京都辺縁の仏像を訪ねる

京都辺縁の仏像を訪ねる:六波羅蜜寺(18)

予定の寺をすべて廻ったがまだ時間があったので、街中に戻り、六波羅蜜寺を訪ねた。

それほど広くはない本堂裏の収蔵庫には空也上人、2体の地蔵を始めとして、平清盛、運慶、湛慶像といった歴史上のスーパースターが勢ぞろいしている。おまけに閻魔大王ご一行様もいらっしゃる。

前に来たときには空也上人像はもっと奥の方にあって、なぜこの主役級の像がこんな片隅に置かれているのかと思ったが、今回来てみると真っ正面に安置されていた。やはり主役は真ん中にいないと。
鍛えた体は軽そうで鐘を叩きながら念仏を唱えている。口からは6体の阿弥陀仏。苦しそうな表情のようにも見え、恍惚の表情にも見える。

髪の毛を手に持つ鬘掛け地蔵の前にはたくさんの髪の毛が奉納されていた。何を願って奉納しているのだろう。
そもそもこの地蔵が鬘掛け地蔵と呼ばれるのは、こんな逸話がある。
母を亡くしてひとり困っていた娘のところに僧が来て葬儀や埋葬をしてくれたが、棺に入れた母の髪の毛を持っている地蔵が見つかったことから、あのときの僧は地蔵だったことがわかったという逸話があり、その地蔵こそがこの鬘掛け地蔵であるということになっている。

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10年ほど前に来たときにもこんな写真を撮った記憶がある。
そのときはデジカメではなく銀塩カメラで。いまもポジフィルムが残っているはずだ。

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「みなさんの願い事が一つ残らずかないますように」と書かれていた。
泣かせるね。

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境内の石仏たち。

そんなわけで長かった「京都辺縁の仏像を訪ねる」もおしまい。

六波羅蜜寺

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京都辺縁の仏像を訪ねる:来迎院(17)

呂川に沿って少し山を登ったところにひっそりとたたずむ来迎院へ。

本尊は薬師如来を中心とし、左右に阿弥陀、釈迦如来を配した三尊。
脇侍として不動明王と毘沙門天が立っている。

本堂に入るとひとりの僧侶が10人ほどの人を座らせて、話をしていた。
何かのツアーなのかちょうどいた人を集めたのかはわからない。
この僧、静かに聞いている聴衆を前にして、誰も口を挟んだりしていないのに「嘘だと思うなら」という言葉を繰り返していた。口癖なのか何だか知らないけど、あんた仏を信じても人間は信じないのか、といいたくなる。
ちょっといや〜な気持ちになって早々に本堂をあとにした。
外に出るとその人の声明の声が聴こえてきた。

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静かにたたずむ本堂。

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境内には石仏が集められていた。

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境内は林に囲まれている。

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サワガニ発見。うまそう?

来迎院

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京都辺縁の仏像を訪ねる:勝林院(16)

前に来た時はここに受付があることに気づかなかったような記憶がある。そのときは、ひょっとしてタダで入ってしまったんだろうか。今回はちゃんと拝観料を払って中に入った。

本尊は中国風の阿弥陀如来坐像で壇上に座っている。同じ壇上の脇には毘沙門と不動明王。
手前にはボタンがあって、押すと唐突に音の割れた声明が大音響で鳴り響き、そして唐突に終わった。

奥には踏出阿弥陀如来。2つの蓮華に左右の足を乗せ、片足を踏み出した姿をする。
象に乗る普賢菩薩もある。象は古いが普賢菩薩は新しい。
その横には北野天満宮の本地仏だったという十一面観音。
長い間撫でられた手が黒くなっている。
いまは仏像は保存しなければならないものとされ、撫で仏以外は触ることなどまかりならん、という風潮があるが、信仰の対象としてかつては触ることも許された仏像も多かった。
清凉寺の釈迦如来なんか江戸時代の出開帳のときに、投げられた銭で傷だらけだし。
円空の仏像なんかは、集落の子供の遊び道具としてそりとか浮輪代わりに使われていたとも聞く。
仏教が天皇や貴族のものから民衆の中に入っていく中で、人の願いをかなえながら消耗していく仏像も現れてきたということなのだろうと思う。それが本来の仏像のあり方ではなかったかとも思う。
仏像を見ているとときどき、あんたそんな遠いところで澄まして座っていて、人を救えるのかい?
と意地悪な問いを発したくなることがある。
だからといって、国宝や重文級の仏像を触らせろとはもちろん言わないけど。

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勝林院本堂。

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勝林院入り口から振り返ったところ。
ハイシーズンは人でいっぱいになるこの道も9月の初めは誰もいない写真も撮れる。

勝林院

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京都辺縁の仏像を訪ねる:実光院(15)

実光院は、すぐお隣の宝泉院とともに勝林院の子院。
いずれも魚山声明を伝承する寺だ。

本尊は肌が真っ白で、極彩色の衣を着る小さな地蔵菩薩。
両側には不動明王と毘沙門天。
客殿で間近に拝むことが出来る。

ここでは2つのいまは廃絶した寺院の庭園を、客殿から抹茶を頂きながら同時に見ることができる。
1つは南側の庭。

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旧普賢院庭園。大きな築山の上に石造五重塔が立つ起伏のある庭で、三千院の庭園を思わせる。

そして、90度西を向くと旧理覚院庭園。

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低く刈り込んだ庭木によって、背後の山を借景として取り込んでいる。

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西北には茶室「理覚庵」。

声明の寺だけあって、ここには代々の住職が声明研究のために集めたという珍しい楽器の数々が陳列されている。

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写真は、石のひとつひとつに音階が書かれていて、実際に叩いてもいいようになっていた。
澄んだきれいな音がした。

隣の宝泉院の方が有名でいつも混んでいるが、こちらはしばらくいても、とうとう誰も来なかった。
お隣の血天井の下で庭を見るよりは、こちらの方が静かで落ち着ける。

実光院

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京都辺縁の仏像を訪ねる:古知谷阿弥陀寺(14)

翌朝、この旅の最終日。この日は洛北に向かった。
向かった先は古知谷阿弥陀寺。

麓の駐車場に車を止め、焼杉山中腹にある寺に歩いて登る。

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麓には荒れたまま放置された公民館があった。
公民館にしては、なかなかいい建物なんだけど。

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ガラスの割れ目から中を覗くとこんな風になっていた。

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こんな登り坂をひたすら登ること10分ほど。

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ようやく建物が見えてきた。

この寺を建立したのは弾誓上人という人。
本尊は自らを彫って髪を植えたという弾誓上人像。
この人は各地を修業して回り、佐渡で悟りを開いたとき、観音菩薩から阿弥陀如来の首を受け取るという不思議な経験をしている。その後、この地にこの寺を開いた。そして、この地で即身成仏となっている。

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境内には五智如来の石仏があり、そのうちの大日如来の頭に赤とんぼがとまっていた。

浄土宗の寺でありながら、即身成仏があり、五智如来がある。弾誓上人は修験の修業をしていたらしく、そのために密教のエッセンスがこの寺に残されたのだろうか。

古知谷阿弥陀寺

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京都辺縁の仏像を訪ねる:正法寺(13)

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赤い橋に招かれるようにして正法寺へ入って行った。

本堂には正面には三面の顔を持つ千手観音立像、聖観音と阿弥陀如来、不動明王、大日如来が祀られる。そして、横向きには大きな漆黒の薬師如来坐像。三面千手観音の正面の顔は目を見開いて正面を見ている。光背は火焔のような筋がうにゃうにゃっと流れていて面白い。
堂内には誰もおらず、ボタンを押すと説明のテープが流れるようになっていて、説明的オートメーション化されている。

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不動堂に行く途中にこんなものがあった。
窓の内側に掛け軸の外側部分だけがあって、絵の部分は外の景色が見えるようになっている。

不動堂には大きな不動明王立像。そんなに古い物ではなさそう。ここも誰もいなかった。
不動堂の縁側には長い竹が立て掛けてあり、その先にある水琴窟の音を竹筒を通して聞けるようになっていた。耳を当てると水が落ちるたびにするきれいなコーンという心地いい音が聞こえてくる。

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不動堂から本堂を通り過ぎた反対側の宝生殿からは鳥獣の石庭が望める。
石のそれぞれが象とかフクロウとかうさぎやペンギンなどに模してある。
借景は東山と京の街並み。

開け放たれた畳敷きの部屋から庭を眺める。しばらく眺めても誰ひとり来ない。
自然と畳にごろんと寝ころぶ。入ってくる風が心地いい。

この宝生殿には愛染明王が祀られる。そして、走り大黒。左足を前にして走る姿の大黒天だ。

TV見仏記でみうらじゅんといとうせいこうの2人もこの寺に来ていて、この大黒天を見てみうらじゅんが一句詠んでいる場面が出てくるが、そのときの句がまだ貼り出してあった。

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右のじゅんとあるのがそれ。

正法寺

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京都辺縁の仏像を訪ねる:勝持寺(12)

願徳寺のすぐ隣の勝持寺へ。

本堂は阿弥陀堂。中には阿弥陀如来、地蔵菩薩、不動明王が安置されていた。
隣の瑠璃光殿に重文の薬師如来がいる。左手に持った薬壺から右手で薬を摘み取ろうとする珍しい姿だ。その前にはその薬師如来の胎内から発見された小さな薬師如来像が置かれていた。光背に七仏薬師と十二神将。
その両脇には日光・月光菩薩。長い茎の先についた日輪を日光菩薩が、月輪を月光菩薩が持つ。日輪にはヤタガラスらしきものが描かれていた。
そしてさらに両側に十二神将。それぞれ頭上には干支の動物が置かれている。
さらにその外側には仁王像がそれぞれ立っている。これはこの寺で唯一応仁の乱の兵火を逃れた仁王門に安置されていたものだという。
そして、向かって左側前列に一体の僧形の像が置かれていた。
これはどなたか、と近づいてみるとなんと西行さんだった。
室町時代の作でもちろん当時の姿を写したものではないだろうが、かなりな美男に造られている。西行さんは静かに座って遠くを見つめていた。

この寺は別名花の寺とも呼ばれるが、それは西行がこの寺で出家し、自ら八重桜を植えたことに由来するのだという。その桜は西行桜と呼ばれ、いまも三代目が元気に花を咲かせる。
桜の好きだった西行は桜の歌を多く残している。

花見んとむれつつ人のくるのみぞ 
あたらさくらのとがにはありける

願わくは花の下にて春死なん
そのきさらぎの望月の頃

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三代目西行桜。

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壊れた霊獣が置いてあった。

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本堂前のびんづるさん。

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勝持寺(花の寺)


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京都辺縁の仏像を訪ねる:宝菩提院願徳寺(11)

京都・東山の定宿に泊まった翌朝、今度は大原野へ向かった。
まずは宝菩提院願徳寺。
ここの本尊の如意輪観音は一年前に東博の仏像展でお会いしている。
美男の如意輪だ。
学術的にいうと如意輪観音とは言わず、菩薩半跏像となる。
通常の如意輪観音とは形が異なるため、ただ菩薩と言っているのだが、ここでは寺伝の如意輪観音と言うことにする。


収蔵庫に入ると正面の厨子内にその如意輪観音が座っているのが見えた。
お寺の人が説明をしてくれる。
厨子の中は暗く、仏像の顔はよく見えないなあと思いながら聞いていると、
「では室内の明かりを消します」
と言ったと思うと、あたりが真っ暗になり、続いて厨子内の明かりがつけられ、如意輪観音の全身があらわになった。
おお!なんという小粋な演出か。

一年前と変わらず若々しくて威厳があって堂々としてかっこいい。
でも、博物館で前後左右から人の視線を浴びてどこか落ち着かない感じもあった一年前よりも、本来あるべきお寺の厨子に収まっている方が居心地が良さそうだ。

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この収蔵庫内に如意輪観音がおわす。
よくみるとシルエットが写っている。

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石段にかたつむりがいた。
やりだせつのだせ。

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宝菩提院願徳寺

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京都辺縁の仏像を訪ねる:禅定寺(10)

住職さんに開けてもらった収蔵庫には正面に本尊の像高286センチの大きな十一面観音が安置されていた。平安時代のもので、金箔が落ちて下地の漆黒が見えている顔は四角く、両目の間隔は少し広め。目は切れ長でつり上がり、口元にはかすかな笑みを浮かべている。霊的な感じさえも受ける。
両脇には日光・月光菩薩。本来は薬師如来の脇に立っていたはずだが、ご主人はいずこに行かれたのか。

四天王は長い袖の先を縛って、腕を上に上げたり下に下げたり。勢い良く上げ下げしているから、袖の結び目が腕の動きに少し遅れながらぶらーんと大きく動いている。そういう動きの瞬間を表現しているという意味で、もちろん、像は静止している。だから、この像は永遠にぶらーんぶらーんと袖を動かし続けている。

文殊菩薩は奇妙な丸顔のドラえもんみたいな獅子に乗っている。
隣には大威徳明王。6本の腕を持った憤怒の顔をする。通常、大威徳明王は水牛に乗るのだが、これは象に乗っている。ひょっとしたら、以前は本来の乗り手としての普賢菩薩が上にいたのかもしれない。
乗り手が変わったのを知ってか知らずか、象は鼻を大きく持ち上げてパオーンと吠えている。

ちょっと頭の長い地蔵菩薩は片足を踏み下ろして座る半跏の像。鎌倉では良くみるスタイルだが、京都では珍しい気がする。

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草鞋が奉納された仁王門。

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仁王門の阿像。

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吽像。
素朴な迫力。

禅定寺

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京都辺縁の仏像を訪ねる:観音寺(9)

観音寺に着くとちょうど車から2人の若い男が降り、寺の方に向かって歩いているところだった。
われわれも本堂へと向かうと住職さんが外に出て待っておられた。
「いま車の音が聞こえたから待っていた」とおっしゃる。
だいぶお年のように見えるが、耳も足腰もたっしゃだ。

本堂に入ると先に入った2人が熱心に厨子の前で本尊を見上げている。相当な仏像好きの2人なようだ。
この寺の本尊は十一面観音。天平16年に造られたという古いもので国宝となっている。

顔や胴体部分はだいぶ金箔が落ち、漆黒の肌をさらしているが、ため息が出るほどに美しい姿をしている。観音に性別はないと言うが、この像の顔形や胸の膨らみを見ると、女性を意識して造ったのだろうと思われる。

この像とよく比較される像に聖林寺の十一面観音がある。
聖林寺の像はこれよりもやや古い。体つきは聖林寺の方が肉感的な印象がある。顔つきは観音寺の方がずっと柔和で若々しい感じがする。目を開き、遠くを見るようなまなざしが若さゆえの意思の強固さを感じさせる。
天平というはるか昔に造られた美しい像をいまも見ることができることのなんという幸せなことか。

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田んぼの真ん中の桜並木の参道。

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本堂。

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「二月堂竹送り復活の地」と書かれた石碑があった。
修二会で使われる竹はこの地から送られるのだ。

観音寺

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