2004年に読んだ本

京都酩酊を歩くじゃなくて、名庭を歩く


『京都名庭を歩く』 宮元健次

この本の筆者は前に読んだ『月と日本建築  桂離宮から月を観る』
を書いた人でもあり、庭園研究25年というキャリアをお持ちの人だ。

京都にある多くの庭園から西芳寺、天竜寺、平等院、桂離宮、修学院離宮など27の庭園を紹介している。

庭というのは案外難しいと思う。
桂離宮のように広大な敷地に建物が点在し、大きな池があり、人がその中を巡るような庭もあれば、方丈の前に作られ、建物の縁側に座って見るような庭もある。

禅宗寺院によくある枯山水庭園や阿弥陀如来のいる極楽浄土を表現した浄土式庭園など庭の種類もいろいろある。
中でも、禅宗の思想と結びついた枯山水庭園は難しい。
波模様の白砂の上に岩が置かれ、端の方に木が少しだけ植えられていたりする。
白砂は海、岩は山なのだろうが、これは何を意図するのか、あるいは、意味を考えてはいけないのか。

この本はそこまでは答えてくれないけれども、いろいろな庭の作者についてのエピソードや、庭に込められた謎解きなどが面白い。
特に、庭には「死」というテーマが込められているという。
どの庭でも死と関係があるとは言えないと思うが、そういう観点から見てみるとまた庭の見方も変わってきそうだ。

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皇室切手をめぐる攻防

部屋を片付けていたら少し前に買った『歴史読本』2003年10月号が出てきた。
当然、読みふけってみたりする。

この号の特集は「王権の神社 古代二十二社の神々」。

二十二社とは、平安中期以降に、国家の重大事などに、祈願の奉幣を受けるようになった二十二の神社のことだ。
二十二の神社には、伊勢・石清水・上賀茂・下鴨など朝廷と関係の深い神社が選ばれている。
その選定のいきさつや各神社の紹介がこの号の特集の内容だ。

『歴史読本』は特集が面白そうだったときに買うようにしている。

この号では、当然この特集の内容が面白そうだったので、買ったのだが、読んでみて一番面白かったのは、この特集ではなくて、「皇室切手の図像学」と題された別の記事である。

戦前の日本において、皇室の肖像を切手にするのは、不敬なこととされ、その姿が切手になることはありえなかった。切手にはスタンプを押すので、顔を汚すことになるからだ。

ところが、戦後、天皇は国民の象徴となり、郵政省は、明仁皇太子の立太子記念の切手に肖像を入れようと考えた。

ただ、戦前といっても、それは昭和の異常な国粋主義の風潮が吹き荒れた一時期だけで、実は大正デモクラシーの頃には当時の裕仁皇太子の肖像が完成の記念絵葉書に取り上げられるなど、皇室の肖像が絵葉書になったことはあったのだという。

戦後、明仁皇太子の立太子記念切手を作るにあたって、肖像を使いたいと郵政省は宮内庁に申し入れをしたが、宮内庁はそれを許さず、結局、皇太子礼にに際して天皇から皇太子に親授される剣に施された麒麟の蒔絵と菊の御紋をさんざん苦労した上で使うしかなかった。
その後、いくつかの皇室行事での記念切手でも郵政省と宮内庁の攻防は続き、ついに明仁皇太子ご成婚の記念切手でその肖像を使うことに成功した。
そこに至るまでの郵政省の苦労話が書かれていて面白い。郵政省、よくがんばったとつい応援したくなる。

ただ、皇室の肖像が切手になったのは戦後、その1回きりで、今上天皇即位記念も即位10年の切手も肖像が使われることは今にいたるまでないのだという。

どうも皇室切手というのは日本の民主主義の熟成度と連動しているようなのである。

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四天王

『四天王』 学研

最近は韓国のペとかイとかチャンとかウォンという四人が韓国四天王などと呼ばれ、もてはやされているらしい。

少し前であれば、徳川四天王とか義経四天王とか信長四天王などと武将の側近の中でもっとも功績のあった忠臣の四人をこのように呼んだものだった。
プロレスには詳しくないが、ネットで検索するとジャイアント馬場に入門した四人の愛弟子も四天王と呼ばれるらしい。

韓国四天王を除くと四天王はいずれも
・誰かに仕えている
・力が強い
という特徴があることがわかる。
実はこれは本来の四天王の特徴でもあって、その意味で四天王という呼び方は間違ってはいない。

韓国四天王というのは特に誰かに仕えているわけではないし、力が強いわけでもないから本来の四天王の意味からすると少し違う。

いきなり話が脱線しているが、この本は別に四天王と呼ばれた人々の話が書かれているわけではない。
本来の四天王とは仏教において、仏敵から仏教世界を守護する守護神のことだ。
お寺に行くと須弥壇の四隅に四体の筋骨隆々の像が置かれ、中央に安置される仏を守護している。これが四天王で、持国天、増長天、広目天、多聞天という名前が付けられている。
皆、甲冑を身に付け、刀などを持って立っている。四天王の面白いところは単純に武器を持って守っているだけではないところだ。広目天は筆と巻物を持ち、多聞天は塔を捧げ持つ。文武両道なのだ。

この本は仏像としての四天王を解説し、時代ごとに変わっていくその特徴や各地の寺に置かれる四天王をふんだんに写真を使って紹介している。
「神仏のかたち」シリーズの第2弾で、第1弾の「観音菩薩」を読んだときから次作を期待していた。
予告として第3弾は「阿弥陀如来」とある。ぜひとも予定通り出て欲しい。

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原節子


『原節子』 千葉伸夫・著 平凡社ライブラリー

少し前までNHKで小津安二郎監督の映画を連続して放映していた。
小津監督の戦後の作品には、よく原節子という女優が出演していた。
少しはにかんだような笑顔が印象的で、役どころも清純な心のきれいな女性の役をよくやっていた。
この人はいったいどんな人なんだろうかと気になっていたところ、たまたま本屋でこの本を見つけた。

日本が国際連盟を脱退した2年後、世界がきな臭くなってきた1935年に15歳でデビュー。
その美貌は多くの人に強い印象を与えた。来日していたドイツ人監督の目にとまり、翌年には日独合作映画に出演する。ただし、その演技については大根と呼ばれる評判だった。
戦後、小津監督の映画に出演。大根と呼ばれた原は小津監督によって、本来持っていた素質を見出され、その後の小津映画にはほとんど常連として出演する。
小津監督が1963年の暮れに亡くなり、通夜に訪れた原はその遺骸にすがって号泣し、周囲の涙を誘った。
以後、原はいっさいの映画に出演することはなくなった。

この本を読むと、この人は小津の映画に登場した役とよく似た性格の人だったようだ。
それに病気がちだったということも知った。
よく小津監督との関係が取りざたされ、小津が亡くなったことで引退したと言われているが、小津監督の死はきっかけとなったかもしれないが、それが最大の要因というわけでもなかったようだ。
気に入らない脚本には出演せず、それがために役の幅を狭め、年を取るにつれて、大きな悩みとなっていたということはこの本に豊富に取り上げられている当時のインタビュー記事からも見えてくる。
外見と内面を常に磨き続けなければならない女優という仕事はつくづく過酷な仕事だと思った。

引退から早40年。引退後に居を構えた鎌倉・浄明寺(地名)にいまも住んでいるらしい。

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京都発見

『京都発見 四』 梅原猛 読了す。

『京都発見』シリーズもはや、四巻。
今回は初めに京都の日本海側、丹後に残る伝承を追いかけている。
安寿と厨子王が登場するさんせう太夫や、浦島太郎、大江山の鬼、伊勢神宮が今の地に鎮座するまでに遷宮した跡である元伊勢など、いずれもこの地に氷結して残っている古い型の日本の伝承や歴史を掘り起こして紹介している。
丹後のあとは、京都市内に入り、もともとは鴨氏の神であり、平安京においては都を守護する神となった上加茂神社、下鴨神社に伝わる多くの神事を紹介する。鴨氏の祖先は神武の東征で神武天皇一行を案内した三本足の烏である八咫烏であり、奈良の葛城地方に本拠地があった。
八咫烏は、今の日本サッカー協会のシンボルでもある。
葛城から最終的には京都の北東に安住の地を得るまでの間、京都と奈良の県境の恭仁京の近くや桂川と鴨川の合流地点である久我をこの神は放浪している。
梅原さんは、その移転のあとを追って実際にそれぞれの地を訪れる。この神の移動は、都の移転に伴っている可能性があるらしい。
平安京が来る前に京都で勢力を振るっていたのは秦氏であり、平安京造営にあたって秦氏の協力は不可欠なものであったが、鴨氏はそれ以前から天皇家と結びついていて、あまり表面には出ていないものの、非常に力を持っていた。豪族が持っていた力はその豪族が祀った神を見ればわかるわけで、鴨氏の神の移動が都の移転とシンクロしていたとすると、とても興味深い。

前作同様、美しい写真と非常にマニアックな注釈付き。

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京都のガイドブック

来月、京都に行こうと思って京都のガイドブックを買った。
以前買ったはもう5年ほど前のものになっているので、新しいものが欲しかったのだ。
地図が充実しているものをと思って、『歩く地図 京都さんぽ '05』を買う。
本屋でぱらぱらっとめくってみたときは気が付かなかったのだが、本文を読むと、この手のガイドブックには珍しく紀行文風な主観の入った文章になっている。私の『京都・奈良で仏像に会いましょう』の文体と同じだ。
歩数が入っているのも同じ。
もしかして参考にした?まさかね。

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『小津安二郎をたどる東京・鎌倉散歩』


『小津安二郎をたどる東京・鎌倉散歩』
読了す。


去年が生誕100年とかで、NHKでずっと小津の映画を放映していた。いままでほとんど知らなかったのだが、この映画や小津監督に関する特集番組でにわかにこの人のことを知ることとなった。
放映していた映画はだいたい見たので、現存するほとんどを見てしまったのではないだろうか。

その特集番組で小津という人が結構グルメだったことを知った。
この本には小津が通った店を小津自身が書いた日記をひもときながら、深川、築地、浅草、上野、両国など地域別に紹介している。それぞれの地域では、その場所が登場した映画を取りあげ、このシーンはここから撮ったのではないかというような、その映画を見たことのある人間にとっては楽しい謎解きも書かれる。
小津監督の通った店を見ると、天ぷらとかとんかつとか鰻とか、結構脂っこいものがお好きだったようだ。
すでになくなってしまった店も多いが現存する店もかなりある。
紹介されている店を訪ね歩くのもまた楽しそうだ。

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尾花の鰻と小津監督

昨日、南千住の尾花で鰻を食べた。
そのとき、ツレが小津監督も尾花に来てるんじゃなかったっけ?
と言うので、帰ってから調べてみた。
確かに来ている。
よく大晦日に来て、大串という鰻一匹をまるまる蒲焼にしたものを頼んだのだそうで、相当な量があるらしい。
よほどの鰻好きでもげんなりしそうだ。

調べた本は

『小津安二郎をたどる東京・鎌倉散歩』貴田庄

鎌倉の本を作るために資料として買ったものだが、鎌倉のところしか読んでいなかったので、あらためて初めから読んでいるところ。

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鎌倉に住んだ作家たち

『現代鎌倉文士』 鹿児島達雄・著 かまくら春秋社

鎌倉駅東口を出て右手にある本屋で購入。
鎌倉叢書全35巻のうちの一冊で昭和59年に発行されている。
もちろんISBNなどついていない。
買ったあと、補充されたとは考えられないので、古本屋を丹念に探さない限りは、もう手に入らないのではないだろうか。

新刊でも売れなければ数ヶ月で置かれなくなってしまう時代に、この本屋は昭和に発行された本でもなにげなく本棚に置いてあって面白い。
この本屋では他に『あるく鎌倉』という昭和58年発行の本を買ったし、『鎌倉大観』という明治36年に発行され、昭和61年にそのままの形で復刊された本も買っている。

『現代鎌倉文士』 に戻るが、この本では明治以降に鎌倉に住んだ作家26人の生涯と鎌倉のどこに住み鎌倉でどんな活動をしたかが書かれている。
とりあげられている作家の代表的な名前を挙げると
夏目漱石
泉鏡花
島崎藤村
芥川龍之介
大佛次郎
川端康成
小林秀雄
などそうそうたるメンバーが鎌倉に住んだことがわかる。
昭和11年に久米正雄が中心となって結成された鎌倉ペンクラブがあったこともあり、昭和に入ってからの彼らの結束力も強かった。
題名に「現代」とあるが、いずれも故人ばかりを取り上げている。
それぞれの作家について生誕地や活躍した内容が書かれ、そして最後は死亡理由で終わる。
死亡理由のほとんどは病死であり、なかには写真に「元気だった頃の○○」などというキャプションがついているものもあって、読んでいると切なくなってくる。

ちなみにこの本、箱に入っていて、本はパラフィン紙でくるまれている。
ときどきこんな風にパラフィン紙でくるまれた本があるが、なぜゆえにこのような邪魔なものでくるまなければならないのか、いまだ理由がわからない。
それでも邪魔と思いながら、パラフィン紙は外さずに読みきった。だいぶしわしわになってしまったが。

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黒龍の柩


『黒龍の柩』(上)
を読み終えた。

新撰組の話で池田屋事件のあとから話は始まる。

山南敬助という人物が新撰組にいた。
いまNHKの大河ドラマでやっている『新撰組!』の脚本を書いた三谷幸喜氏の関心を惹いたようで、この人に非常な愛着を持って登場させていた。
北方謙三氏もこの人物に着目した。ただ三谷氏のように山南に興味を持ったためではなく、新撰組を真剣に考える「頭脳」として登場させている。山南に新撰組がどうあるべきかを考えさせ、それを土方歳三に受け渡し、自らは自害して果てる。
この小説の主人公である土方はそれを引き継ぎ、新撰組という組織をいかに保っていくかを考えながら、動乱の世の中を渡っていく。
上巻では鳥羽・伏見の戦いを終り、江戸に戻ってから迫ってくる官軍への対応に追われるところで終わっている。
下巻ではいよいよ新撰組の末路が描かれるはずだ。

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消え行く境界へのノスタルジー


『境界の発生』 赤坂憲雄

子供の頃、一戸建て住宅の新興住宅地に住んでいた。
全部で200戸程度の家が建っていただろうか。
住宅地の周りは田んぼや畑に囲まれていた。
その住宅地を開発した業者が買い取った一地域だけに家が立ち並んでいて、その周囲は昔ながらの田園だった。
子供の頃の自分にとっては、自分にとってのテリトリはその住宅地内だけで、その外は未知の領域だった。

古代人にとっても自分の集落から外は未知の領域であり、現実的には野生の動物や、他の集落の人間から攻撃されるかもしれない危険な場所だった。
そして、そこは自分の世界とと異界が交差する境界でもあった。
そんな場所に古代人は魔性や異形の人間が行きかうような神秘的なものを感じ取っていたようだ。
そして、辻のような道と道が交差する場所も特別な場所であり、言霊や霊魂の活動が活発になると考え、万葉集にも書かれているような、辻を行きかう人の話で占う辻占ということも行われていた。
そうした場所にはよく、地蔵や庚申塔などが祀られ、外部から魔が入ってこないようにした。

この本にはそんな古代から中世にかけての人にとっての境界の考え方が書かれている。

ところで、日本でもっとも境界がはっきりしている都市は鎌倉だといっていいのではないだろうか。
鎌倉は三方を山、もう一方を海に囲まれ、外界からの進入が拒まれている。山を切り開いて通れるようにしたのが、「切通し」であり、そうした場所には五輪塔や六地蔵などが祀られている。
こうした鎌倉の切通しなどの境界も紹介されている。

筆者は現代社会では男/女、大人/子供、夜/昼など「境界という境界のすべてが曖昧に溶け去ろうとしている」と嘆きながら、喪失しつつある「境界」というものに焦点を当てている。

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中原中也と小林秀雄

もう10年以上前になると思うが、「汚れちまった悲しみに」というタイトルのドラマを見たことがある。
中原中也と小林秀雄がひとりの女性をめぐって三角関係になった実話をベースにドラマ化したものだ。
確か中原中也役は三上博史で彼が写真の中原とよく似ていたし、非常によくできたドラマだったので今でもよく覚えている。
中原は晩年、鎌倉の寿福寺境内の家に住み、そこで亡くなっている。小林もその前から鎌倉に住み、鎌倉文士のひとりとして名をはせていた。中原と小林は三角関係になった女性との問題から絶交状態になっていたが、中原が鎌倉に引っ越してきたあと、鎌倉の妙本寺の海棠の下でよりを戻した。
今回、鎌倉のガイドブックを作るに当たってその話を少し入れようと思い、資料としてこの本を購入した。


『考えるヒント4』小林秀雄

この本のタイトルは内容とはなんの関係もなく、どこが『考えるヒント』なのか考えさせるが、一連の小林のエッセーを単行本化するために編集者によってつけられたものらしい。

この『考えるヒント』シリーズの4には詩人ランボオについてと中原中也の追悼文や、彼との思い出などをが書かれたエッセーが収められている。中原の死後に絶好状態だった彼との息詰まるような関係も書かれているが、絶交する前に書かれた中原についての評論も載っている。これを読むと小林がどれだけ中原を評価していたかがよくわかる。同時に、生身の中原という人間が普段のつきあいの仲で強烈な個性を持って、周囲と接していたかということもわかる。

中原の強烈な個性や行動については


『中原中也』大岡昇平

の方が詳しい。
大岡も中原と深い関係のあった作家のひとりで、彼も中原の傍若無人な態度や発言を持て余し、疎遠になっていった。結局のところ中原という人は孤独だった。中原の詩の持つノスタルジックなせつなさは、彼の孤独な悲しみの感情を投影したものなんだろう。

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奔馬


『奔馬』 三島由紀夫

いや。すさまじい小説を読んでしまった。

『奔馬』は「豊饒の海」四部作の第2にあたり、前作の主人公が十数年を経て、輪廻転生し、別人として生まれ変わって登場する。
前作では、主人公が自分の感情に忠実に生き、激しい恋愛の末に挫折し、病死したところで終わっている。
『奔馬』では、明治初年に日本の西洋化に憤り、神意を得て反乱を起こし、皆自害して果てた「神風連」にあこがれる少年が登場する。これが、前作の主人公の生まれ変わりで、あこがれるだけでなく反乱を企画し、彼らが悪と認定した政財界人を殺害し、その後自ら自害することを理想として決起しようとする。

「すさまじい」というのは、こうした思想もそうだが、この少年の行動は、後に三島の自衛隊駐屯地での自害に反映されているというところなのだ。三島という人がどういう理由で自害したのか詳しくは知らないのだが、この小説を読んで、見てはいけないものを見てしまったような気になった。恐らくはこの主人公の少年の心情は三島の心情そのものと言っていいと思う。個人的な遺書を読んでしまったような感じ。

三島の文章というのは、鋼のような強さを持っていて、それでいて柔肌のようなきめ細かさがあって美しい。しかも、これだけの長編なのに文章に少しも無駄がなく、どこを読んでも緊張感に溢れている。三島という人はやはり並みの小説家ではない。
三島は肉体美を求めて、自らの肉体を鍛えたそうだが、文章にも、肉体美のようなものを求めていたのではないだろうか。

小説中に三輪山が出てくる。三輪山そのものをご神体とする大神神社や三輪山の荒御魂を祀る狭井神社も出てくる。いまから8年ほど前になるが、三輪山に登って、頂上にある磐座などを見たことがある。
この小説でも三輪山を登る場面が出てきて、懐かしく思った。
そのとき、頂上に行く途中に小屋があって、どうして神の山にこんな小屋があるのかと思ったのだが、その疑問はこの小説を読んで解消した。
その奥に滝があり、そこで水垢離を取るためにその小屋で着替えをするようなのだ。

奈良市内の率川神社の三枝祭も登場する。
この祭りでは百合の花を持った巫女がそこで舞う。
小説で、巫女が舞うたびに揺れる百合の花がひどく印象に残った。

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『新撰組読本』読了

『新撰組読本』日本ペンクラブ編

井上ひさし氏が新聞の書評欄にこの本のことを書いていたのはたしか、去年の年末か、今年の始めごろだったと思う。
その中で「いま本屋さんの平台に溢れている新撰組関連の全書物が束になってかかっても、この文庫本にはかなわない」という刺激的な文章が心に残り、それならばぜひとも読まなければ、と思った。
買ったのは今年の2月か3月。
ちょうどそのころ、鎌倉のガイドブックを作る話がきて、それ以来、先月まで鎌倉や中世の歴史の本ばかりを読み続けていた。

ようやくその仕事も終わり、この本を手に取った。
好きな本を読めることがなんと幸せなことかという気持ちをかみしめながら読み終わった。

そんな話はさておいて。
本の内容だが、全部で11人の作家による新撰組関連の小説やエッセーなどの文章を寄せ集めたものだ。
著者は司馬遼太郎、大岡昇平、子母澤寛、池波正太郎、永井龍男、三好徹
といったそうそうたるメンバーがそろえられている。

中でも子母澤寛の『八木為三郎老人壬生ばなし』は八木家を新撰組が屯所としたときに、子供だった為三郎氏から話を聞いてまとめたもので、山南の切腹や芹沢の切腹の日の出来事など、身近に見ていた人の言葉として生々しく語られている。このリアリティさはどんな小説にもかなわないだろう。

小野圭次郎は『新撰組 伊東甲子太郎』という文章を書いている。
小野氏は大正から昭和にかけて、受験用参考書としてヒットした『英文之解釈』という本を書き、受験生から親しまれた人だそうだ。その人がなぜ、新撰組を書いたのか。しかも、どうして伊東甲子太郎なのか、という意外な取り合わせに対する疑問は、最後の解説で解消した。小野氏の奥さんは伊東の姪にあたる人だったそうなのだ。

意外なといえば、最後の『八郎、仆れたり』
三好徹氏が書いた文章。
八郎とは清河八郎のことで、その策士ぶりを嫌う人も多く、あまり好意的に書かれることのない人だが、三好氏はこの人物には比較的好意を持って書いていて、八郎の意外な一面も披露してくれる。

新撰組関連の全書物が束になってかかってもかなわないのかどうかはわからないが、それなりに読み応えはあって楽しめる。


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