」と小林秀雄は言ったそうだ。
議論になると強烈な物言いで、相手を言い負かした。
骨董も苦労して借金までして手に入れたものであっても、しばらく手元に置いて眺めつくしたら、平気で売り払ってしまう。そんな豪気の人であった。

本物を見分ける天性のものが備わっていたということ、そして本物を見続けたことから、真贋の判別には絶対的なものを持っていたようだ。そこを「青山学院」の生徒は信じて慕った。
始めにこの人が本物か偽者かわからないと書いたが、本物だったのだろう。
ただ、性格的にはかなりのものがあり、付き合うのは大変だったようだ。白洲正子などはこの人に文章を校正され、そのほとんどを削られたショックでしばらく文章が書けなくなったりしている。

青山の文章はそんな豪胆な性格がよくあらわれていて、他人が読んでもよくわからないような事情が説明なしに出てきたりするし、もし、手書きの原稿があったら書きなぐったに違いないような文章も多い。
写真を見ると立派な狸顔である。
こういう肝の据わった狸親父など最近はとんと見なくなった。


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『売文生活』

『売文生活』

フリーのライターで生活ができず会社員になった人を何人か知っている。
自分もかつて雑誌などの原稿を書いて収入を得る生活をしたことがあるが、この原稿料で食べていくのは大変だと思った。だから、文章を書くのは原稿料が発生する仕事であっても道楽だと思うようにして、これを中心に生活することは考えなくなった。そんなこともあって、成功しているライターや作家がどう稼いでいるのかは当然興味があるわけで、この本を店頭で手にとった次の瞬間にはレジでお金を払っていた。

この本は明治以降に発生した職業作家たちが現代に至るまでどのように稼いでいるか、その実態を赤裸々に明らかにしている。特に夏目漱石はその先駆者として一章を割いて原稿料から公演料、新聞社との交渉の過程についてを紹介する。いまの各雑誌の具体的な単価も載っていて、なかなか興味深い。文芸誌系は驚くほど単価が安いというのも始めて知った。

この著者の収入について額は明らかにはしていないが、その割合は、
原稿料:印税:有料メルマガ:その他=1:1:1:1
なのだそうだ。(その他はテレビ、ラジオ、講演など)
やはり原稿料だけで食べていくのは難しいということで、それ以外の収入を確保していくのが大事だと主張している。

原稿料で食べていくのが難しいからといって、この著者が貧乏生活をしているかというと、そうではないらしく、常時、人をひとり雇っているなどそれなりの収入はあるようだ。
要はやり方である。正しい経済観念があり、個人事業主として事業をどう進めていくかを考えれば、収入はあとからついてくるのだろう。それができなければ、早々にけりをつけて撤退したほうがいい。
筆者は成功者の側から、作家やライターは原稿料が安く、みな貧乏で、志半ばで辞めていく人も多く、クレジットカードも作れないと書かれた本があれば、それを徹底的に批判する。

この人の文章は初めて読んだが、結構毒がある。毒づいた文章の方が売れから、意識的にそうしているのかもしれない。立花隆氏の方法論を参考にしたと書きながら、大先輩である立花氏をこき下ろしたりしている。こんなことまで書いて大丈夫なんだろうかと他人事ながら心配になってくる。それに、面白いんだけど、ちょっと後味の悪いところもある。

ところで、この著者は仕事を請けるときに、金額を聞くようにしていたのだという。
私もこの業界の仕事を始めてやったときに、原稿料は納品したあとで提示されるという習慣があることを知ってひどく驚いたことがある。他にこんな業種があるんだろうか。
著者はいまでは目的を達成したので、聞くことはなくなったという。著者の周囲では事前に提示するようになったらしいが、この業界にはまだまだこういう習慣が残っているのは残念ながら事実でもある。

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桂離宮を褒めちぎったブルーノ・タウト

『ニッポン』


著者のブルーノ・タウトは1933年から36年まで日本に滞在したドイツ人の建築家である。
特に桂離宮の美を絶賛し、日本人の間に桂離宮に見られるわびさびの美を再評価させるきっかけを与え、世界に桂離宮の名を広めたことで知られる。
この本は、タウトが日本で見た建築や風物などについて感じたことが書かれている。

ウラジオストックから海路で敦賀にやってくるが、そのときの日本の印象がはじめに書かれている。
船の清潔な感じや船員の寡黙だがきびきびとした働きぶり、旅館で出迎えた女中の丁寧な挨拶の様子や旅館の部屋の簡素なさまなどが描かれ、そのいちいちに驚き感心している。
そして、伊勢神宮に世界にふたつとない日本の独自の文化性を見出し、桂離宮の庭と建物に最大級の賛辞を送る。

建物ばかりではなく法隆寺の百済観音や中宮寺の如意輪観音など仏像の美にも着目し、庶民の生活にも興味を向けている。商店街の看板や店先に陳列された商品の様子などは「民衆芸術のアンサンブル」であり、日本で「もっとも強い印象を呼び起」させると記している。

反面、その当時でき始めていた日本の美意識を感じさせない建物には手厳しい。
神戸のケーブルカーの駅やコンクリートの無骨なアパートなどに疑問を呈している。
日本人の西洋化にも厳しい目を向ける。西洋の踊りを日本人がすることは、西洋人の目から見るとこっけいにしか見えないとし、西洋人の洋服を着ることも醜悪で似合っていないと指摘する。

タウトの記した日本はいまでは郷愁を感じさせる過去のものになってしまったものも多い。いま、タウトが生きていてすっかり西洋化してしまったこの日本に来たとしたら、果たして興味を惹く物がどれだけあるだろうか。

タウトはドイツから亡命して、緊急避難的に日本にやってきた。だから、多少は誇張して絶賛しているところもあるのかもしれない。しかし、わずか数年しかいなかったにも関わらず、タウトの日本の正確な理解力には驚嘆せられるし、その指摘のいちいちは正鵠を射ていると言わざるを得ない。
明治に日本に来たラフカディオ・ハーン(小泉八雲)など昔から、日本人以上に日本を知る外国人は数少なくない。タウトは建築家であったが、建築に興味がなくても日本人論として面白く読める。

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『謡曲平家物語』

『謡曲平家物語』 白洲正子


この本のまえがきで白洲さんは「私は平家物語を読む以前から、平家の人々とは親しかった」と書いている。能(謡曲)にはそれほどに平家物語をアレンジして取り込んだものが多い。
日本人は源氏・平氏の話を琵琶法師による弾き語りで聞き、能によって見た。この話は、血の中に溶け込むようにして、日本人の中に伝わってきたのだと思う。

この本では、平家物語から取られた謡曲の数々を紹介している。
章は平家物語に登場する人を単位として立てられる。
祗王・祗女、仏御前、俊寛僧都、源三位頼政、小督局、木曽義仲など、平家物語でお馴染みの人達が登場する。

始めに平家物語の記述を出し、そして謡曲でその部分がどうなっているかを書いているので、オリジナルとどこがどれだけ違ってくるのかがわかりやすい。
琵琶の弾き語りと踊りが含まれる謡曲では必然的に表現方法が変わってくるのだ。

平家物語では数行しか登場しない左中将清経のような人物も一章を立てて取り上げられる。
その清経がシテ(主人公)の世阿弥作と伝えられる「清経」は、この数行の記述を膨らませて、情緒豊かな世界を作り上げたと、能を知り尽くす白洲さんは褒め称えている。
反対にだめな作品に対しては容赦なしに切り捨てている。

「正尊」という能ではチャンバラが行われる。
能にチャンバラがあるとは知らなかったが、こうした能について最近は、「今の専門家たちは、まともに斬り合いなど訓練する人はいないようで、つまらなくなったのも事実である」と書いている。
かつては、橋掛かりの欄干や白洲から、舞台へ飛び移るような歌舞伎さながらの離れ業もしていたというのはびっくりした。

能には大衆的な一面があるというのが白洲さんの主張だ。
能はもともと大衆芸能から生まれたものだし、現に大衆的な一面も持っているはずで、そうした面があって初めて能の幽玄が生きてくるのだという。「専門家も、見物人もそのことを忘れてほしくないと思う。」と書かれている。

こういう小気味いい筆使いも白洲さんの文章の魅力のひとつだ。
白洲さんの本を読むと感じるが、しっとりとした情感の中に江戸っ子的なきっぷの良さの表れた文章が心地いい。

世阿弥が完成させた幽玄能は、霊が登場する。
舞台に登場した霊が語り、舞うところなどは特に眠くなる。
そんなときは寝て構わないという。
目が覚めてもまだ、さきほどの幽霊が舞っている。その夢うつつの感覚を楽しめばいいのだと。
この本は能の見方も変えさせてくれる。

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『イケズの構造』

『イケズの構造』入江敦彦


「イケズ」という言葉は、10年ほど前に、アニメのちびまるこが口癖のように言うのを聞いて初めて知った。
だから、「イケズ」は静岡方面の言葉なのかと思っていた。

辞書にもちゃんと載っている。
「大辞林 第二版」によると、

意地の悪いさま。にくたらしいさま。また、その人。

とあり、関西地方で使われると書かれている。

イケズの本拠地は関西の中でも京都だと知ったのはこの本によってである。

ぶぶづけの話はかなりの人が知っていると思う。
ぶぶづけとはお茶漬けのこと。
ある人の家を訪ねたときに、帰り際にお茶漬けでも食べますか?と言われて引き止められたので、好意を受けて食べていったら、陰で礼儀知らずと言われた
という話のことである。
始めの章で、この話を取り上げているが、実はあれはフィクションなのだそうだ。

ここで読者は、そうなのか、あれはフィクションなのか、京都人はそんな陰険なことはしないんだな、ああ、良かった、
と思ってしまうかもしれない。

そうではないのだ。
同じ章にこんなことが書いてある。
筆者の弟さんの実話だそうだが、ある親戚のうちにしょっちゅう遊びに行っていたその彼は、ある日の昼時に、昼ごはんはおそうめんでええか?と聞かれたのだそうだ。そして、5分とたたずにそうめんが食卓に出され、
「たんとおあがりやす」
と言われたが、そうめんの汁がないのに気が付き、そのことを言うと、
「そやから、たーんとおあがりやす」と、にっこりと微笑んで言われたのだそうだ。
そのとき、初めてその彼は事態に気が付き、あわてて家に帰っただ。

今日は忙しいから帰ってくれ、ということを非常に遠まわしに言ったわけだが、相手の非常識を直接的に言わずに、相手の胸に自分で手を当てさせるようなところが、イケズの特徴と言えるのだろう。

だから、相手が極端に常識を知らない人間の場合は、イケズは通じない。
少しだけ常識があって、考える頭がある場合は、直接言われない分、余計にそのイケズは心に突き刺さる。

この本には、他にもイケズの実例がいくつも書かれている。
中でも千利休がイケズだったという話は目からうろこだった。
秀吉にした仕打ちのことである。
秀吉は屋敷の生垣に咲いた朝顔を楽しみに来ることがわかっているのに、利休はすべて落とし、一輪だけを茶室の掛け花にしたという話があるが、これぞイケズ精神だ、と著者は言う。
そういえば、この間、訪れた大徳寺・高桐院にも、秀吉が欲しいといった灯篭をわざと欠いて、疵物だからと言って断ったという灯篭があった。あれもイケズということだったのだな。
著者の手にかかれば、紫式部も兼好法師もシェークスピアもみなイケズということになる。

イケズには意地悪な気持ちが入っているが、その意地悪心を取り除くと、かつて日本にはどこにでもあった謙譲心の裏返しなのではないか、とこの本を読むうちに思った。
たとえば、贈り物を相手に渡すときに、「つまらないものですが」と思ってもないことを口にしたりする。
その精神が今でも濃厚に残っているのが京都ということなのではないだろうか、と。

最後に、コーヒーを勧められて本当に出てくる可能性があるのは、どれか?
A. 「コーヒー飲まはりますか」
B. 「そない急かんでもコーヒーなどあがっておいきやす」
C. 「喉渇きましたなあ。コーヒーでもどないです」
D. 「コーヒーでよろしか」

答えは本の中で。

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『平家物語』(四)

『平家物語』(四)
 

岩波文庫『平家物語』四は、巻第十から十二と灌頂巻が収録されている。
巻十は、一の谷の合戦で大敗し、討ち取られた平家の首が京に運び込まれる「首渡」から始まる。
横笛と滝口入道の恋物語もこの巻に収められている。

巻十一は壇ノ浦の合戦。始めに源義経が舟に付ける逆櫓の件で梶原景時ともめる。そして、台風の日に義経は梶原らを置いて、わずか5艘の舟で瀬戸内海を渡り、平家の軍勢を襲撃する。景時は義経の行動を書状にまとめ、頼朝に送る。これが頼朝と義経が決定的に決裂するきっかけとなる。

那須与一が平家の船上の女房がかかげる日の丸の扇を弓で打ち落とす「那須与一」もこの巻十一に収められる。
矢があたり、扇がひらひらと舞い上がってやがて海に落ちていく情景の表現が美しい。

「鏑は海へ入りければ、扇は空へぞあがりける。しばしは虚空にひらめきけるが、春風に、一もみ二もみもまれて、海へぞさっとぞ散ッたりける。夕日のかゝやいたるに、みな紅の扇の日出したるが、しら浪のうへにたゞよひ、うきぬ沈みぬゆられければ、奥には平家、ふなばたをたゝいて感じたり。陸には源氏、えびらをたゝいてどよめきけり。」

そのあと、感に絶えなくなって平家の中から50歳ほどの男が現れ、踊りだす。
が、義経はその男さえも射よと与一に命じ、その男は哀れにも討たれ死んでしまう。

そうして、壇ノ浦の合戦で平家は壊滅的打撃を受け、平家の主だった人らは次々と海へ飛び込み、入水する。そんな中、清盛の娘、徳子も我が子、安徳天皇を抱いて海に沈むが、徳子だけは助けられる。

巻十二では平家の残党らが探され、次々と切られていく。
その中で維盛の子の六代という子供がいる。大覚寺の北の菖蒲谷にかくまわれているが、やがて源氏方の北条らに見つかり、捕まってしまう。しかし、平家の女房らが頼朝と親しい文覚上人に頼み込み、その弟子にすることで、助命に成功する。
ああ、皆が殺されていく中でこの子だけは助かるのかと、一筋の希望が見えたと思ったのもつかのま、その文覚が流されてしまい、その間に、六代も結局は殺され、平家物語本文は終わるのである。

最後の最後まで世の中は厳しく、無情で切ない。

灌頂巻は、壇ノ浦でひとり助けられて、京に戻されたあと、出家し、大原で尼として残りの人生を全うする徳子の話になる。大原のぼろぼろの屋敷で日々を送る徳子のもとをある日、後白河法皇が訪ねる「大原御幸」などが収められる。
最後は阿弥陀如来の手にからめた五色の糸を手に取って、念仏しながら亡くなっていく。
念仏の声が弱くなったと思ったら「西に紫雲たなびき、異香室にみち、音楽そらに聞ゆ」という。
空のかなたから雲に乗ってきた阿弥陀三尊と笛や笙、琵琶を奏でる菩薩たちに迎えられ、この世を旅立って行ったのである。

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『庭園と茶室』

『庭園と茶室』


庭園と茶室、茶室の露地についての入門書。
以前紹介した『よくわかる日本庭園の見方』 と内容は基本的には同じで、庭の種類や庭に置かれるパーツなどを紹介している。
こちらの本の方が庭の歴史的成り立ちについては詳しい。

ただ、『よくわかる…』の方が著者らの庭への思いが強いような気がする。
それになんといっても、監修が現役の庭師の方だ。

それと比べると『庭園と・・・』は淡々と書かれているという印象がある。
どっちにもそれぞれの持ち味があるので、どちらがいいとか悪いということはないが、入門書としてはどちらか1冊だけあればいいかもしれない。

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『よくわかる日本庭園の見方』

『よくわかる日本庭園の見方』 監修・斎藤忠一

ここのところ、庭の本ばかり読み漁っているが、前回紹介した『図説 日本庭園のみかた』 宮元健次・著よりもこちらの方が「庭」というものの本質的なものを良く説明していると思った。
特に庭のデザインがどのような要素から成り立っているかという点ではこちらの方が網羅的だし、わかりやすい。

たとえば、庭に造られる滝ひとつとっても、いろいろな種類の滝があり、また、それぞれに名前が付けられている。
糸落ちの滝、片落ちの滝、離れ落ちの滝、向かい落ちの滝など。
庭に置かれる飛び石や灯篭などいろいろな種類があることをこの本は教えてくれる。

後半には著名な日本庭園の紹介も載っている。

この本の監修をしている斎藤忠一という人は実際に日本庭園を専門として作庭を営んでいて、東京芸大芸術学部を卒業したあと、昭和を代表する造園家で日本庭園の研究家である重森三玲氏に師事したあと、独立している。
どうりで詳しいわけだ。

日本庭園のことを知りたいなら、まずこの本をお勧めしたい。

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『日本庭園のみかた』

『図説 日本庭園のみかた』 宮元健次・著

日本庭園は自然風景式庭園、枯山水、茶室の庭である露地の3つに分けられる。
そのそれぞれについての鑑賞ポイントをたとえば、池、中島、滝、橋などの要素に分解して教えてくれている。
また、庭園を持つ寺や神社などの紹介もある。
ただ、以前、ここでも紹介した『京都名庭を歩く』 宮元健次の内容はすべて含まれている。

特に黄金分割やキリスト教など西洋文明が日本庭園に影響を与えた痕跡の指摘や、銀閣寺を作った足利義政の悪行の指摘や竜安寺の作者など、恐らく筆者の研究のメインテーマであろうと思われる部分は、まったく同じなので、『日本庭園のみかた』を読んでいれば、『京都名庭を歩く』は読む必要がない。

不幸にも先に『京都名庭...』を読んでしまった人は、まずそれを古本屋に売ってからこちらの本を買うのがいいだろう。こちらの方が内容は多く充実している。


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『京都古寺』

『京都古寺』 水上勉

今週末に京都に行くので、その下調べのために拾い読みした。
前回の京都・奈良本を書くときに買ったもので、そのときも、必要なところだけ拾い読みしたのだった。

つい先ごろ亡くなった水上さんだが、子供の頃に禅寺に入り、禅寺のいろいろな面を見ている。
かつての京都の光景だとか、外から見ていると見えないような寺の悪い面もストレートに書いていて面白い。

残念なことに今は絶版となっている。

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Google it?

PCの電源スイッチを入れてから、ふと部屋の片隅を見ると、積み上げられた積読本の山の頂上に『情報処理』2004.8月号が送られてきたときのビニールに包まれたまま置かれているのが目に入った。『情報処理』というのは、情報処理学会から会員に毎月送られてくる会誌のことだ。

PCが立ち上がるまでの間の暇つぶしにと、雑誌を包装しているビニールをびりびりと破り、中身をぱらぱらとめくってみた。
最近の情報処理学会の学会誌は以前と違って柔らかめのコラムなんかも載っている。

そんなコラムの中では、ヒューレット・パッカード研究所の湯浅敬という人が書いたGoogleの株式公開の話が面白かった。

インターネットの検索も以前はGooを、その前はYahoo!を使っていたものだったが、このGoogleが出てきて以来、これ以外を使うことがなくなった。初めて使った日から、何の違和感もなく、昔から使っていたかのような感覚で使うようになり、今に至っている。

Googleが創業されたのはわずか6年前のことだそうだ。1万台から10万台のサーバを駆使して、一日2億件と言われる検索をこなしているらしい。

Googleで検索することを「ググる」なんて表現する人がいるが、英語でもGoogleは動詞として使われ、人に何か尋ねても Just google it!と答えが返ってくるのだという。

今日だったかの朝日新聞にMicrosoftが開発中の独自の検索エンジンの話が載っていたが、Microsoftはこれから検索エンジンのシェア40%と言われるGoogleをつぶしにかかるだろう。

NetscapeもJavaもあの会社にしてやられた。

そのnetscapeを動詞に使って、
Can Microsoft netscape Google?
という見出しがあるネットニュースに載っていたそうだ。

MicrosoftはGoogleをNetscapeのように葬り去ることができるか?
という意味だろう。

良貨が悪貨に駆逐されるということのないことを願っているが。

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猫殿猫殿

平家物語(三)読了す。
巻数でいうと七から九が収録される。
都に木曽義仲が入り、平家が都落ちし、その義仲も義経によって討たれ、平家の面々も次々と捕らえられ、最期を遂げていく。

平家物語の中でも好きな話が巻第八にある。
木曽義仲が都入りしたころ、猫間中納言光高という人が義仲を訪ねてくる。
「猫間殿がお見えになった」と言われた義仲は勘違いして「猫が人に会いに来るのか」と言ってしまう。
猫間というのが人間であることがわかった義仲は招きいれ、昼時であったことから、食事を出す。
義仲が木曽にいたころからやっているように、お椀にご飯を山盛りにし、ひらたけなどのおかずをつけて出した。
武士は一日三食の食事をしたが、貴族は一日二食で、昼食を食べる習慣はなかった。
光高は食べないのも失礼にあたるだろうと、しぶしぶその山盛りのご飯に手をつけるが、その様子を見た義仲は
「猫殿は小食であるなあ。猫殿が評判の猫おろし(猫がご飯を残すこと)をしたぞ」
と言い、光高は用事を言い出せずに、屋敷を退出する。

ちなみに、猫間というのは七条坊城壬生あたり。
幕末、新撰組が屯所とした頃の壬生は都の外れの寂れた場所だったようだが、当時は天皇のいる大内裏はいまの御所よりも西にあり、壬生のあたりは都の中心線に位置していた。
猫間というと、何となく田舎の下級貴族みたいな気もするが、実はこの人は藤原北家の血筋にあたる。
それにしても、光高は何の用事があって、義仲を訪ねたのだろう。
権力にあやかろうと義仲に近づいたのか。

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諸行無常の響きあり、べんべん


平家物語(二)


を読み終わった。
巻数でいうと四から六が収録されている。

平家物語、なかなか面白い。
歴史上のできごとをなぞっているだけではなく、話がバラエティに富んでいるから飽きずに読めるのだ。

以仁王の平家追討の令旨に応じて三井寺の僧兵が集結する話があったかと思えば、源頼政が鵺という化鳥を退治する話が出たり、文覚上人が荒行とはどの程度なのかと言って、草の上に8日間、横たわって毒虫にさされることに耐えたり、奈良の東大寺や興福寺が炎上する場面があれば、琴の名手の小督を探しに笛の使い手の仲国が嵯峨で琴の音を聞いて、探し当てたりする話があったりする。
平家物語は、もともと文字に表されたものではなく、盲目の琵琶法師が琵琶をかき鳴らしながら語った物語だから、聞き手が面白がるような工夫がなされている。

それにそれぞれの話は別の話の伏線として皆、繋がっていて、平家のこうした悪行の積み重ねが平清盛の「あっち死に」になったりする。
伏線というと語弊があるかもしれない。むしろ、仏教の因果応報を表していると言ったほうがいいだろう。
諸行無常の響きあり、である。

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辛酉と甲子の年には異変あり

『平家物語』第三巻を読了。これで岩波文庫の4分冊のうちの(1)を読み終わった。

ところで、以前、えとエードを使ったところ甲子の年に改元されてことを発見したという記事を書いたが、その理由がわかった。
平家物語(1)のあとがきに書かれていたことをヒントとして調べてみたのだ。

辛酉革命・甲子革令説というのが中国にあり、この年には異変や変乱が多いとされ、日本ではこの年に改元さるべしとされていたのだ。
この説を日本に持ち込んだのが三善清行という人で、901年の辛酉の年に除旧布新すべき年として改元することを上奏し、この年から改元されるようになった。この年に改元する習慣は中国にはなく日本だけで行われたらしい。

実は901年は萌年表を見ると菅原道真が左遷された年であり、菅原のライバルだった三善は菅原の失脚を狙って辛酉革命説を取り上げたのだという説があるようだ。
901年の3年後が甲子の年なのだが、えとエードで見ると904年には改元されていない。甲子も改元されるようになるのは、次の964年からなのだ。辛酉から甲子までは3年の間隔しかないが、964年以降はそのたった3年でも律儀に改元されている。それなのに904年だけは改元されなかった。これは、やはり無理やりでも901年に改元したかった勢力があったという裏づけといえるのかもしれない。

ところで、辛酉、甲子の改元は明治になるまで続くのだが、その間、抜けている年がいくつかある。
辛酉は1561と1621年、甲子は1564年で改元がされていない。

1561年と1564年は戦国時代にあたる。
改元は一種の政治的特権であり、この時期の政治的空白を物語っているのだろう。

1621年は江戸時代で既に政治的に安定していそうなのだが、60年前に改元されていないとその前は120年も前なわけで、こうした習慣が忘れられていたということなのかもしれない。次の1624年の甲子の間までに誰かが昔の文献を発見し、再び改元されるようになったということなのではないだろうか。

ちなみに今年2005年は乙酉。辛酉ではないので、ご安心を。

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平家物語

年末から平家物語を読んでいる。
岩波文庫の4冊組みのやつ。

第一巻から第十二巻までと勧請巻が収められている。
4冊が1つの箱に入ったセットを買った。

右ページに原文、左ページに注釈があって読みやすい。

平家物語は古典の中でもわかりやすい方だと思うのだが、なかなか読み進まず、いまは第二巻の途中。
平家打倒を企てていた俊寛僧都らが事が発覚し、鬼界が島に流されるところ。

正月三が日が終わるまでに、せめて第三巻まで読みたいところだ。

昔の岩波文庫はパラフィン紙がかかっていてそのままでは読みにくくてしかたがなかった。ってそれはかなり昔の話か。
いまの岩波文庫は帯もかかっていない。
そのかわり、背表紙に帯の幅だけ色が付けられている。色で種類分けをしているから、ここだけに帯の名残を残したのか。その考えがなんだかかわいらしい。

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新たな京都・奈良本のお話

『京都・奈良のお寺で仏像に会いましょう』

『鎌倉でお寺や神社をめぐり、史跡と仏像に会いましょう。』
でお世話になった編集プロダクションから連絡があり、出版社から今度は京都や奈良の古寺や神社を紹介する本を出して欲しいと言われたとのこと。期日は5月末。
現地取材の時間が取れるかと来年のカレンダーを見ると、1月2月3月に3連休がある。
1月はまだ企画が固まらないとして、2月3月の3連休で6日。あとはゴールデンウィークで行けば、前作程度のページ数であれば、なんとかなりそうな感じ。
ただ、1ヶ月前にはすべての原稿が完了してないといけないので、ゴールデンウィークを使うとなると5月末は無理。
それが伸ばせるならやります、と返事をしておいた。

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鎌倉本登録完了


『鎌倉でお寺や神社をめぐり、史跡と仏像に会いましょう。』

Amazonその他で登録されているのを確認。

もう買えるようになっているようです。
売り上げランキングが表示されていないのは、まだ1冊も売れていないからでしょう。

そろそろリアル書店に探しに行かなければ。

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鎌倉本見本紙出来

『鎌倉でお寺や神社をめぐり、史跡と仏像に会いましょう。』

今日、見本紙が送られてきた。
印刷されたばかりのできたてで、インクの匂いが初々しい。
この本を見て、3月頃からやってきたこの仕事も区切りがついたという実感がようやく湧いてきた。
Amazonにはまだ登録されていなかった。
本屋の店頭に並ぶのは12月になってからのようだ。

あらためてこの書名を書いてみたが、長いタイトルだ。
うーん。

ちなみに新聞などで「重版出来」と書いてあるが、あれは
「じゅうはんしゅったい」と読むらしい。
「でき」だと思ってた。

http://www.1101.com/yomenago/2004-10-28.html

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増刷通知

『京都・奈良のお寺で仏像に会いましょう』

第5刷の増刷通知が送られてきた。
今回はいつもよりもちょっぴり増刷部数が多かった。

よく『印税がっぽりですね。いいですねー、うらやましい』と言われたりするが、増刷されているとは言っても、絶対数が多いわけではないわけで、半年に一度振り込まれる印税もちょっと飲み食いすればなくなってしまう程度の額だ。
それにこの手のガイドブックは苦労する割りには実入りが少ない。
とぼやいてみたりする。

とはいっても、増刷されるのは素直にうれしいものだ。
買ってくださった皆さんに感謝します。

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風邪をひいた週末の過ごし方

今週の月曜日に客先に行って以来、風邪をひいている。
寝ないといけないほどひどくはないので、体が冷えないようにし、ビタミンを取るように気をつける程度に、過ごしてきたが治らないままで週末になってしまった。
今日は、やり残した仕事を少しして、あとは暖かい部屋で本など読んで過ごしている。
風邪を治すなら眠気を催す本でも読んで、寝てしまったほうがいいのだが、読み始めた本は面白く、これでは治りそうもない。
読んでいる本は
『黒龍の柩』北方謙三

新撰組の話だ。
池田屋事件のあとから始まる。
読んでいる内に、小説中に登場する沖田総司や死に至る病気という設定の山南敬助と自分の風邪による体調の悪さがシンクロしてきて、悲劇のヒーローのような気分になってくる。
ほどほどにしなければ。

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テレビ台、本棚となる

ASK AV・TVボード(28型ワイドテレビ対応)【全国送料無料】
テレビボードを買い換えることになった。
古いテレビボードは粗大ごみに出すことも考えたが、別室で使うことにした。
テレビの上部に棚がついていて物が置けるようになっているので、本棚代わりにちょうど良いのだ。
明日、そのテレビボードが届くので、仕事を終えた10時過ぎに旧テレビ台を移動した。
10数年間使ってきたテレビボードはごみにならずにすんだ。
なによりも、床の上の本が片付くのがうれしい。
ただし、全部は入らないのが問題だ。

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アイデアのおもちゃ箱

「SOHOのツボ」というメルマガを取っている。
SOHOを実践する数人の執筆者が書いているものだ。
このなかで『アイデアのおもちゃ箱』マイケル・マハルコ著、という本を紹介していて、面白そうだと思ったので、読んでみたいと思った。
だが、残念ながらすでに新刊本としては流通していないので、Amazonの予約注文を利用して、マーケットプレースに出品されるのを待つことにした。
そうしたら、数日後に出品され、しかも希望価格よりも安い金額だった。相手は古本屋ではなく個人の人らしい。
今日、その本が郵便で届いた。
副題に『独創力を伸ばす発想トレーニング』とあるように、どのようにしてアイディアを生み出していくかということが書かれてあるようだ。
積んどく本がまた増えてしまったが、いつか読むだろう。

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ほんのあなろぐ開始

いま、新しい文房具を手に入れた子供のようにわくわくしてます。

ブログという文房具を手に入れて、これから何をしようか、どんなページにしようか
いろいろ考えたりしています。

クリックするだけで画面のデザインが変化したり、まっさらな状態からホームページを作るのとは違った感じが面白いのです。

何をしようか、ということについてはもう決まっています。

もともと猫の穴内の「乱読の穴」で、読んだ本の記録をつけていました。
それをこちらに移行するのです。

このブログのタイトルは「本の穴」「ブログ」「アナログ」を合体させたものと思ってください。
「ほんのアナログ」でもあり、「本の穴ログ」でもあります。

3日ブログにならないよう、気をつけたいと思います。
それでは、よろしう。

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