動く襖絵:京都取材旅行第三回(9)
山科駅を出たあと案内標識に従って京阪電鉄京津線の線路沿いの道を歩くと早くも「毘沙門堂参道」と彫られた石標が立っていた。その先を左に折れ、JRの線路下をくぐるとその先はひたすら上り坂となる。
地図で見るとこのあたりは大文字山の麓にあたる。
東山三十六峰は比叡山から始まり、山科の北にそびえる大文字山(如意ヶ岳)を経て、山科の西にそれて稲荷山で終わる。山科の東側には行者ヶ森、醍醐山が立ち並ぶ。山科の南側は山科川の流れに沿って削られ、三方を山で囲まれた平地となっている。
京都も三方を山で囲まれているわけで山科の地形はよく似ている。
山科がミニ京都だとするなら、毘沙門堂のある場所は京都で言えば、鞍馬寺の位置に相当すると言ってもいいかもしれない。
毘沙門堂はかつては京都の出雲路にあった。賀茂川と高野川が合流するあたりのことをむかし出雲路、あるいは出雲郷と呼んだ。いまも出雲路橋という橋が賀茂川にかかる。
実は、このあたりは鞍馬口ともいい、鞍馬街道の始点でもあった。
こういう因縁から意図的に山科のこの場所が選ばれたのかもしれない。
山科に移転後に門跡寺院となった。
ひたすら長い上り坂を上る事、10数分。ようやく毘沙門堂の石標が見えてくる。が、しかしその先には急な長い階段。長い長い坂を上ってきた我々は最後の試練にあえぎながらその階段を上った。
上りきったところには仁王門があった。阿吽の二体の像が訪れるものに睨みを利かせている。
本堂の参拝だけなら無料、その奥の宸殿などを見るなら拝観料500円が必要だ。
本堂の参拝が無料なのはいまもこの寺が多くの人に信仰されている証拠だろう。
本堂参拝まで拝観料を取る観光寺院が多い中、この寺は本来の仏教と人々の関係について考えさせられる。
本堂に祀られるのはこの寺の名前の由来ともなっている毘沙門天。北方の守護神である。
鞍馬寺も京都を北方から守護するという意味で毘沙門天が祀られているわけで、そうなるとこの2つの寺の役割は同じなのかもしれない。
本堂の入り口には常香盤があった。灰の上の型に沿って木片で押し込んだお香の粉を燃やすというものだ。昔、東寺で見たことがある。本堂を出ようとすると、受付にいたおじさんが飛んできた。我々が熱心に常香盤を見ていたのを見ていたようで、聞いてもいないのにその常香盤の説明を始めた。説明好きな人のようだ。
本堂の脇を通って御霊殿に行く。ここには阿弥陀如来が祀られる。天井には龍が描かれている。狩野主信の作。
そして宸殿へ。始めに入ったのが御成之間。一段高くなった畳が置かれている。天皇が訪れたときにここに座るというものだ。
その隣の部屋は老人の間と名づけられている。ここに面白い襖絵がある。四角い机を2人の老人が囲んでなにやら談笑しているという絵なのだが、この机が見る位置によってその角度が変わって見えるのだ。
ふすまに対して右端にたったときには机は見ている人間に対してほぼ直角の角度で見えるのに、机に近づいていくと、その机が斜めに傾いていくように見える。
これは面白い。逆遠近法というらしい。よく見ると机の向こう側の辺の方が広がって描いているようだ。
宸殿の襖絵はいずれも狩野探幽の養子の狩野益信の作。
宸殿をぐるっと回ると池の向こうに観音堂という小ぶりな建物が見える庭が広がっている。
静かで落ち着いたいい庭だ。
この庭を見ながらまったりとしていると、さきほど常香盤の説明してくれたおじさんがやってきた。
「動く襖絵はわかりましたか?」
と聞く。老人の間にしか、その動く襖絵の説明がなかったので、動くのはあの机だけなのかと思ったが、実は宸殿の襖絵はどれもこの原理で描かれている。
「船に乗った人の顔を見ながら、そっちからこっちに歩いてみてください。顔がずっとこっちを見てるでしょう」
ああ、本当だと驚く我々。
「じゃ、今度はこっちの絵」と説明しながら我々の驚く顔を見て喜んでいる。
やはり説明が好きな人らしい。
あらためて説明してくれたが、最初に入った御成之間の襖絵もそういう騙絵ばかりだった。
ここは隠れた洒脱な遊び心満載の寺だった。
(京都取材旅行第三回おしまい)
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