旅行・地域

橿原ロイヤルホテル:奈良2009.1

行きはタクシーで行った朝護孫子寺だが、帰りはバスで山を降りた。バスの時間まで少し時間があったので茶屋で甘酒など飲んで、雪で冷えきった体を温めた。10分前にバス停に行くが、誰もいない。本当にバスは来るのだろうかと不安に思いながら待っていたが、ちゃんとバスは来た。
信貴山下でバスを降りる。今日の宿のある橿原神宮駅まで行かなければならないが、この駅から行くには結構乗り換えが複雑だ。いくつかルートがあるが、
信貴山下 ー(近鉄生駒線)ー 王寺 (徒歩) 新王寺 ー (近鉄田原元線)ー 西田原元 (徒歩) 田原元 ー (近鉄橿原線)ー 橿原神宮駅
とすべて近鉄線で行くコースを選択した。2つの乗り換えの両方に徒歩で別の駅に行かないといけないのが面白い。関東だったらこのくらいの距離だったら地下道を作ってでも駅をつなげるくらいのことはするのではないかと思うが、その辺はコスト意識がしっかりしている関西らしいという気がする。

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西田原本駅から田原本駅に乗り換える途中にあった看板。手描きの自転車がいかしてる。

ちなみに田原本駅に乗り換えるには踏み切りを渡る必要があるが、ちょうど橿原神宮駅方向の電車をむなしく踏み切りの前で見送ることとなった。

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田原元駅のメンズショップの絵もいかしてる。

そして今日の宿の橿原ロイヤルホテルに到着。奈良のお気に入りのホテルのひとつで以前は良く泊まっていたが、繁忙期はなかなか予約が取りにくいことや、若干宿泊費が高いので最近はなかなか泊まる機会がなかった。今回はたまの贅沢ということで、予約を入れた。
ここは洋室だけではなくて和室もあって、畳の上でごろっとできるのがいい。そして、本物の温泉もあるところもポイントが高い。

夕食はホテル内のフレンチレストランで。ここもお気に入りのレストランだ。
以前は、来るたびに感動していたのだが、そのときの味ではなくなっていたような気がする。期待しすぎたせいだろうか。

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畝傍山のシルエットを見ながら食事ができるのがうれしい。

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翌朝の客室からの景色。
巻向山が正面に見える。


橿原ロイヤルホテル

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朝護孫子寺(2):奈良2009.1

あちこち迷ってようやく本堂を発見する。
急勾配の石段を登って、本堂に入ると、太鼓を叩きながらの般若心経が唱えられているところだった。山の上のお寺はお経を唱えるのも勇ましい感じのところが多いように思う。
無事、初詣でを済ませて、お堂を出ると雪が激しくなっていた。

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本堂下にある宝物殿に入る。
信貴山縁起絵巻の模写が展示されていた。本物は年に1回展示されるようだが、このときは模写。本物は以前、東京のサントリー美術館で見たことがある。そのときに買った絵巻(と言っても本の形になっているものだが)は今も大事に持っている。

像高20センチ程度の小さな兜跋毘沙門天像があった。これまでに見た兜跋毘沙門天の中では一番小さい。まるで念持仏のような大きさだ。目がくりくりっとして何だかかわいらしい。

その近くには金銅鉢が置かれていた。延長7年の年号が彫られているので、平安時代のものだ。
興味深いのはこの鉢がぼこぼこにへこんでいるところだ。
信貴山縁起絵巻に描かれるのは、まさに飛鉢法を操る命蓮の話。誰かが飛鉢法を修得しようと、この鉢を実際に飛ばしたんじゃないだろうか。

さらにもう一つ面白いものがあった。
刀八毘沙門天の描かれた図像だ。
兜跋毘沙門天の異字に過ぎないと思っていたのだが、その姿は全く違う。字のごとく刀を八本、体の周囲に鎧のようにして身に付け、獅子に乗り、四面十二臂の姿をする。頭上には智拳印の大日如来。
始めて見た。東国の武将の間で広く信仰されたのだという。

宝物殿を出ると雪は小降りになってきていた。
朝護孫子寺は面白いところだ。
現世利益のオンパレード。境内にはいろんな神仏がいる。

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「融通さん」は心のどんな融通事でも必ずかなえてくれ、御守りを財布に入れておくだけで、おこずかいに不自由しないといい、

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「銭亀さん」は銭亀守りを一億円札と一緒に石臼にのせ、回すとお金の廻りがよくなるという。

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これかな?その石臼というのは。

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これは三寅の胎内くぐり。
境内全体がテーマパークのようだが、不思議と俗っぽい感じがしない。信貴山の霊力ゆえだろうか。
眉をひそめる向きもあろうかと思うが、こういうの、好きだな。
日本の仏教はもっと民衆を受け入れ、夢を与える努力が必要なのではないだろうか。
仏教ファンのひとりとして、そんなことを思った1日だった。

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朝護孫子寺(1):奈良2009.1

2009年1月10日、またまた奈良へ。
最初の訪問寺は朝護孫子寺。
新幹線で降り立った京都駅からJR奈良線に乗って奈良駅まで行き、関西本線に乗り換え王寺駅で下車。
ここからタクシーに乗り込む。
「朝護孫子寺まで」
「はあ?」
「朝護孫子寺。信貴山の」
「ああ、信貴山ね」
信貴山じゃないと通じないらしい。そんな会話のあとで、ようやく車は走り出した。

このころ、連続して起こっていたタクシー強盗対策らしく運転席の後ろには古ぼけた車両に似つかわしくない真新しい仕切り板が取り付けられていた。
それと。
この運転手、シートベルトをしていなかった。。。

駅で降りたときから厚い雲が空を覆っていたが、車が山を上っていくにつれて、白いものが降ってきた。やがて、寺に到着。
初めての信貴山だ。ずっとあの『信貴山縁起絵巻』の信貴山に来てみたいと思っていた。

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そして、これが、見たかった張り子の虎。
結構大きい。
それに首はモーターで動いている。

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あっちにも、

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こっちにも、

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こんなところにも虎がいる。

聖徳太子が物部氏を討つときに、寅の年、寅の日、寅の刻に毘沙門天がに現れ、その加護によって勝利したことから、毘沙門天を祀る寺院を創建したとされる。それが、この寺と虎との関係である。

山内には所狭しとたくさんのお堂があって、いろいろな神仏が祀られている。そのために境内は迷路のようになっている。まだ今年の初詣を済ませていなかったので、最初に参拝するのはどうしても本堂にしたいと思っていた。
で、本堂はどこだ?
あれ?ここはさっき通ったお堂だし。

(つづく)


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生きてる?

今年の3月に奈良に行ったときに見つけた自動販売機。
頭塔の前にあった。

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かなり古そうだが、使用禁止になっていないし、コインの投入口もふさがれていない。
何が出てくるのか、あるいは何も出てこないのか興味はあったが、あまりに古い缶飲料が出てきても迷惑なので、お金の投入はしなかった。チャレンジャー求む。

ちなみに頭塔とは下の写真のような階段ピラミッドみたいなもの。

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古くからの言い伝えで玄昉という人の首が落ちた場所とされる。だから頭塔と呼ばれた。
唐突に、「首が落ちた」と書いたが、それはこんな事件があった。

玄昉という人は奈良時代の僧侶で、唐に留学して法相を学んで帰国している。その後、吉備真備とともに政権中枢へと入った。その頃、そうした動きを好ましく思っていなかった藤原広嗣が九州で兵を起こすが、失敗し処刑される。その後、藤原仲麻呂が勢力を持つようになると玄昉は九州へと左遷されるが、その地は玄昉に恨みを持つ広嗣が死んだ地。玄昉はその地で広嗣の怨霊に殺され、首だけが奈良まで飛んできて落ちた、という奇怪な話なのだ。
それを祀ったのがこの頭塔と言われてきたのだが、最近の学説では実忠が建てた土塔であるという説が有力だ。

頭塔

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奈良の山火事リス看板

最近、山火事注意看板のコレクターをやっている。それもリスのイラストのやつ。
コレクターといっても看板そのものを集めるのではなく、写真を撮っているだけだが。

まず、滋賀県と京都府の看板。

そしてこちらが長野県八千穂村の看板。

今回の奈良行きでまたリスの看板を見つけた。

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奈良は文化圏としては京都に近いのではないかと思っていたが、見比べてみると意外にも八千穂村のに似ている。いや、そっくりと言っていいかもしれない。まといの構え方、顔の向き、しっぽの位置、色、顔のすべてが一致する。
これと似てるんだけど、顔がなぜかいやらしい感じなのが滋賀県。
堂々としていて、一番心に訴えかけてくるのが京都府、
という分類になるか。

それにしてもどのイラストが本家なのだろうか。
謎は深まる。

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あ〜れ〜


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今月今夜のこの月を。。。
(写真をクリック)

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称名寺にて

横浜市にある称名寺は中心に広い池のある浄土式庭園を持ち、その周辺に伽藍が建っている。
境内には誰でも入れるので、人々が散策したりベンチに座ったりする憩いの場ともなっている。

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水というのはどうして人の気持ちをリラックスさせてくれるのだろう。

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この朱の橋がアクセントとなって、この景色を引き立てている。
この庭園は昭和62年に復元されたものだそうだ。

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この寺は、北条氏の一族である金沢北条氏によって建立され、鎌倉幕府とともに繁栄した。

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塔頭光明院の前にはいくつかの石仏が並んでいた。

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子供を抱く地蔵菩薩。
地蔵は子供の守り神としても厚く信仰されてきた。

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観音菩薩か?
手に持つハスはなぜか折れ曲がっている。

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こちらもお地蔵さん。

称名寺

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鎌倉:江島神社奥津宮

江ノ島はなぜか猫が多い。
飲食店の残り物でも貰っているのか、どの猫もまるまると太って幸せそうだ。

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やがて江島神社の三宮のうち、もっとも奥にある奥津宮に到着。
古さびた感じのする社殿は最奥の宮にふさわしい。
祀られるのは三姉妹のうちの一番上のお姉さんにあたる多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)。

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拝殿の天井には八方睨みの亀。なんと酒井抱一が描いたものだという。
どういうわけか、亀が真剣な顔でこっちを睨んでいる。
ただし、ここにあるのは複製。

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奥津宮を過ぎてさらに奥へと進んでいくとやがて海に出た。
大勢の釣り人が釣果を競い、たくさんのトンビが空を舞っていた。

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そこから再び同じ道を引き返した。
途中の「生シラス丼」の看板に惹かれて、海の見渡せる食堂に入った。
ツレは普通のシラス丼を注文。生シラス丼は海から近いここでしか食べられないんだろうが、味としては普通のシラス丼の方がおいしかった。

会計を済ませると、食堂のおばさんから帰りの近道があるから、と教えてもらった。
中津宮を飛ばして最初の辺津宮まで一気に出られる道だった。

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車で横浜ベイブリッジを通って東京へ。そして新幹線で軽井沢に帰宅した2日間だった。

(鎌倉の話おしまい)

当ブログの更新もこれが今年最後となります。
今年一年ありがとうございました。
来年も皆様にとって良いお年でありますように。


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鎌倉:江島神社中津宮

辺津宮から中津宮へは島の中央に向かって登っていく。
途中にはエスカーという乗り物で登れるようになっているが、これは結局のところ、ただの有料のエスカレータである。われわれはこれには乗らず、石段を登って歩いていった。

やがて立派な灯籠が見えてきた。江戸時代に江戸の芝居小屋の中村座が奉納したものだという。こういう灯籠が並んでいるところを見ても、この神社が当時から栄えていた様子が窺える。他にも同じく江戸の芝居小屋、市村座の奉納した灯籠もあった。

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市寸島比売命(いちきしまひめのみこと)の祀られる中津宮は朱の色も鮮やかな社殿で、これは平成八年の全面的な改修により、 元禄二年改築当時の権現造りの建築を再現したもの。

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中津宮の狛犬。石が茶色掛かっているのは潮の影響だろうか。


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鎌倉:江島神社辺津宮

翌朝、江ノ島へ。
ずいぶん昔、夜中に車で来て江ノ島に渡る橋を渡っただけで帰ったことがあるような気がするが、ちゃんと島内をめぐるのはこれが初めてだったりする。

両側に土産物屋や旅館、飲食店が立ち並ぶ細い参道を通って江島神社に向かう。

参道を抜けると竜宮城みたいな門が現れた。

そして、江島神社辺津宮(へつみや)の社殿。

江島神社は辺津宮、中津宮(なかつみや)、奥津宮(おくつみや)に別れていて、参拝者はそれぞれ手前の宮から奥の宮に向かって順に参拝していく。
祀られるのはそれぞれ田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)、市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)、多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)の三女神で、美人とされる三姉妹だ。
別名、宗像三女神と言われ、そのルーツは九州の宗像大社にある海の神である。

この神はのちに仏教の弁財天と同一視されるようになるが、この神社にも弁財天が祀られる。と、いうよりは江島神社の神名を知っている人よりも弁財天の存在を知っている人の方が圧倒的に多いだろう。
この八角の建物である奉安殿に二体の弁財天が安置されていた。
1つは八臂(はっぴ)弁財天。8本の手にそれぞれ刀や弓、宝珠などを持っている。
源頼朝が藤原秀衡を調伏祈願するために、文覚上人に造らせたといういわれが残されるものだ。
もう1つは二臂の弁財天で、これが実に全裸なのだ。岩の上に座って琵琶を抱えている。
妙音弁財天といい音楽芸能を司る。八臂弁財天の方は勝運守護と同じ弁財天でも大きく性格が異なっている。

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なぜか打出の小槌が。
「固定されていますので、持ち上げないで下さい」と書かれたシールが張ってあった。


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鎌倉:かまぷり

海蔵寺を出たあと、降る雨もあってどこかに行く気にもならず、そのままホテルに向かった。
鎌倉に泊まるならと、前から気になっていた鎌倉プリンスホテルに予約を入れてあったのだ。

あの本を作っているときは、一回くらい鎌倉に泊まりたいものだと思いながらも、当時住んでいた東京からは距離が近すぎるため、何となくもったいないと思い、週末ごとに横須賀線で東京と鎌倉を往復し、とうとう一泊もしないで終わってしまった。
そんなこともあって、今回は鎌倉に泊まることになった。

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鎌倉プリンスホテル外観。七里ヶ浜の丘の上に建っている。
外見はちょっと70年代チックな感じがあるが、実は1995年竣工の建物。
芦ノ湖に面した箱根プリンスホテルも円形の建物で、もしかしたらこれを意識して設計されたものかもしれないと思った。

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内部の廊下。スタートレックの宇宙船の中のようでなんか楽しい。

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部屋からは江ノ島が見えた。
もっと天気がいいと富士山も見えるらしい。

鎌倉プリンスホテル


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鎌倉:海蔵寺

先週、鎌倉に行った。
この本の取材で2年前は頻繁に行っていた鎌倉だったが、それ以来だ。
今回の主な目的は仕事でもなければ観光でもない。
わずか20歳という若さで自らの命を絶ってしまった女性の一周忌のお墓参りに行ったのだ。直接の知り合いではないが、一年前はその騒動でいろいろな影響を受けたものだった。

その日、軽井沢は雪。東京も鎌倉も雨だった。
お墓のあるお寺は海蔵寺で、この本の取材でも訪れている。まさか、こういう形で再びこの寺に来るとは思わなかった。
お寺でお墓の場所を聞き、途中で買った花と線香を供えた。雨足が強くなるなか、お寺で借りたライターでなかなか付かない線香になんとか火をつけ、手を合わせた。
われわれがここに来たことを彼女は果たして喜んでくれたのだろうか。ますます強くなる雨空を見上げながら、そればかりが気掛かりだった。

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消えゆくもの

11月30日の新聞にキャピトル東急ホテル終了の広告が出ていた。
本当に終わってしまったんだなという寂しい思いがする。

実は先月の引越の前日に、最後に見ておきたいと思ってこのホテルに行っていたのだ。

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当初は東京ヒルトンホテルとして開業し、ビートルズも宿泊したそのホテルは、やがて東急に移管され今のキャピトル東急ホテルとなる。

ヒルトンとかビートルズに思い入れがあるわけではないし、泊まったこともなかったが、東京でも数少なくなった大人の空間で好きな場所のひとつだった。
ここには思い出もある。いろいろと。

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一階のロビーの喫茶店やコーヒーハウス「オリガミ」からは中庭の結構本格的に作られた日本庭園が見渡せ、池に浮かぶ鴨たちを眺めることができた。「オリガミ」も気軽に入れて本格的な料理が楽しめる、われわれのお気に入りの店だった。

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この日はいままで入ったことのなかった日本料理「源氏」に行ってみた。
相当に高そうなので敬遠していたがランチなら、と入ってみたのだ。
中庭に接した建物にあり、ホテルからは能舞台の橋懸かりのような斜めにかかった廊下を通っていく。

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そこの店員に「来月で終わりなんですよね」と言うと、本当に寂しそうな顔で庭園をしみじみと眺めて、「あの鴨たちも名残を惜しんで来ているのかもしれませんね」と言っていた。
このきれいな庭園も壊されてしまうそうだ。鴨たちはどこに行くのだろう。

それにしても、どうしてこんないいホテルを壊しちゃうのかな、東急は。

もう何年もすると、ここに新しくできる建物に、以前は何があったかも知らない人たちが訪れ、新たな思い出を作っていくのだろう。

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のろし

近江で見た看板(5)

百済寺の境内図。
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右の丸を拡大してみよう。

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かつて、のろし場があったのだ!
この火の描き方もどこか芸術的でかっこいい。

(近江で見た看板、おしまい)


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この人誰?

近江で見た看板(4)

百済寺の駐車場で撮影。

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ふーん。この男が不法にごみを捨てた犯人か。
悪人顔してるなあ。

あ、なんだよ。悪い奴のくせに人のこと指さすなよ。

えっ。上の文字は吹き出しで、この男が喋ってるのか?
「この人」っていうのは俺様のことか?
君は人に無実の罪を着せるつもりなのか?

人を顔で判断しちゃいけないというが、それにしても悪そうな顔してるなあ。

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無限の世界?

近江で見た看板(3)

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白鬚神社にあった境内案内図。
左下の赤い丸を拡大してみよう。

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おお!
案内図の立っているところにちゃんと同じ案内図の絵が描かれている。

でも、この小さい案内図の中には案内図は描かれていなかった。
無限世界への入り口は閉じられていたのだ。


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松茸山

近江で見た看板(2)

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御上神社の境内にて。
神宿る山、三上山も今では松茸取りの山と化している。

ただし、松茸が見つかるかは運と技術次第であって、500円で松茸を山盛りに取れるとは思わない方がいい。それに、怒った神様が松茸を毒きのこに変えているかも。

それにしても看板の絵は凝ってるなあ。

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放火魔?

近江で見た看板(1)

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上は今回、滋賀県の御上神社の境内で撮ったもの。
下は去年、京都の清閑寺付近で撮ったもの。

どちらもリスがまといを持った火消しの格好をしている。
京都のリスは実に堂々とした風格で、誇りを持って自らに課せられた火消しの任務を遂行し、たばこの投げ捨てをやめようと呼びかけているように見える。

しかし、滋賀県のリスはどうだろう。火消しの格好をしていながら、燃え盛る火に背を向けてと逃げようとしている。その姿は背を丸め、いかにもこそこそとした様子だ。しかも、あろうことか振り向きざまに、火を見ていやらしい笑みを浮かべている。
もしかして、このリスは火消しを装った放火魔なのか!?

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軽井沢日帰り、そして隅田川花火

軽井沢駅を降り立ったときに雨がぽつりと降り始めた。迎えに来てくれた人は「今日は御代田の龍神祭で、龍神様というのは水の神様なので、毎年この日は雨が降るんですよ」と言った。

御代田というのは軽井沢の隣町になる。今日はこの龍神祭を見に行ったわけではなかったし見なかったのだが、あとで気になって調べたら面白いことがわかった。何年か前にビレッジシンガーズの偽者が現われ、「亜麻色の髪の乙女」を歌って捕まったのがこの祭だったのだ。

用事の方は結局ほとんど進展しなかったが、ともかく済ませ、カフェでまったりしてから夕方の新幹線で帰京。
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その足で隅田川花火大会に行った。初め上野から銀座線で浅草に出ようと思ったが、切符を買う人の長い列ができているのに恐れをなし、日比谷線で入谷に移動し、そこから徒歩で浅草方面を目指した。
浅草のあたりに行けばどこかで見られるだろうと、今年は特に見る場所も決めていなかった。

浅草寺裏手まで行くと、観光バスの駐車場のところに人が大勢シートを敷いていたので、そこにわれわれも座り込んで花火が上がるのを待った。
しばらくそこで見た後、浅草寺境内に入る。

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仲見世商店街の上にも花火が上がっていた。いつもは早い時間に閉まってしまう仲見世も今日は結構開いていた。
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軽井沢・夏(2)

「ル・コルビュジエと建築家坂倉準三の友情」展という展示をルヴァン美術館でやっていること旧軽井沢を散歩中にポスターで見て、翌日行ってみた。

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コルビュジエはフランク・ロイド・ライトらとともに近代建築の四大巨匠とも呼ばれる建築家だ。日本では国立西洋美術館の基本設計をしている。
フランスに渡りコルビュジエのアトリエの門を叩いたのが坂倉準三だ。坂倉はここで無償で働き、コルビュジエの思想を継承した。坂倉の代表作はついこの間取り壊された東急文化会館や神奈川県立美術館、新宿西口広場などがある。その2人は篤い友情で結ばれ、展示にはコルビュジエから贈られた絵などが展示されていた。絵は明るい色彩の抽象絵画が多い。実は、コルビュジエという人は画家から出発して建築家になった人で、建築のスケッチではなく作品としての絵も多く残している。
コルビュジエは国立西洋美術館の基本設計のために一度来日している。そのとき、坂倉が設計した神奈川県立美術館の大谷石に大いに興味を示したという。そのときに京都の桂離宮にも行ったそうなのだが、残念なことにどのような感想を持ったかは何も書いてなかった。国立西洋美術館はその後、弟子の前川國男・坂倉準三・吉阪隆正が実施設計によって完成した。

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ランチはこのブログで知ったベルンの森へ。離山の麓にあってコテージもやっているカジュアルフレンチの店だ。別荘地の一番奥にあって隠れ家的雰囲気。
頼んだのはランチA(2520円)。その日出てきたのは、前菜がタコとすいかのサラダ仕立て、スープがメロンとトマトのガスパッチョ。タコとすいかとか、メロンとトマトという異次元の組み合わせが面白い。でも決して奇をてらったものではなく、この組み合わせが意外にあっていてすごくおいしい。メインディッシュは魚と肉を選べるようになっていて、魚は真鯛のポワレ、肉が豚フィレ肉のロースト。ツレとそれぞれを頼んで途中で交換した。
天気がよければ店内から山並みが見えるらしいが、その日はあいにく小雨が降ったりやんだりで、何も見えなかった。そして、滞在中、浅間山が姿を見せることも無いまま軽井沢を離れ、灼熱の東京に戻った。


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軽井沢・夏(1)

ここ数年、この時期に軽井沢に行くのが習慣となっている。
先週の金曜日の夕方、ばたばたと仕事を終わらせて車に乗り込み、ツレを表参道で拾ってから夜の関越自動車道を走って、軽井沢入りした。

翌日、天気予報に反して雨は降らず緑に囲まれる軽井沢を散策した。

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軽井沢の象徴、雲場池。

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軽井沢は水がいいことでも知られている。写真はホテル鹿島ノ森の隣にある御膳水と名づけられた湧き水。

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その日はホテル鹿島ノ森でランチ。


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初めての110

那須からの帰り、東北自動車道を最後まで渋滞なく通過し、首都高を自宅の最寄りの場所で降りた。一般道に入ってまもなくの交差点。赤信号が青に変わるのを待っていた。
青になりアクセルを踏もうとした瞬間、がさがさという音とともに異様な振動があった。しばし何が起きたのかわからなかった。

ま、いいか。と先に進もうとしつつ、ミラーを見たところで事情がわかった。
後続車のドライバーがしきりにあわてた様子だ。衝突されたのだ。
車を脇に止め、後に回って状況を見る。バンパーに横一線の傷とボディーにへこみがあった。
後の車のドライバーも出てきてしきりに恐縮している。

事故証明が必要なので警察を呼ばなければ、と自分の携帯からその場で110番した。警察が来るまでの間、相手の人の免許証で名前、住所等をメモする。
今回運転していたのはツレ所有のもので、この車ではない。なので、あとの相手との交渉はツレの方としてもらうことにした。

前に事故にあったのは2,3年前に首都高を走っているときに、落ちていた板が車の底のガソリンタンクのプラスティック製のチューブを極めてまれな確率でヒットし、ガソリン漏れを起こして走行不能になったときだった。
追い越し車線で異常に気付きどうにか左側路肩まで車を移動させて車を止めた。いや、止めたのではなくて、その時点ではもうアクセルを踏み込んでも走らなかったのだ。路肩に移動するまでは惰性で動いていただけだった。ちょうどブッシュ大統領来日の直前で場所は大井PAのすぐ前。PA利用者を検問していたらしくそこには機動隊が大勢いた。助手席のツレに降りてもらい、三角版を後に置いたりしていると、いつのまにか機動隊に囲まれていた。そういうわけでこのときは、警察の方が勝手に来てくれたので呼ぶ必要もなかった。

その前に事故にあったのは10年ほど前のクリスマスの夜。仕事で荷物を運ぶ必要があったので車で出かけた帰りで、助手席には仕事先の人が座っていた。歳末商戦で疲れきっていたらしいコンビニの店長の居眠り運転で、信号待ちで停止中に追突された。このときは助手席にいた仕事先の人が近くのファミレスに110番をかけに行ってくれた。

そんなわけで、自分で110番するのは今回が始めてだった。

ほどなくしておまわりさんが来たので事情を話す。

ツレが腰をひねったみたい、と言って腰をさすっている。
実は物損事故と人身事故では処理の仕方が違うらしい。
人身にするならより本格的な事故処理が必要らしいのだが、ツレが大丈夫そうだと思うというので、おまわりさん一人で処理できる物損事故で処理してもらった。だが、このとき人身事故扱いにしてもらうべきだった。

その後、腰の痛みが大きくなり1週間ほど医者に通ったが直らないという。
相手の保険会社の話としてこれ以上医者に行くなら人身事故に切り替えないと、保険が出ないと言われたということで、警察に連絡し人身事故に切り替えることになった。

事故処理をした警察署に犠牲者のツレと運転手の自分の2人で行った。
すると、署内の食堂に連れられていき、昼の仕事を終えた食堂のおばさんたちが自分たちの昼食を取っているところで話を聞かれた。
A4一枚の紙にあらかじめ質問事項が書かれてあり、こちらが答えるとそれを警官が記入していく。「相手を罰することを望みますか?」という質問もあってドキドキした。それにはもちろん「望まない」と答えたが。それを運転手とけがをした同乗者のそれぞれについて行い、それで終了した。
それにしても警察署の食堂を見られるとは思わなかった。取調べで「カツどん食うか?」と言われたときに出てくるのは署内の食堂のカツどんなんだろうか。(刑事が「カツどん食うか?」なんていうのは刑事ドラマだけの世界らしいけど)

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那須:牧場&温泉

翌日、特に行くべきところもない我々は何となく近くの南ヶ丘牧場に行った。
広い駐車場はほぼ満杯状態で場内もかなりの人がいる。6月上旬の何でもない日曜日にこれでは夏休みなんかは相当な人出なんだろう。
定番のソフトクリームにも人が群がっている。そこに「ペロシキ」なる食べ物もあった。「ピロシキ」ではなく「ペロシキ」。買ってみた。揚げパンの中に味のない餃子の具みたいなのが入っている。ピロシキとは味が違う。だからペロシキか。

こんな看板があった。
うさぎ

見ると子供が紐を首に巻いたウサギをひっぱって遊んでいる。
これは動物虐待ぎりぎりだなあ。どうも動物園とか牧場の動物は見ているとかわいそうになってくる。
このままでは南ヶ丘牧場の中傷めいた文章で終わってしまうので、最後に書いておく。
ソフトクリームはおいしかった。

続いて昨日行った殺生石のさらに奥の有料道路を通って山の上の方まで何となく行ってみることにした。
ほぼ山頂らしいところまで来たので、さてどうしようかと思っていると、ツレがこの先に温泉があるから入ってみよう、と言い出した。どうしてこの先に温泉があることを知っているのか、急にイタコにでもなったのかと思ったが、実は以前、R社の旅行雑誌の取材で那須に来ていてこの温泉のことを知っていたのだった。

駐車場に車を置き、少し降りていくと崖にへばりつくようにして建物が建っている。
大丸温泉旅館。日本秘湯を守る会会員と書いてある。
へー。秘湯なんだ。
一人あたり1000円を払ってさっそく中に入る。川をせきとめて作ったという川の湯が名物らしい。
温泉の底には砂利が敷き詰めてあって、ところどころからお湯が湧き出ている。
入っていると上の方から裸のおじさんがタオル1枚を手に降りてくる。温泉は上にもあるらしい。
さっそく登ってみると全部で3段の高さに分かれていて、上から川のお湯が順々に流れてくることがわかった。秘湯という言葉のイメージほど野性的ではないが、面白い趣向だ。
上から戻ってくると若い女性がひとり、男のそばに寄り添って入っていた。あとで知ったのだが川の湯は混浴なのだ。
すぐ上で秘湯的なイメージを否定したばかりだが、やはりここは正真正銘の秘湯だった。


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那須:SHOZO CAFE

那須では結構有名らしい。SHOZO CAFE。
那須だけでもいくつかある。そのうちのSHOZO CAFE MDというところに行ってみた。

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入ってすぐにこのCAFEの人気がある理由がわかった。
民家を改造したらしい店内は壁や柱にちょっと素人くさい感じで白のペンキが塗られ、棚には自由に読んでいい本や売り物の食器、そしてシャツまで飾られている。テーブルやイスもみな違ったものが置いてある。
不統一になりすぎないぎりぎりのばらばら感があって、見ていて楽しく、店に入ったというよりは、誰かの家を訪れたような気持ちにさせてくれる。
カフェオレを注文したら、店員がテーブルの上で葉っぱの模様を描いてくれた。

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その日の宿は『ホテルレジーナ那須』
全室コテージタイプで、中は普通の家と同じように何部屋かに分かれている。キッチンにはコンロはないが流しだけが付いている。電子レンジが置いてあった。
場所はすごくわかりずらい。そこに行く道はたくさんありそうなんだけど、別荘地になっていて通り抜けられない道ばかりだった。カーナビに従っていくと無限ループに入り込んで、このままでは行き着けないことがわかったので、近くにある二期倶楽部を入れなおし、ようやく着いた。


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那須:温泉神社

温泉まんじゅうといえば、温泉地の定番のおみやげとして昔からあるし、最近は温泉パンというのもあったりする。しかし、温泉神社というのは聞いたことがなかった。

温泉神社は殺生石から程近い場所にあるが、草木も生えない殺風景な光景の広がる殺生石とは対照的に、温泉神社は鎮守の森の奥に鎮座している。
この神社、その名前からしてちょっとまがい物くさい感じもしたのだが、それはとんでもない誤解だった。
実は、温泉まんじゅうなんかよりもずっと長い歴史を持っていて、舒明天皇の御代の西暦630年の創建なのだそうだ。延喜式神名帳にも載っていて由緒ある神社でもある。

現地の解説板には那須与一が屋島の戦で扇の的を射るときにこの温泉神社にも祈願したとある。八幡菩薩に祈ったというのは覚えているけれど、温泉神社なんか出てきたかなあと思い、手元にある『平家物語(四)』で確認してみると確かにあった。
与一は、「南無八幡大菩薩、我国の神明、日光権現、宇都宮、那須のゆぜん大明神、願わくはあの扇のまンなか射させてたばせ給へ」と祈願している。
解説によると、このうちの「那須のゆぜん大明神」とあるのが、温泉神社のことだという。

ゆぜんに漢字を当てるとすれば、湯泉だろう。
いつから温泉神社というと間抜けた名前になったのかわからないが、湯泉神社と言った方が格式がありそうな名前だ。古代の人は熱い湯の噴出する不思議に神の力を見ていたことだろう。

普通、神社の鳥居にかかる注連縄は一本の縄を左右に渡すものだと思うが、ここのは二本の縄を中心で紐を使って縛っている。初めてみる形だが、何か意味があるのだろうか。

温泉神社鳥居

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那須:殺生石

先週末、那須に行った。

那須にある殺生石には、こんないわれがある。

昔、玉藻の前という美女に化けた狐が鳥羽天皇に取りつき、天皇を病気にするが、その正体を陰陽師の阿部泰成に見破られ、那須に逃れた。朝廷の命によって三浦介義明らが狐を退治するが、狐は毒石となり、この石に触れた生き物は皆、死んでしまうとしてその後も里人から恐れられていた。
それを知った源翁和尚という人がこの狐の霊を鎮め、以後、その毒気も少なくなった。

この源翁和尚という人は鎌倉にある海蔵寺が鎌倉幕府滅亡の時の混乱によって焼失したあと、上杉氏定によって開山として招かれ、再建した人物でもある。この話をこの本に書いたとき以来、この殺生石を実際に見たいと思っていた。

駐車場に車を置くと、もうすでに鼻を突く硫黄の臭いがしてくる。
石がごろごろと転がり、石でできたたくさんの地蔵が置かれている。木の板を渡してつくられた道を歩いていくと、その先の山の中腹に一木一草も生えていない場所がある。そこが殺生石だった。

芭蕉は、おくのほそ道で、
「石の毒気いまだほろびず。蜂蝶のたぐひ真砂の色の見えぬほどかさなり死す。」
と書いた。
蜂や蝶の死骸を見ることはなかったが、人間以外の生き物をそこで見ることはなかった。

殺生石


殺生石

追記:
こちらのM's Pageさんにびっくりするような写真があった。なんと殺生石で狐らしき生き物が死んでいる。
まさか、玉藻の前が化けた九尾の狐ではないだろうが、激しく吹き出している硫化水素の犠牲になったもよう。

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面白きかな明治の出版物

京都新聞ウェブ版で知ったのだが、国立国会図書館が近代デジタルライブラリーというのをやっている。ここで、明治期に刊行された図書8万9千タイトルをインターネットで読むことができる。
ここに掲載されている中からたまたま読んだ「奇談 貧乏旅行」というのが面白かった。
筆者は鉄脚子なる人物。はしがきには、この本以前に「野宿旅行」という冊子を出しているということが書かれている。(この野宿旅行」もちゃんと掲載されていた)
はしがきを読んだだけでは、自らを旅行が持病だというくらいに旅好きだという以外にこの鉄脚子なる人がどんな人物なのかわからないが、ともかく、東京を出発し、群馬の磯部の知人を訪ね、そこで3円の旅費と7個の握り飯を貰うところから始まる。
文体は夏目漱石の『坊ちゃん』みたいな飄々とした感じで面白く、読み進めば進むほど途中で読むのをやめられなくなってくる。

磯部を出発した鉄脚子は、松井田町を抜け碓氷峠を通り軽井沢に出る。
最近は軽井沢への鉄道ができ、ここを歩いて抜ける人もいなくなったと書いてある。かつてアプト式で急峻な碓氷峠を登った鉄道のことだろう。
その間、衣服の怪しさから子供たちから石を投げられ、若い女性からは嘲笑され、大人からはじろじろと見られたりする。旅館も外見で泊まるのを断られ続け、地元の人に教えられた木賃宿にようやく泊まれたりする。その間、地元の人との会話から鉄脚子なる人物が書生だということがわかってくる。
その後も、同じような旅をする書生と出会って途中を共に歩いたりして、目的地の長野の友人宅に到着する。

書生というと、人の家に住み込んで、雑用を手伝いながら勉強しているというイメージがあったが、こんなふうにふらふらと旅に出たりしている書生もいたんだなあということがわかる。

明治35年9月に発行されている。出版は大学館というところで、印刷は東京印刷株式会社。
この出版社が出している他の本も紹介されている。
タイトルだけ見てても何だか面白さうな本がたくさん出ている。

社会の裏側でも見えるのか。
『文界の大魔王』

大臣も昔は書生だった?
『大臣の書生時代』

奇人ってどんな人なの?
『奇人の旅行』

豪傑の最後はやっぱり豪傑なんでしょうか。
『豪傑の臨終』

豪傑はどんな豪傑な交際をしていたのか。
『豪傑の交際』

豪傑シリーズも維新豪傑となると、ものすごそう。
『維新豪傑の情事』

今も昔も若い男の関心はやっぱりこれ。
『夜の女界』
『婦人と恋愛』
『奥様と嬢様』
『女心の解剖』

まだまだ探せば面白そうな本がありそうだ。
面白いぞ明治の本。

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西新井大師の桜とユキヤナギ

うちの近所の西新井大師の桜も今が盛りと咲いている。

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桜の咲く姿はどこか物寂しい。
隣の灯籠には「富国徴兵保険相互会社」と刻まれている。戦争に関係した会社が慰霊のためにたてたものだろう。

Img_2800

池のほとりにはユキヤナギが咲いていた。

このレンズ、背景のボケ味は少し派手めだが、決して悪くはない。これからの常用レンズに十分使えそう。

西新井大師

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六義園の枝垂桜

六義園に枝垂桜を見に行った。新しく買ったレンズの試写も兼ねて。
買ったのは、SIGMAの18-50mm F2.8 EX DC。ズーム領域全域でF値2.8の明るさを保つ。これをEOS Kiss Digitalに装着して出かけた。

Img_2736

六義園のすぐ近くに母親の実家があるため、子供の頃に何度か行った事があるが、大人になってからは来ていない。30年ぶりくらいになるだろうか。
園路を区切るロープとそれをとめる杭、そして、杭にロープを通すために開けられた穴が目の高さにあった記憶がある。

Img_2740

六義園の枝垂桜はちょうど満開を迎えていた。

六義園

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表参道ヒルズ

イギリス 75年、アメリカ 44年 日本 26年。
これは各国の住宅の平均寿命だという。

日本には千年以上建っている法隆寺や薬師寺東塔のような遺産を持っているのに、現代の建築に至ってはひどく貧弱な状況となっている。

表参道に鉄筋コンクリートによる同潤会青山アパートが建設されたのは1927年のことだったから、このアパートは、現代の日本の建物の平均寿命と比べたら非常な長命を保った。
住んでいる人にとっては老朽化によって苦痛以外の何物でもなかったらしいが、同潤会アパートは多くの人に惜しまれながらも取り壊され、表参道ヒルズに生まれ変わった。
安藤忠雄氏による設計のこの建物の端には、かつての同潤会アパートとそっくりに作られた建物の一角がある。氏は都市の記憶として、これを留めておきたかったという。
そんなものは作らなくてもいいという声もあったと聞くが、スクラップ&ビルドを繰り返し、常に都市の景観を変えてきた日本という国に、こういう考えがこれからどんどん根付いていくといい。日本はあまりに変わりすぎている。
それは東京のような商業の中心地だけでなく、京都のような古い歴史を持つ場所も同様だ。このままでは京都には瓦屋根の家がなくなり、無機質なマンションだらけになってしまうかもしれない。
この表参道ヒルズのような試みによって、風景の記憶というものが人間の生活の中でいかに大事なものか、ということが多くに人に認識されるといいと思う。

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写真は内覧会の時にもらった飴。他にかつての同潤会アパートと今の表参道ヒルズの写真による絵葉書が入っていた。
表参道ヒルズのマークだが、どうもおじさんの顔に見えてしかたがない。そうツレに言ったら、バカボンのパパの顔みたいだね、と言った。
以来、バカボンのパパにしか見えなくなっている。

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新撰組:近藤勇の墓

近藤勇の墓は生家跡からすぐ近い場所にある龍源寺にある。

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誰かが手向けた花が供えられてた。始めに目に入ったのは隣にあった近藤勇五郎さんのお墓。近藤・勇・五郎?もしかして、勇はミドルネームだったのだろうかと思って拝んだら、実はその隣に近藤勇のお墓があった。

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寺の前には勇の銅像が建つ。

近藤勇のお墓

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新撰組:近藤勇の生家跡

雲ひとつない真冬の晴れた日、調布の近藤勇の生家とお墓を巡った。

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近藤勇の生家跡。隣には昭和18年まで使っていたという井戸が残される。
宮川久次郎の三男として生まれた勇の家は7000平方メートルもの広さがあったという。

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その隣には近藤神社なる祠が建っていた。もともとは昭和初期に有志の手で建てられ、その後荒れ果てていたものを昭和54年に元に戻した。

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道を挟んで反対側には撥雲館が建つ。これは、勇の娘、瓊と結婚し、天然理心流五代目を継いだ近藤勇五郎の道場だった建物。何度か移築されて今に至っている。

近藤勇生家跡

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~でよろしかったでしょうか

最近よく日本語の乱れとして槍玉に挙げられる「~でよろしかったでしょうか」という言葉の使い方。
店で会計するときに店員が使うことがあるが、この言葉、京都に行くとよく聞く。

東京では10件中1件程度なのに対して、京都では10件中9件で聞くような気がする。
京都以外の関西は知らないが、あちらで特に流行っているのか。あるいは、あちらの方言なのか。
それはよくわからないが、少なくとも明らかに京都ではよく耳にする。

若い子が早口で特に無感情で使っているのを聞くと、ああ、この子は正しい日本語の使い方も知らないで毎日マニュアル的に言葉を投げつけているのだな、と思うが、年配の人が使っていると、これは「よろしいですか?」と聞くと冷たい感じがするので、深謀遠慮の末、このように言い換えているのかもしれないと思ったりもする。

日本語の乱れと言うときに、それが方言の流入の場合や、まったくの新しい使い方、間違った使い方などいろいろあると思う。
ら抜き言葉などは土佐から東海地方にかけての方言らしいし、その地方の人にとって、ら抜き言葉を使ったからと言って間違いだといわれても困ってしまうだろう。

だいたい、どこに言ってもみなが同じ言葉を使っているのでは面白くない。(あまりに通じないと困るが)
関西で「おおきに」と言われると「ありがとうございました」と言われるよりもなんとなくうれしい気持ちになる。
ただでさえ、地方の景色がどこも似通ってきてしまっている上に言葉も完全に統一されては、日本という国があまりに画一的になってしまう。

ただでさえ、画一的になりやすい日本人だ。日本語について、何をもって間違っているのかということは考えなければならないと思うが、多少の寛容さも必要なのではないかと思ったりもする。

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祇園個性派看板(9)

T: じい、これはここのホームページのリアルショップじゃな?
G: いえ、そういう訳ではないようでございます。
T: しかし、このガムテープを貼って作った文字が泣かせるのう。
G: さようでございますな。
T: 聞いたところによるとわしの出番もこれでおしまいらしいな。
G: これでようやく私もぼけ殿の相手もお役御免でございます。
T: ナニ!ぼけだと?
G: ひぃ。

P1030610

(祇園個性派看板おしまい)

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祇園個性派看板(8)

T:じい、見ろ。祇園も周辺に来ると珍しい鳥がいるぞよ。
G:殿、あれは石でございます。
T:ほう、最近は鳥が石になるのか。
G:始めから石にござります。
T:しかし、鳥のような顔をしているがのう。
G:この家の主が目とくちばしを描いたのでござりましょう。
T:いったい何のためじゃ。
G:おそらくは魔よけではないかと。

P1030623


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祇園個性派看板(7)

A:すき焼き「かの」か。変わった名の店じゃのう。
G:あれは「かのこ」と読むのでございます。
A:じい、どこに「こ」と書いてあるのじゃ。
G:「かの」の下でございます。
A:あれが「こ」か。
G:昔の字でございますので。
A:では、「こ」の下の電信柱が太くなったみたいのはなんじゃ。
G:「牛」の字をすきの形と鍋に見立てたものでございましょう。
A:じい。このすき焼き屋に座布団をやれ。

P1030622

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祇園個性派看板(6)

A:あんなところにだんごがあるぞ。
B:旦那様。あれは、だんごではござりませぬ。
A:うまそうだな。だんご屋か?
B:だんご屋ではなく旅籠のようでござります。
A:旅籠がなんでだんごを頭に刺しているのだ。
B:ですからあれはだんごではござりませぬ。
(始めに戻る)
P1030620

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祇園個性派看板(5)

A:鰻と言えば江戸っ子の喰いもんだよな。
B:京都にも鰻はありますえ。
A:でもそこの看板には江戸式と書いてあるじゃないか。
B:...
A:見ろ、さばかれた鰻が二匹、昇天していくのが見えるぜ。
B:あれは看板の絵どすえ。
P1030619


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祇園個性派看板(4)

A:流れるような字体が粋でいいねえ。
B:三味線と言ったらやっぱり粋じゃないとね。
A:おう、江戸っ子は粋でいなせなところが取柄よ。
B:江戸っ子?あんさん、ここは京都どすえ。
P1030617

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祇園個性派看板(3)

美術館に行くと何を描いたのかわからない絵と出会うことがある。じーっと見て、これは何だろうかと考える。実はそういう絵の方が、ただ見た目がいいだけの絵よりも印象に残りやすい。
看板にもそういうのがある。名付けて抽象派看板。
一見すると「うし」なのかなと思うが、そうすると下の点はなんだろう。
よくある「う」の字をうなぎの形に当てたものか。それでも下の点の意味がわからない。
見ているうちに気がついた。上下をひっくり返しても同じ形になるではないか。
そうすると「う」のみを書いた対称系看板か。
でも、結局何屋だかわからないんだけどね。
P1030614

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祇園個性派看板(2)

これはいったい何なのか。
店の名前なのか、それともただの呼びかけなのか。
細い毛質体で、しかも交互に文字の大きさを変えて書かれた文字は妙にそそられる。文字しか書かれていないのに色っぽい。大人の深みを感じさせる。夜、この看板にあかりが灯ればさらに見たときのインパクトが増すのは確かだろう。

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祇園個性派看板(1)

先日、京都の祇園を歩いていて気がついたことがある。店の看板がどこも凝っていてなかなか面白いのだ。
そういえば、街中を歩いていて、個性的で面白みのある看板にお目にかかることが少なくなった気がする。チェーン店が増えたせいなのか、それとも看板屋が規格化された素材を使っているのか、その理由はよくわからない。

たとえば下の写真。祇園の外れにあったとん料理屋。
とん料理とはどんな料理か知らないが、上に大きく豚の絵があることから豚肉の料理であることは間違いない。円をうまく使った豚がこちらに迫ってくるようでかわいらしいのに迫力がある。店の名前の文字のデザインもとんちんかんなとぼけた感じが出ていて面白い。紅白の色分けも効果的。
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日光の邪鬼

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日光に行った。
小学校の修学旅行以来、初めて東照宮に立ち寄った。
小学生の時はずいぶん大きいと感じた陽明門は、大人になって見ると案外小さい。

左の写真は徳川家光の廟所・大猷院の二天門の広目天に踏まれる邪鬼。

宿は日光金谷ホテル。明治6年開業のこのレトロなホテルに泊まるのも目的のひとつだった。
部屋代をけちって、確か下から2番目に安い新館の部屋を予約した。新館といってもかなり古い木造の建物だ。広いけど殺風景な部屋に通される。床はなんと傾いている。
夜、廊下を歩いていると何かが出そうな感じだ。いや、実際ツレは幽霊を見たとか言っていた。
朝、ホテル内を探索して見たが、本館の部屋はなかなか居心地が良さそうだった。

いままでに泊まったいわゆるクラシックホテルとしては奈良ホテル、箱根の富士屋ホテルがあるがここが一番開業が早く、同時に建物も古い。維持するのも大変だろう。

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船岡山のマンション問題

今年の3月に訪れた京都・船岡山だが、この山の斜面に沿って山と同じ高さのマンションが建設されようとしていることを最近知った。(詳しくは住民の方のホームページで)

船岡山は京都・平安京の原点ともいうべき山だ。マンションはその山の南斜面に造られるという。平安京をここに造る時に、古人はここに登って南方を眺め、これからここにできる都を想像したはずだ。その視線もさえぎられるかもしれない。それは日本の歴史への冒涜と言えるのではないか。

船岡山に限らず、いま京都では訪れる度にマンションが増えていることに気が付く。コンクリートの無機質で圧迫感のある建物が街中に林立しているのを見るのは、そこが京都でなくても不愉快になってくるのに、ましてや京都にコンクリートの建物がこれ以上増えるのは本当に悲しい。

しかし、現実は京都の市街地は既にコンクリートの建物だらけだ。先日、東山から見下ろしたときに実感した。
せっかく先の戦争で空襲にもあわなかった京都を京都の人たちはどうしてあんな風にしてしまったのだろうと思う。
京都は景観については比較的厳しい規制をかけてきたと思っていたのだが、それでもこんなことになっている。

建設業者ばかりが責められるが、そこに住む人間も同罪だと思う。
住む人間がいなければ資本主義の原理として業者がマンションを作るはずがないからだ。
船岡山にマンションができてしまった暁にはそこに住む住民は、日本中の視線がそこに集まっていることを十分に覚悟した方がいい。

京都では斜面地のマンション建設規制の条例がこの船岡山問題などをきっかけとしてできたようだし、国レベルでは景観法も施行された。景観問題の改善についてはこれからだと思いたい。

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京都で撮った面白看板(その3)

京都で撮った面白看板写真(その3)をアップしました。
こちらをクリックして「写真の穴」からどうぞ。

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5月の箱根


大涌谷の空。


強羅花壇にて。


同時に渡れるのは3人までの制限があるつり橋。


箱根プリンスホテル外観。村野藤吾氏による設計。


箱根プリンスホテルロビー。

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浅草・隅田公園の桜

4/10に撮影した浅草・隅田公園の桜。
下町の本場だけあって、やはり人々はみな下町風だ。そういう人々がござを敷いて桜を楽しんでいる。
中には高齢の男女がアコーディオンなどで音楽を奏で歌を歌っていた。子供の頃に傷痍軍人の人たちがよく路上で演奏しているのを見たことがあるが、そんな様子を思い出してしまった。それだけそこにいる人々にはそこはかとないレトロ感が漂っていた。

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20階にあるレストランから隅田川をのぞむ。

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京都の面白看板

京都で撮ってきた面白看板写真をこちらにアップしました。

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軽井沢・イルミのち雪化粧

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12月24日、軽井沢矢ケ崎公園のイルミネーション。
池はほぼ凍結していた。

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12月25日夕方の浅間山。

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12月26日の朝。起きると雪が降っていた。浅間山もすっかり雪で覆われている。

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